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高田美穂子

女性の憧れ「美ボディ」の持ち主、渡辺勝彦ダンス教室の加島久乃先生からバトンを頂きました、オオタケダンススクールの高田美穂子と申します。

初投稿で何を書こうかと悩みましたが、ダンスとの出会いについて書きたいと思います。

現在、私はダンスのプロとなり、かれこれ3~4年ほど経つのですが、学生時代の専門は音楽(ピアノ)、就職後はマスコミ業界に長くおりました。ダンスを始めたのは就職してからです。

なぜ、ダンスをしたかったのかというと、学生時代、授業の中でオペレッタやバレエみたいなことをしたり、友人に連れられNYで初めて観たミュージカルの表現豊かな世界に魅了されるなど、音楽とダンスは比較的近くにありましたので、密かに憧れをもつようになりました。あげく、ミュージカル科への転向を考えるも、当時はダンス経験がなく断念。。進んだ音大にもイメージしていたようなダンス部というものも無く、親に習いたい!と訴えると「ダンスだけは働いた自分のお金で習いなさい」と言われてしまい、習うことも叶わず、、、。
のち、ご縁のあった某新聞社・某放送というマスコミ業界への就職が決まり、ようやくダンスができる!と、同社のカルチャースクールで探したところ、ちょうど仕事帰りの時間にあったダンスのクラスが「社交ダンス中級」というものでした。そのクラスでは、印刷局のおじさまと私の生徒2名に、男女2名の先生なので、先生とマンツーマンで踊ってもらえるのですが、いきなりの中級スタート。最初からマンボ、ジルバ、ブルース、ルンバ、チャチャチャ、ワルツ、タンゴを一度にやるため、すぐに覚えなくてはならず、帰宅するやいなや忘れないうちにノートにステップを書き込み、次の講座までの一週間で覚えなくては!と最初のハードルの高さに衝撃を受けました。その日から家ではもちろん、会社のオフィスや渡り廊下でも
ステップを練習したり、日に日に服装も露出度が高まり、そのうち裸で出社するのでは、、、と上司をハラハラさせたこともありました(笑)
それでも初めて色々な音楽にのってステップを踏んだときの楽しさといったら、今でも忘れられません。

ダンスを始めた頃から考えてみると、今こうしてプロとしてやらせていただくなんて当時は想像もしなかったですし、周りの方や環境に恵まれたのだと感謝しかありません。

また、ダンスも音楽もそうですが、芸術系はとにかく時間もお金も膨大に費やします。しかも、かけた割りには、、、なのですが、きっと他では学べないことがたくさんあったのだと信じたいものです。
まだまだ発展途上ではありますが、真摯に取り組み、ダンスや音楽の素晴らしさ、楽しさなどを伝えられるような選手になりたいと思います。

さて次は、いつも優しく接してくださるおっとり癒し系?!サードダンススクールの中村佳菜先生にバトンを繋ぎたいと思います!来年JPCL20周年、実行委員長のパートナーさんとして大変かと思いますが、楽しみにしています♪


【真・管理人から皆様へ】

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