新JOOKOのふぉとエッセイ

     東海道53次探検ウォークや、四季折々の出来事
     そして仏像造顕所勢山社関連など、写真もお楽しみに♪

ドッグ入りした大日さん

2010-06-25 | 勢山社特派員だより
5月半ば、修復の大日如来像引取りのため湖北木之本町に向かう事になりました。気がかりは天候でしたが、そんな憂いは無用で真っ青な空と輝くばかりの緑が作業を見守ってくれました。

勢山社の搬送バスとトラックは、村中の細い道をたどり境内に到着。
木之本町古橋地区の皆さんとの挨拶もそこそこに、さっそく大日さん運び出しの準備です。

像高1.5m、台座光背を合わせると3mを超えるというかなりの大きさなのに、大日堂の入口は1.8mほどしかありません。いったいどうやって移動するのでしょうか。

私の心配をよそに、勢山さんの指示でお弟子さんたちが出入り口付近の段差に手際よくスロープをつくり始めました。
材木を運んでくれるなど、村の方々も一生懸命です。

準備が整い、いよいよ運び出しが始まりました。
お体に真っ白な晒が巻かれた大日さんを、担ぎあげた村人やお弟子さんの表情は真剣そのものです。カメラを構えた私にも緊張が伝わり、その様子から一時も目がはなせません。
    

光背や台座なども、慎重に分解され外に運び出されていきます。

良いお天気で本当に良かった!
雨の場合は、お堂からバスの側面へシートを張りテント代わりにするという打ち合わせでしたが、爽やかな五月晴れに恵まれさすが大日さんの威力と感心です。

用意したトラックのクレーンは使わず、3時間近くかけて人力のみでバスとトラックに全て積み込み、作業が無事に終わりました。
「100年もつ修理を頼むで」「しっかり直してや」「よろしく頼むで」
村人それぞれの言葉は、かつて同地区の十二神将像修復を手がけた勢山さんへの信頼と期待が伺えます。
    

ここ古橋地区では、60歳になると5年の間お堂や「己高閣」(滋賀県で初めての文化財収蔵庫)・「世代閣」(古橋地区民の浄財のみで建設した収蔵庫)を守る大切な役に付くとのこと。この務めは、全ての用事に優先させる位置づけというから驚きです。
「ここにこれだけの仏さんがあるのだから守っていくしかないで」と、言い切るエネルギーと信念。
その気持ちに応えるべく修復を誓う勢山さん。
垣間見る場面に、失われつつある大切なことを教えられる気がしました。

己高山は、琵琶湖の北に位置し木之本町古橋地区を見下ろしています。
山中に遺構を残す己高山鶏足寺は、約1300年前に創建され、室町期には120個所の僧坊があり湖北の仏教文化圏として栄えていたそうです。後には浅井家3代や豊臣家の祈祷所となり、徳川幕府も保護しましたが次第に衰退し伽藍は消失してしまいました。

歴史の荒波にもまれたであろう鶏足寺本尊の十一面観音像は、現在己高閣に安置されており、豊かな自然に恵まれているこの地域は、紅葉で有名な場所となっています。
その土地や、残された仏像などを守るために様々な工夫をしている古橋地区の方々。
「今、山に冬桜を植えとる。そのうち紅葉と桜が同時に楽しめるで」と、運び出し作業終了後に付近を案内してくれた世話役の橋本さん。まだまだ新たなチャレンジが続くようです。
    

そういう姿勢に感嘆するとともに、休憩時間のわずかな時間でもペットポトル片手に足元の草を引く皆さんの姿に、この地を大切に思う心が表れていて清々しい気持ちでいっぱいになりました。

そんな様子を見つめ続けてきた大日さんは、2011年3月、勢山社での大修理を終えて大日堂に戻られる予定です。


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