* 平家物語(百二十句本) の世界 *

千人を超える登場人物の殆どが実在の人とされ、歴史上”武士”が初めて表舞台に登場する
平安末期の一大叙事詩です。

第四十五句「咸陽宮」(かんやうぎゅう)

2006-06-27 10:48:43 | 日本の歴史

    (古代中国)の国の太子””を赦免するの”始皇帝
      庭に”角の生えた”木には”頭の白くなったカラス

  <本文の一部>

  異国に昔の先蹤をたづぬれば、燕の太子丹、秦の始皇に囚はれて、いましめ(監禁)をかうぶること十二年、燕丹涙をながして、「われ本国に老母あり。暫時のいとまを賜びてましかば、かれを見ん」とぞ申しける。始皇あざわらひて、「なんじにいとま賜ばんことは、馬に角生ひ、烏の頭白うならん時を待つべし」とぞのたまひける。

  燕丹天に仰ぎ地に伏して、「願はくは、孝行の心ざしをあはれみ給ひて、馬に角生ひ、烏の頭白うなって、いま一度故郷にとどめおきし老母を見ん」とぞ祈りける。

・・・・冥顕三宝(一切を見通す仏)孝行の心ざしをやあはれみおぼしめしけん、馬に角生ひ、宮中に来たり。
烏の頭白うなって庭前の木に至る。烏の頭、馬の角の変ずるにおどろいて、始皇帝綸言(りんげん)返さざることを信じて(”帝王は言葉を覆さない”ことを守り)、燕丹をなだめて(許して)本国へ帰されけれ。

  始皇帝なほにくみ給ひて・・・・帝官軍をつかはして、燕丹が渡らんとき、橋を踏まば落つる様にしつらうて、太子丹を渡されけり。なじかはよかるべき。川中にして落ち入りぬ。されども水にもおぼれず、平地を行くがごとくにして、向かひの岸にぞ着きにける。「こはいかに」とうしろを顧みければ、亀どもいくらといふ数を知らず、水の上に浮きて、甲を並べてぞ歩ませける。これは孝行の心ざしを冥顕あはれみ給ふによってなり。

  されば、燕丹うらみをふくんで始皇帝にしたがはず。帝怒って官軍をつかはし討たんとし給ふほどに、燕丹恐れをののきて、荊軻(けいが)といふ兵をかたらふ。荊軻また大臣に田光先生(でんこうせんじょう)といふ兵をかたらふ。

  かの田光が申しけるは、「君はこの身の若うさかんなつしときを知ろしめしてたのみおぼしめし候ふか。『麒麟も老いぬれば駑馬にもおとれり』今はいかにもかなふまじ。兵をかたろうて奉らん」とて出でけるに、荊軻、田光が袖をひかへて。「あなかしこ、この事人に披露すな」と言ひければ、「人に疑はれぬるに過ぎたる恥はよにあらじ。もしこの事漏れぬるものならば、われ疑はれなんもはずかしし」とて、荊軻がまへにて自害してこそ失せにけれ。・・・・・

 <この後、荊軻が始皇帝の命を狙うが、果たさず遂に八つ裂きにされ果てる>

  「されば今の頼朝もさこそあらんずらめ(同じような結果になるだろう)」と色代する人もおほかりけり。

        (注)カッコ内は本文ではなく、私の注釈記入です。

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  <あらすじ>

(1) 昔むかし、古代中国でのお話。(前221~前206)の始皇帝は、敵対する
    
周りの国々を滅ぼしたが、燕という国の太子で””という者は、囚われ
    て監禁されること十二年に及び、本国に居る母にひと目合うための許しを
    求めるが、”始皇帝”は、「絶対に起ることは無いであろうこと」を条件
    に示して、それまで待つがよかろう・・・とあざ笑う。
    (馬に角が生える、烏の頭が白くなる・・・・など)

(2) ところが、””は、天地に祈り、仏も孝行の心ざしを憐んでか、馬に角
    が生え、烏の頭が白くなって咸陽宮に現れたのであった?。
     ”帝王はその言葉を覆さない”の通り、”始皇帝”は””を許し国へ
    帰すのであった。

(3) しかし、悔しい思いの始皇帝は、”丹”が帰国する途中の橋に仕掛けをし
    て、渡ったとたんに川へ落としてしまう。 が、不思議なことに水にも
    溺れず、向こう岸に着いてしまう。
     見ると、たくさんの数も知れない”亀”が甲羅を並べて、その上を歩か
    せていたのであった。

(4) 燕の”丹”の味方について要職に任ぜられた”荊軻”という”つわもの”
    
は、あらゆる手段をつかって”始皇帝”の命を狙ったが、成功の直前で
    遂に捕まり、八つ裂きにされて最後を遂げるのであった。

(5) だから、いまの”頼朝”も、それと同じような結果になるだろうと、多く
    の人々は”平家”に追従(お世辞)するのであった、と云う。

        しばしば故事、先例、逸話などが挿入されています。
       このお話は、結果は裏目に出てしまう”頼朝”が滅亡する
       予言とされますが、その頃の都の人々の保守的な考え方を
       象徴するものとも見られています。