高雄市政府が観光スポットして今年5月から一般開放した防空壕がある。今のところ年内一杯で終了する。場所は高雄市政府工務局のそばであり、忠烈祠に向かう石段左側にある。
防空壕入口は分厚いコンクリートに覆われており、米軍の空襲を防ぐためであることがすぐにわかる。内部は長さ200メートル、高さ3メートル、幅2・5メートルの坑道になっており、日本統治時代の壁に戦後コンクリートが塗られ、70年以上経過した坑道の内部には鍾乳石の結晶が所々に見える。途中から、壁一面が長距離に渡って発泡スチロールで覆われている。これは、中の音が外に漏れないようにする完璧な防音対策であるが日本統治時代のものではない。
戦後、この防空壕は白色テロ時期に成立した「南区警備総部」が使用し、1958年の白色テロ、そして1979年の美麗島事件などで多数の政治犯の取り調べや拷問を行う場所として何度か内部の一部が改造されたものである。このことは、この防空壕にある4つの収容室と2つの取調室からわかる。特に、取調室に残るアルミ製の椅子や手錠などはその当時に使用されたものであろう。
詳しい年代は不明であるが当時は近くに鉄道列車修理工場、宿舎や高雄港駅があり、数多くの日本人を含む工員が住んでいたため、台湾総督府交通局鉄道部が避難用に作った防空壕である。現在の坑道は入口が2つのU字型になっており、内部の構造は「丹」の字のような形をしている。また、別な入口か出口か不明であるが鍾乳に覆われた64段の階段もある。内部には800人程度が収容できるようであるが、単なる避難通路に見える。
1951年の地盤沈下により防空壕内に一部の亀裂が発生したことにより、現在の坑道とは別の空間の存在がわかった。恐らくこの空間が避難所である可能性が高く、防空壕の規模がいまよりは遥かに大きかったことが推測される。
(一般開放は年内で終了)
現在の高雄市長 韓国瑜を真似ている
入口
壁全体は発泡スチロールが貼られている
政治犯を訊問した部屋
出口か?石段は鐘乳石に覆われている
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