台湾に渡った日本の神々---今なお残る神社の遺構と遺物

日本統治時代に数多くの神社が建立されました。これらの神社を探索し神社遺跡を紹介するものです
by 金子展也

高雄神社 社号碑の発見

2019-12-20 20:39:43 | 高雄州

現在の忠烈祠が高雄神社の鎮座地である。敷地内には比較的多くの遺物が残っている。これまで知られているのは狛犬、大東亜戦争完遂記念塔、灯籠、宝珠などであったが、今回、高雄の神社跡地訪問ではいつもお世話になっている高雄市文史工作者の郭吉清さん、廖德宗さんに加えて高雄市政府兵役処の劉さんとともに新たに「社号碑」、「灯籠」や「鳥居」の一部分などを発見することができた。

 

1)      社号碑

最大の発見である社号碑は忠烈祠境内の倉庫敷地にあった。2つに割れた社号碑を繋ぎ合わせることに成功すると、見事に「縣社 高雄神社」 「昭和七年五月二八日建之 高雄市 和氣満壽太」が蘇った。まず「昭和7年」は高雄神社が県社として列格した年であるため、非常に価値のあるものである。列格日は昭和7年4月22日で、列格後すぐにこの社号碑が献納されたことになる。そして献納者は和氣満壽太であり、廖德宗さんの調査によると高雄市山下町1-16で畳業を営む和氣商店の店主であったことが判明した。高雄神社が昭和3年(1928)、寿山の山腹(現在の高雄市忠烈祠)に遷座し、同年11月8日に、これまでの打狗神社から高雄神社となり、鎮座祭が執り行なわれた。この時、和氣満壽太は神社造営特殊寄付者芳名の中に記載されており、高雄神社鎮座に向けて300円の大口寄付をしている。

恐らくこの社号碑は参道途中にある鳥居前の基壇にあったものと考えられる。

<再訂正>社号碑の献納者は和氣寿満夫ではなく和氣満壽太に訂正しました

最初の状態

繋ぎ合わせた社号碑の表

繋ぎ合わせた社号碑の裏

2)      灯籠

 高雄神社の大灯籠(常夜灯)は不完全ながら2基残っているが、一般の灯籠は全く見つかっていない中、廖德宗さんが最近寿山国家自然公園遊客中心(鼓山区萬壽路301号)の敷地内に見つけたものである。この場所は、もともと社務所があった場所であったようで、下記の灯籠の一部は道路そばの藪の中にあった。「奉獻 沖縄縣人同志會」 「昭和七年十月二八日建之」と刻まれている。この記述から灯籠は県社に列格した初めての例祭日に献納されたことを意味する。

3)      鳥居

忠烈祠に向かう途中に赤く塗られた楼門がある。これは高雄神社の鳥居が変形して使用されているものである。これとは別に「昭和四年四月□□日建之」を刻まれた鳥居の一部が脇の石階段そばに残っている。時期の表記から高雄神社が寿山に遷座して間もなく建立された鳥居となる。

4)      街灯

これまで気が付かなかったが、境内に3本の街灯がある。これとほぼ同じような街灯は台湾神宮跡地であった圓山大飯店の敷地にも見ることができる。

5)      その他

最近、新たに高雄神社の雰囲気をだすためか8基の灯籠が立てられていた。

 

 

 

 

 

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