皆さま
新年あけましておめでとうございます。昨年は念願の『台湾に渡った日本の神々』を潮書房光人新社から出版できました。そして、順調に行けば、今年中にこの『台湾に渡った日本の神々』が中文で翻訳され台湾で出版されることになります。是非ご期待ください。
昨年12月に行われた産経新聞社主催の「台湾の神社跡地巡り」の第2弾が4月後半に行われる予定です。第2弾では基隆からスタートして桃園~新竹~苗栗地区を訪問予定で、神社跡地以外、日本統治時代の歴史スポットを訪ねる予定です。こちらも是非ご期待ください。詳細は、別途ご連絡いたします。
今年も色々挑戦したいと考えています。まず、これまで調べ切れていない神社跡地について調査をし、改めて神社(社格のある正式な神社)以外を対象にした本の出版に向けて開始する予定です。また、神社以外の分野での調査も進めており、第一弾は4月に公表予定ですので楽しみにしてください。
それでは今年も一年良い年でありますように。
私の別ブログである「台湾百岳」の今年の最初の投稿記事に写真を掲載したのですが、この祠の由来をご教示下さい。私自身はその存在をかなり前から知っていたのですが、何故このような場所に存在しているか?判らずにいます。「中之線」警備道との関係で考えていたのですが、やはり林場との関係でしょうか?
金子さんが既に踏査済みであることを台湾の或るブログで目にしましたので、お尋ねするものです。
宜しくお願い致します。(了)
僅かに見える社殿の柵から内部を覗き込み、墨で書かれている「昭和十八年十一月八日 設計者 上棟式 作 謝先安 呂雲南」の文字を発見する。
昭和十年(一九三五)に材木商である櫻井組は総督府営林所所より新高山に近い望郷山のヒノキ材の払下げを受ける。山上に製材所を設け、同年二月より伐出しを開始し、島内及び内地に出荷した。望郷山は海抜三二四一㍍にあり、これより毎年約七〇〇〇㎥のヒノキの切出しを行う予定であった。
これですっきり致しました。
今後とも金子さんのご活躍を期待致します。(了)