台湾に渡った日本の神々---今なお残る神社の遺構と遺物

日本統治時代に数多くの神社が建立されました。これらの神社を探索し神社遺跡を紹介するものです
by 金子展也

北白川宮能久親王行程 基隆旧海関御舎営所

2010-11-20 08:33:19 | 北白川宮能久親王
 
記念碑                                 「仰皇猷」の文字が見える

記念碑案内書

現在も中正区中船路112巷沿いに記念碑が残されている。この記念碑は裏山が崩れた時に土砂に埋もれていたのを地元の有志が掘り起こし、新たに世に出したものだと古老から教えられた。入り口には記念碑の紹介が書かれている。
記念碑真上の山の壁には「仰皇猷」の文字を見ることが出来る。この文字が何を意味するのか調べてみたいと思っている。

◆北白川宮能久親王滞在期間:明治28年6月4日~6月10日
◆記念碑建立:昭和8年、基隆市聯合青年団が御遺跡保存の計画を立て、市民有志の賛助を得、居間の跡を記念碑を建立
◆碑面には「北白川宮能久親王御遺跡地」は伯爵二荒芳の書
◆記念碑の文は台北帝国大学総長弊原坦、書は基隆市聯合青年団長桑原政夫

*二荒芳:宇和島第9代藩主 伊達宗の九男。二荒芳之の養子となる。北白川宮能久親王第5王女 擴子と成婚

<記念碑の文>
明治二十八年領臺ノ役、北白川宮近衛師團ヲ率ヰテ墺底ニ上陸セラレ、六月三日ヲ以テ基隆ヲ攻メ、給フ、匪賊頑強、飛弾営ノ頭上ヲ掠ムルコト屢ナリシモ、薄暮遂ニ市街ヲ占領シテ、統領ノ衛門ニ入リ給イ、翌四日司令部ヲ海關樓上ニ移シ、駕ヲココニ駐メ給ヒテ九日ニ及ブ嗚呼宮ノ武勲赫々トシテ餘威ヲ萬世布ク、青年團員相謀リ石ニ勒シテ之レヲ不朽ニ傅フ
 昭和八年七月十五日
コメント
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