台湾に渡った日本の神々---今なお残る神社の遺構と遺物

日本統治時代に数多くの神社が建立されました。これらの神社を探索し神社遺跡を紹介するものです
by 金子展也

台北州 台北第三高女校内社

2010-11-06 01:36:06 | 台北州

神社は突き当たりの建物の辺りにあった           明治30年から授業開始のチャイムとして使用された鐘

明治29年(1896年)、芝山嚴學堂は国語学校第一附屬学校と改称され、女子分教場が創立された。翌年には国語学校第四附属学校を設立し、日本人の女子だけが就学できた。明治31年(1898年)、女子分教場は国語学校第三附属学校と改称され、本科と手芸科が設置され台湾人の優秀な女子も学ぶことが出来た。明治35年(1902年)に国語学校第三附属学校は国語学校第二附属学校と改称し、台湾に於ける子女の教育の模範となった。その後、明治43年(1910年)に国語学校第二附属学校は国語学校附属女学校と改称され、艋舺公学校を借りて台湾女子教師の養成所となった。大正11年(1922年)には台北州立台北第三高等女学校と改称され三高女と呼ばれた。昭和12年(1937年)に上埤頭(現在の長安東路)の場所に移るとともに台北州土木課大倉三郎によって鉄筋コンクリートの建物が設計された。現在の中山女子高級中学の校舎はそのときのものである。
ご案内を頂いたのは黄校長先生と台北市立中山女子高級中学校友会理事長の郭碧蓮さんであり、郭碧蓮さんは今でも現役であり某企業の董事長で上海と台湾を往復しているようである。当事の記憶を思い出してもらい、校内神社が建立された場所までご案内を頂いた。神社は正面突き当たりの建物の所にあり、昭和15年(1940年)の皇紀二千六百年記念行事として造営された。当事の建物の位置関係でいうと講堂の前辺りになる。
毎朝、生徒が登校する際に拝んでいたとのことである。神社横には日本式庭園もあり、静かな安らぎの空間であったことであろう。
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