政治にはラグビーのような「no side」はありえない。試合終了とともに、万人と万人の戦いが始まる。政治家個人は、その支持勢力が選んだAvatarにすぎず、義憤にかられた対人テロを仕掛けられる筋合いはない。政治課題に関して相容れず対立する万人同士は、近代民主主義以前の社会であれば、相互に殲滅対象となっていたのかもしれない。
反自民のとある有権者にとって、特定の舌禍議員が許せないという状況があったとする。舌禍自体よりも具体的な政治活動のほうが何倍も有害、というのはそのとおりで、その舌禍議員個人を攻撃や排除の対象にするのでは根本的な問題解決にならず、彼を選んだ有権者集団をこそ、敵と認識するべきではないのか。もちろん、これはその議員が立法活動をすることで自分たちの生命や人権が危険にさらされる、というレベルの場合の話である。日本では従前どのくらいあったろうか。
ゆえに今回も、あの党や党員を批判、攻撃するのではなくて、政治課題において不倶戴天となっている支持者こそが、批判、攻撃の対象であるべきではないのか。そういう有権者とは商取引をしないとか、友人関係を構築しないとか、いろんな対応が考えられるはず。近代民主主義の下では、Avatarへのテロは否定されるべきなのであろう。
安野氏らのインタビューが面白い。1980年代から今日まで、東大受験対策には本質的に変わっていない部分もある。合理的に考えられる人には、当時も今もやることは同じなのかもしれない。15年分やってみた、というプロセスもまったく同じ。本屋での立ち読みレベルだが、難易度の近い参考書、問題集を選んでやりこむプロセスが先、共通一次後の40日に、本番と同じスケジュールで過去問15年分やってた。夜は採点とできなかったところをチェックし、補強。1981年度の私。早い段階で過去問やったりはしていない。どうせできない。むしろ、冠模試などでレベル感に慣れながら仕上げていき、最終段階で片づけるのがよい。
ド文系な質問来た。帯広40℃は山腹メガソーラーのせいですか。地覆の水平スケールはどうなのか。実際は広域の現象。フェーンと気団配置で決まる。
この発言が、環境学者らしき人からなので、自然地理学者として純粋に怒り。
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