黄昏叔父さんの独り言

 アマチュア無線と何でも有りのブログ

今朝も早起き

2012年02月16日 05時07分17秒 | アマチュア無線

 今朝も4時前に眼が覚めた 徳島は雨が降ったり止んだりの4日連続の雨天気、御蔭で散歩を兼ねた運動をしない性か?眠りが浅い。



 今朝は5時に成るまで7MHzでジャミングが59プラス20dbまで振れる状態だったが先程、5時を回ったところでジャミング信号レベルが下がった。CWで603A(ソマリア)とSSBのA41MOがスプリットでパイルを捌いている。其の後05:35JST頃から59プラスのジャミングが再度出始めた。



 今の時期は朝5時位から聞き始めると調度良い様だ。『歳寄ると段々と眠れなくなる。』と良く聞くが、最近、其の事を実感する。其の反面、昼飯の後、ウトウトする悪い習慣が身に付いた。今晩から布団に入る時間を調整して明日は5時前に起きれる様にする。


今朝はコンディション良し

2012年02月15日 04時49分51秒 | アマチュア無線

 本日も予定は無かったが早く目覚めた。歳の性か?最近は0時前後に布団に入るのだが遅くても5時30分頃には目が覚める。



 今朝も朝から雨、4時頃は小雨だったが現在5時では雨音がヘッドホーン越しに聞える程降っている。冬に3日の雨降りは珍しい天気、そういえば昨日、庭に小さい雑草の芽が出ていて随分早いな?と思った。



 お空の状態は 7MHz帯は可成り良い。大したDxは入感していないが早朝のジャミングを押しのけてEU方面のCW信号が599オーバーでガンガン聞えている。日頃はノイズの中に信号が聞える感じだが今朝は信号が明瞭に浮かび上がって聞えて居る。朝早いのと大したDX局ではないので余りJA局が呼び掛けては居ない事もあり1stQSO局を6局ほど呼んだが全てワンコールで帰って来た。久し振りに『早起きは三文の得』を実感した。



 今朝のワッチ中に中東のA41NN、7Z1SJ、4Z5OP、TA1C/2,A61Q等が04時頃、強力に入感していた。


長野県下伊那郡喬木村での移動運用(1010/05/16~17)

2012年02月14日 22時08分56秒 | アマチュア無線 移動運用

       



 私は下條村を出て151号線(遠州街道)を北進後、途中から153号線(三州街道)に其の後、アピナ飯田店前の信号を右折、天竜川に架かる阿島橋を渡り切ると其処は喬木村、飯田市の天竜川を挟んで東側の田園地帯で有った。早速場所探しに田園地帯と堤防の上流側を見て回ったが良い場所が見付からず再度、阿島橋の袂に戻り下流側を探して堤防を南下したらゴルフの練習場が有り、直角に曲がる部分に少し広い場所が有ったので運用場所とした。

 

 最初の写真は飯田市側(西方向)に向かってシャッター切った写真、90度に曲がった先は天竜川の川原である。2~3枚目は東方向の写真 、今思うと随分度胸が有ったんだと思う 完全に道路上『人の迷惑かえりみず遣って仕舞ったJH5AVM状態だった。』ゴルフ場は有ったが近くに人家は無く発電機を回しても問題無かったし車両の通行も殆んど無かった。



 この場所での総交信数は204交信、数字的には余り伸びなかった。喬木村での一番の思い出はJA0WPM 羽生さんとお会いした事、喬木村とは各周波数帯で何局か交信出来ているが地元の局は羽生さんのみ他の局は全て移動運用局としての交信だった。

 

 立ち話では有ったが色々な御話をした。特に此の後の高森町の運用場所など良い場所を教えて頂いた。翌朝も仕事の合間にお逢いしたり北海道の帰りの箕輪町の会合や翌年、2011年の箕輪での会合と親しく御付合いして頂いている。私としては信州の喬木村に親戚が出来たつもりで交際させて貰っている。


長野県下伊那郡泰阜村の移動運用(2010/05/16)

2012年02月14日 15時37分40秒 | アマチュア無線 移動運用

 私は天龍村での運用後、アンテナの撤収を終わり少し遅い朝食が終わった10時30分頃、天龍村の河川敷を出発、天竜川沿いに県道1号線を北上、長野県立阿南病院の前を右折、南宮大橋を渡ると泰阜村に入った。

 

 当初 この村の移動運用は予定に無かったが橋の手前の『泰阜村』の標識を見た時『何と読むのだろう?』と単純な疑問から泰阜村(やすおかむら)に行く事と成った。橋を渡って緩やかな勾配を登り詰めると泰阜村の役場が有り(海抜774mH、天竜川が海抜320mH位を流れている為 高低差450m位)近くのグラウンドに車を停めた。



 やがて直ぐに正午の時報が鳴ったので発電機を回し電磁調理器で湯を沸かしカップヌードルで昼の食事を取った。其の後、今回からは7MHz帯の釣竿アンテナを持って来ていたのでアンテナ基台に取付け7MHzを受信してみたがバンドコンディションが悪く、バンド中強力なノイズだらけ『駄目もとで』CQを連呼するも応答なし 59プラスのノイズのせいかバンド内の国内局の信号は余り聞こえなかった。


 休憩を兼ねて其の場で13:30分くらいまで滞在、7MHzを聞いたが最期まで交信する事は出来なかった。今日まで全国の町村を200箇所以上運用したが交信実績無しは泰阜村のみ何時の日か再度挑戦したいと考えている。



 其の後、山を下り笠松駅の少し下の橋を渡ると下条村、天竜川の上を鯉のぼりが多数泳いでいたので写真に収めた。其の後 下條の道の駅に立ち寄り美味しい蕎麦を食べたが昼食にカップヌードルを選択したのは大失敗、次の運用地の喬木村までの道中、おなかの中で和、洋の麺が喧嘩していた。




 

 


 最初の写真は『暴れ川で有名な天竜川の川の上を悠然と泳ぐ鯉のぼり』この川の中央部が泰阜村と下条村の境界と成る。2枚目は可也立派な『下条の道の駅』の建物 下條村のやや北側に位置する。


長野県下伊那郡天龍村での移動運用(2010/05/15~16)

2012年02月13日 23時44分30秒 | アマチュア無線

    

 


 私は2010年 5月15日 飯田インターで高速を降り引き帰す感じで長野県下伊那郡天龍村を目指した。途中のコンビニで食料を買込み何回か道に迷いながら阿南町に辿り着き此の近辺では一番開けた町だったので大きいスーパーで水や日持ちのするラーメン、焼きソバ、缶詰等、非常食を調達した。阿南町を通過してからは天竜川沿いに南下、天龍村の中心地まで行ったが人家の立並ぶ場所には条件の良い運用場所が無く 天龍村としては北側になる県道下の運動公園のような場所(写真1)の駐車場に車を乗入れた。



 無線移動運用の場所としては良い条件では無かったが河川敷で車も人も居らず発電機を気兼ね無く使用出来る事が良いので運用場所を此処に決定し車の左側上の県道の横の木の枝と右側のフェンスの支柱にアンテナのエレメントを結わえ逆Ⅴアンテナを設営した。暗アンテナ・エレメントを吊り上げるポールは過去に使用していたビーム・アンテナの廃材を利用した5本組のアルミパイプを貫通ネジとナットで固定するタイプで最上部にグラスファイバーのパイプを被せた物で最高で12mH位に成るが安全を考え風のある日は其の日其の日で高さを調整していた。



 全ての準備が整った13時10分の7MHz帯で出したCQに直ぐJJ3XKM吉原さんから応答が有り下伊那郡天龍村からの運用が始まった。最初はゆったりと交信、7MHzの運用終了前には1分に1局のペースに成ったが17時58分で7MHz帯運用を終了、この間113局と交信、其の後18時11分から3.5MHz帯にQSYし18:11分から20:06分までに85局と交信した後、昨晩の深夜の長距離走行と睡眠不足の為 早めに閉局、寝袋に入った。


 翌朝、06:14分から7MHz帯で運用開始、09:18分の閉局まで57局と交信した。コンディションも特別に良くも無かったが、流石が日本の中央部にいる為、四国よりは全エリヤに対してパスが安定している印象を受けた。ただ現段階では今後に掛けて始まる移動運用情報が各局に知られていないが、長野の中央部の移動(3~4日先)には情報が周知され、もっと御呼びが掛かるだろう。此の運用場所での総交信数は225で有った。



 アンテナは10mHの逆・V(7MHz帯)、全長26m長の短縮の逆・V(3.5MHz帯)を使用した。





旅立ち(長野天龍村まで2010/05/14~15)

2012年02月12日 15時30分40秒 | アマチュア無線 移動運用

 私の出発前の1週間は慌しい状態が続いたが全ての機材の準備が出来たところで近くの那賀川の河川敷で最終の発電機と無線機器のテストをやり事前準備は全て終わった。



 2010年 5月14日の23:30分に此れから始まる長期の旅行の期待感と少しの不安感が入り交ざった複雑な気持のなか我家を出発、00:05分に鳴門インターから高速道路に乗り鳴門大橋を渡り淡路島に入る其の後淡路島の北端、淡路インターでトイレ休憩を兼ねた時に神戸の夜景の写真を撮った。



 明石大橋を渡ると神戸を通過して名神高速に入ると一本道と思っていたら名神で夜間の補修工事が行われており京滋バイパスで迂回をしなければなら無いのに不注意で入口を通過、最終的に京都南で通行止めの為にインターを降りる羽目に、乗り降りは問題ないのだが1000円余分に費用がいる事が痛かった。ナビ任せの走行だったのでコース変更の為に停車しないと駄目かな?と思っていたらさすが本州の高速道路、降りてからの一般道の側帯には50m間隔くらいに標識が並んでおり可也走ったが問題無く再度高速に乗った。



 深夜の高速を直走り養老サービス・エリヤでトイレ休憩を兼ねて停車したが本日、長野県の最初の運用が有るので此処で仮眠を取る事とした。駐車場は満杯様態で全ての車がエアコンを動作させているので外気が暑く私も仕方なくエアコンを動かしての仮眠となった。



 朝の6時前に目覚め、食事を取らず出発し小牧JCTから中央道へと入り恵那山トンネルを抜ける頃は日もかなり上がり正面に雪を頂いた南アルプスが目の前に飛び込んで来た。何と懐かしい光景だろう。18歳から結婚までは毎年、正月と5月の連休は徳島で過すことは無く信州のスキー場を訪れていた。最期の八方や栂池を訪れてから実に30年の歳月が流れていた。

 

 今回の旅行で信州を通過する目的は無線の移動運用が目的では無く若い頃、スキーに夢中になって訪れていた信州の夏の景色と御世話に成っていた常宿の奥さんに会ったり八方尾根、栂池、志賀高原、木島平、野沢温泉などのスキー場がオリンピック以降どの様に変貌したのか?を此の目で見たかったのだ。特に八方尾根スキー場へは5月の連休は黒菱の山小屋に篭って春スキーを楽しんで粋がっていた青春の日々を思い出したかったのだ。

 

 南国育ちの私にとって其の頃は『周囲が全てが銀世界に成る事など夢の世界で夢中に成っていた。』 勿論其の目的の中に可愛いお姉さんとの出会いを夢見ていた事は言うまでも無い。給料やボーナスは殆んど無線とスキーに つぎ込んでいた技術は二流だったが道具は一流、当時はブランドだったスキーをやった人なら直ぐに解るRマークの板等を生意気に使っていた。当時はスキー技能検定1級を取る事を真剣に考え仕事を辞めて信州での生活(山篭り)を夢見た日も有った。

 

 内容が脱線したが中央道を飯田のインターで降り私の現在の住所と同名の阿南町を訪れた後、天龍村へ、今回の最初の運用場所に正午頃、到着した。仮眠を含め時間的には12時間、走行距離はトリップメーターが640Kmを越していた。


長野、東北、北海道への移動運用の計画と実行への道のり

2012年02月11日 22時31分15秒 | アマチュア無線 移動運用



 2009年の退職記念の北海道旅行(1か月)を経験した私は帰って来てから次の年には大規模な無線移動運用を兼ねた本格的な長期旅行を計画した。其れを実行する為には軍資金が必要なので仕事探しを始めた。ただ定職に付くと自分の都合で長期休暇など自由に取れないのでアルバイト的な仕事を探した。タイミング良く義兄が建設業を営んでおり(農繁期の3月~8月は農業を中心に以外を建設業)9月から3月の初旬くらいは仕事が忙しいの手伝う形でアルバイトを始めた。

 

 主たる仕事は田畑の境界をコンクリートで作る仕事で肉体労働、ユンボで田畑を掘り返し型枠を組み、生コン打ちをした後、型枠を外して完成する仕事で農家からの直接の請負仕事なので検査も無いし体力はいる仕事だったが残業は無いし『覚えて損な事は何も無い筈なので』の思いから4月から8月の間は仕事が有っても来ない事を条件に始めた。

 

 勿論、仕事の中には家を壊したり、家の地盤や基礎工事、ブロック積みも有ったので鉄筋を組んだり操作経験の無かったダンプの運転やユンボも素人レベルだが操作した。夏は暑いし冬は寒風吹き荒ぶ中の仕事で大変ではあつたが私も技術屋の端くれ、畑違いの事では有ったがお金が稼げて技術を覚えられる興味の方が強かったし何より6ヶ月働けば其の先には長期の旅行と無線の移動運用が思う存分出来る事を想像すると苦には成らなかった。

 

 又、兄の経営する非破壊検査の会社の仕事も時々、御呼びが掛り御世話に成った。御蔭さまで潤沢な軍資金が出来たので3月一杯まで仕事をし4月の1ヶ月を掛け旅行計画を再検討、北海道への旅行客も少なく混み合わない一番良い時期に出掛けられる様、逆算して5月の中旬に出発する事とした。



 当初は初回の旅行と同じ新日本海フェリーで直接、北海道に渡る予定で有ったが、高速料金の見直しが有ったので本州を縦断す形で、32年振りの長野県の旅行と東北全県を回る事を思いつき、徳島を出発、名古屋から長野に入り長野を北上~新潟県~山形~秋田~青森の西側から下北半島を北上、大間からのフェリーで北海道の函館に上陸、時計回りで松前半島を回り、積丹半島を経て余市~小樽~札幌~日本海側を稚内まで北上そして最北端の宗谷岬からオホーツク海に沿って網走~阿寒~摩周湖から美幌峠をへて北見へ其の後、石北峠を経て層雲峡~旭川~千歳~室蘭~支笏・洞爺~函館に帰り再びフェリーで大間へ下北半島を南下、青森県の太平洋側を青森県~岩手県~宮城県~福島県~新潟県~長野県~富山県~岐阜県~京都府~奈良県を通過して徳島に帰るコースで回る事を決めた。



 まず最初に行く前にピョンピョン1世号のエンジンが壊れたので(ワゴン R)をホンダの軽の箱バンに乗換え「ピョンピョン2世号」と名付け 車内にベッドを取付け、2週間くらい掛けて長期の車中泊が可能な様に手を加えた。改良点は北海道は霧が多いので違反覚悟でフォグランプを取付けた事と、無線運用に夢中に成ると食事が22時以降に成る事が多く弁当が冷めるので(移動中此れくらいむなしい事は無かったので)電子レンジを搭載した。各県別の地図と東北方面の道路地図帳を買い求めて 全ての準備が整った。


ブログのネタ切れ

2012年02月11日 03時42分19秒 | その他

 私は昨晩、11時20分頃、早めに寝たのに今朝は3時頃に目が覚めてしまった。この時間に目覚めると床に入っても眠れない。無線機の前に座り聞き始めたが各バンド開けていない様子、中波帯の深夜放送の懐メロを聴きながらブログを書き込み始めたが適当な題目と内容が思い付かない。



 ブログを始め約6ヶ月、思い付く事を書き綴って来たが最近は題材が中々思い付かない、題材を思い付くと散文では有るが何か書き始めれるのだが?



 3時過ぎにこの画面に切替えて1時間に成るが行が進まない『今回は此処まで』次回から2010年の長野、東北、北海道の移動(2ヶ月半)を思い出しながら書こうと思う。この時間ようやく7MHzで海外のCWの信号が入り始めた。


7MHzのアンテナ不調の件

2012年02月10日 10時29分17秒 | アマチュア無線

 昨年の暮れ頃から時々SWRがフラフラ変化する症状が出ていた7MHzのアンテナが昨日、突然SWRが無限に近い値を表示して使い物に成らない状態に成った 余りにもSWRが高いので不良場所はバランしか無いと判断、予備のバランを持って寒い中タワーに昇った。



 アンテナのバランと同軸のMコネクター部分のエフコ・テープをカッターで削り取ると『ぷーん』と何か焼けた臭いがしたので『此れはバランに間違い』と直感した。バランのMコネクターと同軸のMコネクターのオス側を外そうとしたが外れずペンチで引っ張るとバラン側の(メス側の)絶縁物が飛び出して来た。Mコネクターのオス側の芯線側のピンとメス側の金属部分がはずれず無理やり外すとテフロン同軸の接続部が外れたのか(芋半田)切れたのかわからない状態、メス側のベーク状の絶縁物は真っ黒に焦げていた。同軸側の芯線側のピンは表面が黒い燃えカスにより覆われていた。多分電力はバランのMコネクターメス側の絶縁物の炭化によりショートされた状態の様子、こんな事も有るのだと驚いた。





最初の写真の様にバランの横の裸の金属部品はMコネクターのメス側の部品、先端部分に黒いスパークコンが有りMコネクターのオス側のピンと溶着、ラジオペンチで捏ねなければ外すことが出来なかった。バラン内部側の同軸の芯線の先端部は、芋半田で外れたのかMコネクターを外す外力で外れたのか?よく解らない 線の先端は「ちぎれた」様には見え無いのだが?また巻き線にはスパーク痕は無いがコアが割れている。



 部品交換後、SWRを測定したが以前よりも悪く成っている最良点でも1.5くらい実用上に問題は無いが何か他にも根本的な問題があるような気がする。以前トラップコイルの外装の片方が貫通ビスでエレメントに接続されていたが其の部分の金属疲労で接続部分にひび割れが入り外気温度の影響で接続されたり離れたりして(夏の暑いときは完全に接触しているが冬に成ると金属が収縮、接触が悪くなったり離れたりして)少しSWRが悪くなるトラブルが有ったのだが其の後補修したが其のときは片方のエレメントだけしか対応しなかったので そこらに原因があるのかも?



 寒い中、長時間の高所作業は出来ないので、今回は対応出来なかったが暖かくなれば輻射器を下ろして十分な点検が必要だ。以前はAFA-40を使用(2エレ)していたがバランは先端に有り保守点検が不便なので3エレにしたが御蔭で輻射器は手が届く所に有り、随分楽に成ったが其れでも上げ下げをすると成ると半日は十分掛る、手間の掛る作業に成りそうだ。



 電波を少しでも遠くに飛ばそうとすればビーム・アンテナは有効な手段だが、其の分 色々とワイヤー・アンテナに比べて手間も費用も余分に掛る。自分でやるので部品代だけでよいが人任せにすると場所にもよるが3~5万は必要だろう『電波の強さは賭ける費用と危険度に比例する。』とあるOMが言っていたが今朝は其の言葉を実感する事と成った。それにしても何か呪われている感じ『マルペロのQRV中で無く幸いした。』

 











  


第二タワーのローテーター不調

2012年02月08日 08時48分33秒 | アマチュア無線

 今回のマルペロと其の他の追っかけで第二タワーのローターが回転途中で(北東方面の位置)回転が遅く成ったり停止状態から回し始めに動きが悪くなる症状が時々発生する。このローターはコントロール部はエモトの1103を使用し回転部は100V駆動の150Wのギィヤード・モーターでウォームギヤを回転其れに噛み合った平歯車がアンテナを回転させる仕組みの簡単な構造、回転速度と回転トルクはギィヤードモーターで決まっている(1分で1回転)其のモーターは大きいので傘歯車の1対で動力の伝達方向を90度変えている構造的には至って簡単な構造である。外観はクリエートRCA10の様な格好をしている。



 症状から判断してモーターとか電気の制御系では無く、動力伝達部分の異常と考えられるモーター内部の減速装置か一対の傘歯車の部分での問題と思うが どちらにしても大変な作業に成る事は間違い無い。何せローターの重量が30Kg位有り 上げ下ろしが大変で以前、メンテの為ロープで結わえて降ろす段階で我慢が出来ず7m位上から落した経験が有るが鉄の塊で壊れる事は無かったが下の土の中に一部が埋もれていた。Hi



 5年位前に良く似た症状が出て本体を降ろすと1対の傘歯車の山が一部、欠けトルクが十分伝達されなかった事が有ったのだが(山が欠けた所の噛み合いで停止すると回転時にすべるような症状)メンテの時、焼入れの特注品にしたのだが効果はなかったのだろうか?歯車は安いのだがキーピンの加工をして貰うのに目の玉が飛出る程、高かった様に思う。流石に其処までは機械が無いので素人では出来なかった。



 ウォームギヤと平歯車は可也、頑丈な部品を使用、平歯車は直径12cm位厚さは7cm以上あり歯の一山が8mm位、ウオームギヤは直径8cm有るので 其の部分での問題は無いと思われる。



 本日は天気が良いのだが寒くてタワーに昇る気がしない、アンテナが完全に回らなくなれば別だが今の状況では春の暖かい時期に成ってからでも遅くは無いが気持は可也ブルーだ。
 


マルペロからの運用終わる

2012年02月06日 07時39分42秒 | アマチュア無線

 昨日の7MHzのRTTYモードのQSO、本物かどうか心配していたがインターネットのログに交信のマークが付いていたので一安心した。24MHzの最初の交信日から2週間、連日無線機に張り付き交信する事、14回 アンテナが有るバンドで3.5MHzだけは交信出来なかったが10、18、24MHzでNEWをGet出来たのは幸運で有った。今回の運用で連日信号は入感していたが毎日コツコツ交信したのでは無く、2日くらいのマルペロDayに集中して交信出来た。



 今回の交信で一番感じた事はアンテナの重要さ24MHzと7MHzでは楽に交信出来たが10MHz(傾斜D・P)14MHz(4エレ・トライバンダー)は予想どうり苦戦した 特に10MHzの受信は蚊の無く様な信号で交信出来た事が不思議なくらい?このバンドはNewだったので可也の時間を掛けて聞いたがチャンスは1回だけだった。14MHzは以前は5エレの八木を使っていたが2年程前の18、24MHzを中心にしたアンテナの入替えの為、現在のアンテナに成ったが以前と比較して非力だった。



 其れに反して24MHzは早々に交信出来た 特にJAが呼び始めない段階に数回のコールでコールバックが有ったので『飛んでるな~!』と実感した。実際は飛びよりも受信力だと思うが?先んじて聞えれば其れだけ競合が少ない状況下で競争が出来る。7MHzも長時間呼ぶ事無く拍子抜けするほど3モードの交信が簡単に出来た SSBも3回くらいRTTYは1回のコールで返って来たのには驚いた。



 交信の成否は最終的には設備も重要だが1番重要なのは『情報や状況の分析力』最近はクラスターで各バンドの運用状況や(周波数、時間)電波の伝搬状況がインターネットで詳しく把握する事が出来る これ等の情報は取り入れる気持さえ有れば誰もが等しく得る事が出来る 最近、長年Dxをやっていた人達が『最近のDXクラスター中心の(情報戦)Dxは面白く無いとか やる気がしない。』と言われる人が多いが(受信に受信を重ねて出来る海外交信の価値の優位性を言いたいのだろうが?)私はそうは思わないDXクラスターから得られる情報は同じでも情報の読み取り能力、分析力能力は其々に違うのだから其処には優劣が有り競い合いが発生するので何ら変わる事は無い。

 

 又、最終的には誰よりも早く聞き見つければ交信は誰よりも早く交信出来るはずだし基本的には昔と何ら変わった事は無い。言えるとすれば旧態依然の思いで設備や先進性を取り入れない人や其れに抵抗感のある人はそう感じるのかも知れないがアマチュア無線の世界の在り様も時代と共に変化している。其のアイテムを利用するか、しないかは?個々の選択肢と成るが 極論『今や6エレ、7エレのビームアンテナの時代に昔は3エレでよく飛んだな~』と昔を懐かしんでるのと同じ事に成る。



 アマチュア無線の世界でDx通信は総合力を生かした『何でも有りの異種混合のバトル戦、ロケーション、無線設備、運用テクニック、アンテナ、情報力、根気、負けん気も必要、『敵を知り己を知ば百戦危うからず』パイル・アップの中で踏まれて踏まれて『己の実力を知り』情報戦で『相手を知り、来るべき日の為にアンテナ工事に勤しみ、日々の運用の中で爪を研ぎ(テクニックを磨き語学力を高め)挑戦し其れに対して実績が伴う所に面白さが在るのでは無いだろうか?私はそう考える。



























7MHzのRTTYのマルペロからの信号?

2012年02月05日 21時23分50秒 | アマチュア無線

 今回のRTTYでのマルペロとの交信は21MHzでコンタクト出来たが本日早朝から各バンドで探したが交信出来ず先程、大河ドラマを見終わって受信していると化け字に成りながらHK0NAの信号を捕らえた。周波数は7.038MHz12:10UTC過ぎ突如信号が599に上昇、ただRTTYのコンテストなのか?同じ周波数でWの局の信号とチャンポン状態、逸る気持を抑えて暫く受信していると『HK0NA UP 2』の表示、素早く7.040Mhzにあわせ『届け!』と叫びながらマウスをクリックして送信、受信に切替わると『JH5AVM 599』と一発で返ってきた『UR 599 599 deJH5AVM TU』と返すと『JH5AVM TU HK0NA UP2』と完全に返ってきた。



 日中は1時間程、16:00JSTに 土手を散歩に行く為、家を出払ったが それ以外は受信状態、部屋を離れる時は音量を上げ出れば解る状態にしていたが昼間のハイ・バンドではチャンスが無かった。7MHzの交信は非常にラッキーそのもの。その後、数局のJAが交信された様だが、周波数は混線模様、直ぐに聞えなくなった。本物だと嬉しいのだが交信前後の状況からパイレーツも十分考えられる。でも交信して置かなければ先に進まないので騙された場合は『あはは・・・・』と笑うしかない。最近は後日、オンラインのログで交信出来たかどうか?解るので結果は直ぐに判明するだろう。



 其れにしてもRTTYモードは食わず嫌いで100局ほど交信した所でインターフェイスを外して1年程運用していなかったが中々の優れものだ 弱い信号でも意外と解読するし思った以上に良く飛ぶ、ZK2C HU2DX FW0NAR等本日、交信したが全て5回以内の呼掛けで交信する事が出来た。電信よりも応答率が良い感じだ。私も今回の経験からノートパソコンにI・Fを接続、常時運用出来る様にレイアウトを変更した。それと先程の交信で有頂天に成りログの打ち込みはしていたのだがエンターキーを押し忘れデータが消えてしまって『しまった』思ったが後々の為、ファイルにしてHDDにセーブされたのを開くと送信時間まで入って折り一安心した なかなか便利な機能が付いている SSTVを含め今後積極的に運用しようと思った。


男同士の話

2012年02月05日 00時13分50秒 | その他

 今週の火曜日テレビを見ていると家内の携帯が鳴った。義兄夫婦からの一泊の温泉旅行の誘いの電話だった。今日から明日に掛けての香川のレオマ・ワールド内のホテルに宿泊、温泉に入る旅行、実は先々月に行った所なので現段階では解らないと私は返事を保留したのだが?家内は大乗り気直ぐに『私はO・Kと返事したらしい』このホテルは人気が有り特に土、日曜日は予約を取るのが大変難しく空いているのが解れば直ぐに押さえないと他の人に流れるので3人で即座に予約を入れた様だった。



 なま返事の御蔭で私は継子に成ってしまい家で御留守番、実際はマルペロとの交信が順調に出来ない予備日と久しく移動に行っていないので温泉に行く費用で短期の移動が出来るな?の下心が有ったので大人しく御留守番をする事にした。 此れで気兼ね無く1回の移動が『天下御免で出来る運びと成った。』が賢明な彼女はきっと御見透し今頃は生ビールのジョッキを片手に御機嫌で此方の魂胆を暴露している事だろう。



 そんな事情も有り本日は息子と私の2人切り、大学院当時は私も同じ高松で単身赴任、時々御飯を食べながら話をする機会は有ったのだが最近はその様な機会が無かったので息子と2人で外食に出かけた。息子も28歳に成り適齢期、結婚の事や将来の事をゆっくり話をして置きたかったので調度良い機会と思った。最初は嫌がると思ったが意外とニコニコ顔でふたつ返事でO・Kが出た。



 息子は毎日帰りが遅く仕事は真面目にしている様子だが休みの土、日曜日は余り外出をする事も無く時々様子を見ると専門書で勉強しているので親としては皆さんにお役に成っているのか?人並みに追い付いているのか心配だったので聞いてみると安心出来る様な答えが出たのでホッとした。

 

 1年ほど前に話した時には『僕は結婚しない。』と言っていたので心配で聞いてみたが長男としての務めは果たすとの話が出たので安心した。学生時代と違い社会人に成って三年目、実社会に出るとやはり成長しているんだなと感じた。何処かに居た3年間は務めたけど無線が出来ない所で居ても意味が無いと辞表を出した馬鹿な男とは出来が違うなと思った。その意味に置いては少し品種改良が出来たかも解らないが?未だ序の口、この調子で頑張ってくれれば良いと思う 此れから先、仕事が趣味の人間には成るな!若い時から余り御金を貯める事は考えるな友達を多く作れ、何か一生付合える趣味を持つそんな人に成って欲しいものだ。 























 


マルペロとのRTTYでの交信成る

2012年02月04日 22時31分30秒 | アマチュア無線

 此処1週間は国内の追っ駆けを中断、連日マルペロの追っ駆けをしてきた 前回の1990年の段階で出来て居なかったRTTYでの交信を実現させる為、インターフェイスを接続しようとするとノートパソコンのCON-1の端子がメスに成っておりインターフェイス側もメスに成っていて接続出来ない、必要な中間アダプターも見付からず、仕方なくCOM端子がオン側のノートパソコンにソフトを入れ接続して動作テストを開始した 最初の段階で受信は問題なく文字に成ったが送信テストで連続のキャリヤ送信状態になり符合が出ていない状態、オプションの設定を色々変えたが症状は直らず、キャリヤの出ぱなし状態、以前は正常に動作していたのに????



 冷静さを欠き1時間程色々試したが駄目、昼食の時間と成り中断した、食事後、色々考えてみるとRTTYでの交信は此処1年近くしていないが100局以上は交信しているのでインターフェイスの問題では無くソフトの設定が影響してるに違いない。色々思い返すと以前はLSBモードでRTTYの送信をしていた事を思い出し(現在はRTTYモードで使用)はっと気が付いた。オプションの設定のミスが有ったのだ。



 説明書かヘルプを見れば直ぐに解る事だったのにオオチャクをした御蔭で随分無駄な時間を費やした。現役時代は取説やテクニカル・ガイドを見るのが仕事だったのに最近は読み始めても直ぐに嫌になってしまう最近は視力が落ちたせいか歳か?集中力が無くなった。



 昨日の朝から一番交信の可能性の高い24MHzで待受け受信06:50JSTくらいから信号が59プラスに振り始めたので4回ぐらい呼ぶとQRTしてしまった。今朝も4時位から聞きはじめ06:40JSTから急に信号が強く成って此れから呼べると思う所で本日もQRT、オペレーターが変わるのか、一呼吸入れるのか?10分位するとSSBでCQを出し始めた。最初のCQは誰も応答せず其の後の数局はオンフレでQSOしていた。この数日間でSSBはだいぶん需要を満たしたのかもしれない 私は交信していたので呼ばなかったが拍子抜けした。



 其の後 次に可能性の高い21MHzにQSY 07:20JST RTTYで交信、此れがマルペロとのRTTYでの記念すべき交信と成った。数回の呼掛けでコルーバックが有ったので驚いてRSを送る送信時にアタフタした。



 今日は2回目のマルペロDay 其の後 08:36JSTに28MHzのSSBで 18:17JST で10MHzのCW、其の後20:51JST困難と思っていた7MHzのSSBの交信を送り7,150MHz(私のアンテナでどうにか働く最上限の周波数で)ゲット出来た。10MHzは少し不安だが明日辺りのオン・ライン・ログで確認するのが楽しみだ。
 


2012年 1月の交信実績

2012年02月02日 22時40分21秒 | アマチュア無線

 


 今年の年頭に際し『1日に1回の海外局との交信』を第一目標に掲げ挑戦を始めた。過去6年間は国内中心の交信や無線移動運用を中心に展開して来たが自分の目標とした事は本年中に達成出来る予定がたったので本来の海外との交信を中心に進める運用パターンに昨年の11月17日からカムバックした。



 ブログに表を張付ければ良いのだが生来の怠け者、めんどくさいので写真に撮った、最初の写真は昨年の11月17日に思い立って始めてから1月31日までの交信実績、2番目は今年の1月1日から月末までの交信実績である。



 コンディションが悪い悪いと言われ続けた「サイクル24」も真剣に取組むと意外と聞こえている様で約2ヶ月半で海外交信数547で152カントリー(昔の言い方に成るが)と交信出来ている。其れも比較的交信の出来にくい場所カリブ海方面を中心に交信出来た。

 

 細かくは検討していないがカリブではHK0サンアンドレスとKP1が出来て居ないくらいで無いかと思う。信号は総じて強くは無かったが其の分、競合が少なくアンテナ設備の良い24MHzで多く稼ぐ事が出来た。11月の初旬頃から28MHzの状態が良いと聞いたのでハイバンドを聞く様に成ったが少し聞き始めが遅かった事と、28MHzのアンテナが上がっていないので(畑に横たわっている)出遅れの感は有ったがカントリー的にはこれ以上には成らなかったのではと思われる。運用モードはCWが全体の60%位のウエイトに成る。兎に角、久し振りに徹底して各バンドを聞いた様に思う。



 2番目の写真は1月1日から月末までの交信実績で海外交信数185で75カントリーと交信出来ている昨年の年末前のコンディションに比較すると落ちている様だがマルペロ効果で日頃出ていない所からのQRVが有りバンドは賑わっていた。この調子だと3月中旬頃から6月位までは可也期待出来そうだ。28MHzと10MHzのビームを早く上げないといけないと思っているが この寒さでは外の作業をする気にはなれない 年寄った・・・