黄昏叔父さんの独り言

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四国八十八箇所霊場・第45番札所「岩屋寺」

2019年12月12日 19時06分24秒 | 四国88箇所霊場

        



 岩屋寺は愛媛県上浮穴郡久万高原町に在る真言宗豊山派の寺院で山号は海岸山。本尊は不動明王で四国八十八箇所霊場・第四十五番札所。


 此の寺の本堂は標高585m付近に在り本堂の位置で比較すると八十八箇所中、4番目の高さで交通機関を最大利用する者でも30分近く参道を歩いて登らねば辿り着けない車遍路には最大の難所と成って居る。参道途中に夥しい数の石仏が重なり様に置かれて居て、境内には山に向かって右が金剛界峰、左が胎蔵峰と呼ばれる天を突く礫岩峰に挟まれ堂宇は巨岩の中腹に埋め込まれる様で、神仙境を思わせる山岳霊場である。尚、本堂が大師堂より小さいのは山全体が本尊されて居るかららしい。


 寺伝に寄れば、弘仁6年(815年)霊地を探して山に入った空海(弘法大師)は山中で神通力を備えた法華仙人と云う女性と出会う。仙人は空海に帰依して山を献上した。空海は不動明王の木像と石像を刻み、木像は堂宇を建立し本尊として安置、石像は奥の院の岩窟に祀って秘仏とし、岩山全体を本尊にしたと云う。


 鎌倉時代中期に時宗の祖、一遍が此の寺に参篭した事は「一遍聖絵」に描かれて居る。そして、何時からか第四十四番の大寶寺の奥の院とされて居たが、明治7年に初代住職が着任したが明治31年(1898年)に仁王門と虚空蔵堂を残し堂宇と資料宝物の殆どを焼失した。其の後、大正9年に大師堂を、昭和21年に本堂を、同9年に山門、同27年に鐘楼、同38年に宿坊、同53年に迫割不動堂と白山権現堂と順次再建され現在に至って居る。


 私達が此の日に第四十四番札所で納経を終えたのが16時25分頃で先に納経所に入った方が此の寺の住職と思われる方に「出来れば今から第45番さんに行きたいのだが納経締め切り時間の17時までに間に合うでしょうか?」と尋ねられて居た。住職は「参道は可也厳しい道だが貴方ならお若いので少し走れば大丈夫だろう」と答えていた。次に最終の私達が終ると「貴方達は如何するの?」と聞いてこられたので「私達は一度松山市内で宿泊した後、明日、また此方方面に引き返して岩屋寺に参る心算です。」と答えたら「然し、松山市内から明日再び此方に来て岩屋寺で納経すると又、松山市内方向に帰る事に成り午前中の時間は潰れるので其れは余りにも時間的に勿体無い、納経締め切り時間に絶対に間合うとは?云えないが出来れば此れから頑張ってみなさい。普通の歩きだと30分程掛かるが可也急げば15分程で本殿まで上がれるかも?然し少々は参道を走るくらいの覚悟はいるよ!其れと同行の年配の方は無理だから申し訳ないけど諦めなさい。」と優しく行く事を勧めてくれた。


 急いで大寶寺を出て岩屋寺までの距離は車を飛ばして参道への上がり口の駐車場に車を停めて急いで参道を上がり始めたが階段の無い可也勾配のある坂道を私は走りながら登り始めたが此の参道は平坦な部分の無い連続した坂道で直ぐに心臓はバクバク物で最初の200mで早くも息切れが始まった。家内は50m以上遅れて登って来ていたが其の息使いが私にもはっきりと聞こえる位の状態に成って居る。半分くらい?登った処で下山するお遍路さんと対向したので「本堂までは後どれ程ですか?」と尋ねたら「頑張ったら5分程度か?でも走ったら駄目ですよ!本堂手前の最後の石段は可也キツイので歩きなさい。」とアドバイスがあった。そして残り70m位の階段下で私が過呼吸の様な状態に成り一休みして居たら歩いて上がって来た家内が追いついて来たので「もうアカン頼むぞ、先ず納経所に声掛けして於いて!」とバトンタッチをした。家内も可也息が上がって居たが最後の坂をヨレヨレで登り切り、納経所の扉を開ける音のあと「御願いします、御願いします」の絶叫に近い声が下の方まで聞えて来た。日頃の毎日の散歩でも歩きの速さ等で負けた事の無い私だったが最初の段階で坂道を走った事が仇に成り、此の日は家内に完敗し日頃から此処一番で力を発揮しない家内だが「女の執念か?此処一番の底力を見せ付けられた!」以後、此の事で暫くは頭が上がらない状態に成って居る。


 上がり切った納経所で時計を見たら納経締め切り時間まで(17時)10分程度の余りが在ったので参道は約12分程で登り切った事に成り、兎に角、結婚以来、二人が此処まで後先を考えずに必至に頑張った事は初めての事で記憶に残る事に成った。取敢えず先に納経帳と掛軸の記入を頂き外のベンチで休んだが呼吸が落ち着くまでに20分位の時間を要した。其の後に本堂で納経をする時には周囲は可也暗くなりカメラ撮りはストロボを発光させねば写らない状態に成って居た。


 帰り道は足元が見え辛い程に暗く成って居たので転ばない様にゆっくりと下山したが駐車場に辿り着いた時には周囲は真っ暗に成って居た。此の日の段階で四国八十八箇所の巡礼は全体の6割程度の進捗率であったが私には多分、此の第45番札所の「岩屋寺」が其の道中の過酷さと高い場所に在る事から紅葉が綺麗で一番記憶に残る札所に成る事は間違いない様に思える。