黄昏叔父さんの独り言

 アマチュア無線と何でも有りのブログ

鹿児島県大島郡伊仙町の移動運用

2011年11月02日 23時38分13秒 | アマチュア無線 移動運用

      

 

 2011年 5月15日の夕方前、沖永良部島を出港した船は夕方に徳之島の亀徳港に入港したスーパーで食料を買込むと直ぐ薄暗く成り(雨がショボショボ降っていた)其の日の運用は諦め沖縄を出て最初の洗濯をするためコインランドリーに行き其れが終わったのが21時を回っていた様に思う。

 

 亀徳港の駐車場に入る頃には本降りと成り早々と眠りに着いた。翌朝、徳之島を時計周りに伊仙町に行く事にした。地図写真の小原海岸近くの公園に偶然迷い込んだ 寂しい所で駐車場は舗装されていなくハブの居そうな気がしたが(徳之島はハブの多く居る島)人家は無いしアンテナを張るには十分な広さと観光客が訪れるような場所では無かったのでアンテナを設営した。  

 

 この場所での総交信数は671局 21MHzが129局 18MHzが29局 24MHzが2局 3.5MHzのアンテナの切替は夜に成るし雨が降り視界も悪かったのでハブの危険性から運用しなかった。  運用時間は10時42分から15時36分までは21MHz を15時39分から16時21分までは18MHzを 16時42分から21時15分までを7MHzで運用している。途中、町の観光課の方が公園の状況チェックに来られアマチュア無線の話になり伊仙町のPRに成ると感謝された。最後の写真は小原海岸から犬田布岬方面


鹿児島県大島郡知名町の移動運用

2011年11月02日 21時49分53秒 | アマチュア無線 移動運用

    

 


 2011年 5月14日 鹿児島県大島郡知名町で移動運用 

 和泊町の城ヶ丘中学校を出て少し行くと知名町に入った町は農業地帯で田畑が多く和泊に比較して人家もすくなかった。又例により少しでも高い所を目指し山に上って行くと(240mH)頂上部にレーダーやパラボラアンテナやワイヤーアンテナが乱立する基地の建物に出た 後で調べると航空自衛隊の沖永良部島分屯基地だった(写真の場所)近くを車で通行出来たが物々しい門番が居たので長居は無用と少し下がると町営らしい運動場が有ったので運用出来るかも知れないと車を止め釣竿アンテナで聴いてみると案の定 雑音が出ている 特に21.195MHz 当たりの妨害はかなり強烈でアンテナが回っている周期で強いのと少し弱い妨害信号が同じ周期で出ていたので自衛隊からの物だと察しは着いた。何れにしても御上と喧嘩しても勝目は無いので山を下り出来るだけ離れた島の南の海岸線まで下がり運用場所を探した。


 島の南側の住吉に入ると漁港らしい堤防が見えたので入って行くと写真の場所に着いた。人家も無く昼間は釣り人が居たが此処なら気兼ね無く発電機が回せると思ったのでアンテナを設営した最初の写真の岩の前の土が黒くなっている当たりに車を停め前の堤防と平行に成る様アンテナを張ったが撤収前に写真を撮り忘れた。昼間の写真なので解らないが日が暮れると真っ暗、街灯一つ無く闇の世界、流石の何処でも怖い物知らずのAVMさんも少々びびった。


 この場所では総交信数は730局 (内21MHzが90局 3.5MHzが114局 18MHzが66局)伝搬状況も良く15時27分から16時48分までは21MHz で運用、16時54分から17時28分までは18MHz 17時30分から21時42分まで7MHz で21時56分から23時までは3.5MHzで運用、翌朝 05時12分から09時まで7MHzで運用 実に11時間以上運用した事に成る。


鹿児島県大島郡和泊町の移動運用

2011年11月02日 17時35分52秒 | アマチュア無線 移動運用

     


 2011年 5月13日 鹿児島県大島郡和泊町に移動した。与論町をフェリーは昼過ぎに出港、私は乗船すると直ぐにシャワー室に飛込み体を洗った(台風の影響で3日間の足止め湿度が高いので間平さんのギャグの「体が痒いの」状態だった)此れ以降鹿児島までの間、離島には公共の温泉を見つける事は出来なかった。すべて離島を結ぶフェリーの中の有料シャワーを利用する事と成った。ただ徳之島と奄美大島(徳之島では3日半、奄美大島では5日半の滞在)では我慢できず海水浴場の冷水シャワーの洗礼を受ける羽目に成った。シャワー室と言っても表航路は4室位、裏航路(値段の安いフェリー)は1室しかなく衣類を置く棚も無いに等しい状況の設備で有った。



 2009年 北海道に移動した時は新日本海フェリーを使用、移動距離も約1000Km で航行時間もほぼ同じ24時間、料金は半額の32000円、10人位入れる浴槽で23時から朝の6時までは閉まるが其れ以外は入浴が自由、映画の上映も午前と午後に有った。ボヤイテモ仕方ないが「この違いは何なんだろか?」航路の競合が無い事と利用者が少ない事と思うが此れでは船旅の魅力が感じられない 非常に残念に思った。



 和泊町は離島のイメージがあまり感じられず港の近辺もかなり開けた感じだった、移動場所も条件のよい場所が沢山有ったが少しでも高い所が良いと考え小高い丘の上にある城ヶ丘中学校の横の空き地を利用した。此処での総交信数は666局(内3.5MHzは92局)運用開始は16時4分の7MHzに始まり22時までパイルが続いた22時05分から3.5MHz に降り23時08分まで翌朝は5時前から09時まで運用した与論町より数字は伸びていないが運用時間が短いのとHiバンドの運用が無い分だけ7Mhzと3.5MHzに集中できた。特に3.5はアンテナもフルサイズに成り交信数が伸びた。

 

 コイル入りのアンテナは場所を取らずに便利だが局数を稼ぐ場合には選択は出来ない 特に受信能力に差が感じられる。移動局は如何しても飛びに意識がいくが私は受信能力を重視すべきと考える パイルの中で如何に的確に相手のコールサインを取れるか捌けるかは?受信能力に掛っている 移動の目的と場所にも寄るが移動の醍醐味はパイルを如何に捌くか(言葉が悪いが)私の場合は此れに尽きる。それ故に人の行かないレアーな場所に挑戦している。

 


鹿児島県大島郡与論町の移動運用

2011年11月02日 11時21分15秒 | アマチュア無線 移動運用

     

 


 沖縄からのフェリーは正午頃に与論港に着岸、溶岩状の岩が海に突き出た特徴の有る港だった。下船して直ぐに運用場所を探しに島を一周、環状道路を走ると15分位で一周出来る大きさだった。途中のスーパーで食料を買込み港の近くの茶花海岸の駐車場でアンテナを設営運用した。この場所はトイレと冷水であったがシャワー設備あり何より良かったのは近くに人家が無くアンテナを十分に張れるスペースがある事だった。

 

 与論空港近くにも高さの有る良い場所があったが管制塔の近くで遠慮した。この島では台風1号が西側近くを通過したのでフェリーが欠航、最終的に2泊3日の滞在となった。(海の写真は島の南部に位置する 台風の波に洗われる前浜海岸、城跡と琴平神社、そしてブログの最初に書いたラーメンを奢ってくれた土産物売り場の奥さんと出会った百合が浜海岸)



 台風が近くに居たので心配したが強い風も吹かず雨は降ったが問題の無い程度だった2日目の夕刻。曇天の雲の中に1点だけ青空が見え「台風の目」が北上するのがはっきりと見えた。



 与論町での総交信数は776 (うち21MHz が98局 18MHz が18局、3.5MHzが13局)3.5MHzが飛ばなかったのでSWRを測定すると3以上、此れでは飛ばないはず、両端のトラップを調べたら密着巻きのコイルにスパーク痕があり どうも其れが原因らしい。其の後は予備の3,5MHz フルサイズのアンテナの片方を外して2当分し7MHz の終端の塩ビパイプの先にそれぞれ取付け3.5MHz時にはクリップで40m長のフルサイズのアンテナに変更した。無調整でSWRは1.3に下がったが気付くのが遅かった。でも気付いてもあの雨の中では修理出来なかっただろう。其の後の3.5MHz は送受共に格段に良化された。 


 沖縄本島から与論島へ

2011年11月02日 08時57分54秒 | その他

    

 



 沖縄の本部港にA LINEのフェリーが入港、荷物の積み下ろしも無く30分位で出航、生憎天気は小雨が降っていたが、次に沖縄に来る事が出来るかどうか解らないのでデッキに出て沖縄の北端、辺戸岬までの景色を見ていた。(海からの写真は海洋博公園の沖に浮かぶ島)変わっていく景色を見ていると沖縄での色々な出来事を思い出していた。

 

  今回の沖縄の移動運用は私が最初に遣りたかった事だが今考えると移動を始めて3年目、最初は日帰りから其れが2泊なり3泊に成り最初の北海道(1ヶ月)2年目の長野、東北、北海道(2ヶ月半)と徐々に経験を積みながら計画実行して来た事が良かったように思う。其々の移動運用時にも問題点やトラブルは存在したが個々に対応克服する事によりオペレート方法や移動車の居住性の改善や無線設備、何よりも自分自身が精神的にタフに成った様に思う。まさに今回の移動運用は其れ等が試される様な移動だった。

 

 其れにしても今思い返せば色んな事が有った。発電機の不調、沖縄での無線機の故障、米軍基地や米兵との問題、連日にわたるパトカーの訪問と職務質問、ハブに対する注意と対応、此の地方としては珍しい十数年振りの4月30日からの梅雨入りによる悪天候の中で風呂に入れぬ日々、最悪は砂浜からの脱出など本当に大変だった。ただ幸いな事に無線大好き人間なので其の瞬間瞬間は大変だったが苦になる事も無く終わってみれば皆思い出に残る達成感の有る移動運用と成った。


 それから電波の伝搬状況も想像以上に良好だった。正午前後は西日本が聞えるが呼んでも飛んでいない状況だが17時頃から6エリヤが入り始め19時前までは6,5,4エリヤの独壇場 其の後1エリヤが入り始めるが同時に7,8エリヤの信号も入感して居るが此の段階では1エリヤの壁が厚くピックアップ出来ない。従って此の時間帯はエリヤ指定を利用した。20時を過ぎると安定し全国のエリヤ差は少なく成ったが北海道だけは開ける時間が短かった様に思う。其の後、連日23時を過ぎる時間帯でも国内は聞えていた。心配した東南アジアからの混信やトロピカル・ノイズに悩む事も無かった。移動中は夕方の17時から23時までと早朝の5時前後から8時前位の7~9時間の運用を毎日行ったが交信出来なかった方も有った様で申し訳なく思っています。


 最終的に西原町を除く(この町は青柳さんが毎日アクティブに出ておられる)全町村からと少数ではあったがうるま市と南城市から運用した。やがて沖合いに与論島が見え始めると今回の移動運用の目玉、離島からの運用に思いが切替わって「遣るぞ!」と気持が高揚した。