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2023/07/21 名古屋市昭和区史跡散策路「御器所台、寺社コース」を巡る。

2023-07-26 | 尾張文化の会

2023/07/21 名古屋市昭和区史跡散策路「御器所台、寺社コース」を巡る。
   龍興寺→宗圓寺→久松寺→尾陽神社→浄元寺→西福寺→壽栄寺→龍福寺→御器所八幡宮→神宮寺→堪忍寺→御所屋敷跡

✿龍興寺(りょうこうじ) 曹洞宗
 天文2年(1533)織田家に仕えていた御器所城主佐久間盛次が、一族の菩提寺として創建しました。
 昭和20年の空襲で焼失しましたが、昭和53年ごろ藤山雷太(大日本製糖㈱社長などを務めた実業家)により、旧藤山家住宅(東京都港区白金台)に建築されたものを龍興寺に移築し本堂(龍興寺客殿)とした。昭和54年(1979)旧藤山家住宅日本家(龍興寺客殿)で県指定文化財指定を受けた。
 本堂前は入り組んだ形の池を中心にした日本庭園が広がり、本堂とも調和した美しい空間になっています。
 庭の東側に茶室が有り、扁額には「如庵」とあり、犬山市に有る茶室如庵に似せた造りである。
 
入口
 
本堂(平屋の書院と楼閣からなる日本建築です) 
  
泉殿(月見台)書院の南西部に張り出し。
 
楼閣

八角堂
 
茶室(如庵)

✿八大龍王社(はちだいりゅうおうしゃ)
 大正の初め頃まで龍興寺ヶ池(雨池)という大きな池がありました。この池には龍が生息していると言い伝えられていたので、大正5年(1916)頃、土地造成のための排水後この池の守り神をまつる龍神(八大龍王社)がつくられた。
 境内の石碑には「唵 嘛 呢 叭 □ 吽」と刻印されている。
 《六字大明呪(ろくじ だいみょう じゅ)というチベット仏教の呪文で御真言と思われる。》

入口

石碑(「唵 嘛 呢 叭 □ 吽」)
✿宗圓寺(そうえんじ) 曹洞宗
 本尊は十一面観世音菩薩。龍興寺の末寺で、四世白山を開祖です。
 寺の南西には石仏を収めたお堂があり、名古屋市に現存する最古の宝篋印塔(ほうきょういんとう)市文化財が安置されている。

入口

案内板

お堂

宝篋印塔 

✿久松寺(きゅうしょうじ) 曹洞宗
 戦国時代(1550年頃)の藤原忠利(駿河守)が御堂を建立した。元和2年(1616)藤原氏の末裔・前田家の菩提を弔うため、その末裔・奥村庄左ヱ門が再興しした。
 本尊は阿弥陀如来で、他に延命地蔵菩薩、弘法太師が祀られている。

山門 

本堂

✿尾陽神社(びようじんじゃ)
 尾張藩初代藩主徳川義直と徳川慶勝を祀る神社で、明治43年(1910)名古屋開府300年を記念して創建されました。
 徳川義直の別名を「尾陽公」と言い、この神社の名前になっています。
 ここは嘉吉年間(1441から1444)に佐久間家勝が築城した御器所西城跡です。

鳥居と標柱

総門

案内板

拝殿

御器所西城址
 
石垣(御器所西城址の石垣)
 
稲荷大明神

✿浄元寺(じょうげんじ) 曹洞宗
 龍興寺の末寺で永禄年間(1558から1569)正躰浄元を開祖です
 ここは茶道賣茶流(ばいさっりゅう)の家元でもあり、寺で茶会が催されます。

山門

本堂
 
茶室  家元の額

✿西福寺(さいふくじ)浄土真宗
、天長6年(829)弘法大師が真言宗寺院として建立し永禄5年(1562)浄土真宗に改宗しました。
 境内右手に上部の欠けた標柱が立っています。昭和20年の名古屋大空襲で吹き飛ばされたもので、戦争の悲惨さを伝えています。

山門と標柱

傷ついた標柱

本堂

✿壽栄寺(じゅえいじ)曹洞宗
 明治初年(1868)に創建です。
 東側に地蔵堂があり、出世地蔵のいわれを持つお地蔵と、弘法大師、不動明王尊、観世音菩薩、延命地蔵大菩薩、重軽地蔵尊などが安置されています。

本堂

地蔵堂
 
お地蔵

✿龍福寺(りゅうふくじ)真言宗
 普照尼(八事興正寺が創建された時の開祖の生母)が創建した寺です。
 本尊が地蔵尊です。地蔵尊は、山伏が寺の柳の大木から弘法像三体をつくり、尾張3箇所に安置したひとつで、尾張三弘法の元祖といわれます。
 また、お遍路めぐりの名古屋二十一太師霊場の第20番です。

山門

本堂

第二十番札所案内板

✿御器所八幡宮(ごきそはちまんぐう)
 創立年代不詳ですが、一説には平安時代前期に仁明天皇の勅願社とされ、熱田神宮鬼門方位の守護として鎮座されたとも言われます。
 鎌倉時代に御器所西城を築いた佐久間家勝が鎮護神社で、徳川家康は小牧・長久手の戦いの前に必勝祈願をしたと伝える。
 境内に菅原道真公を祀る御器所天満宮もある。

御器所八幡宮の鳥居と標柱

御器所八幡宮拝殿 
 
御器所天満宮の鳥居 

拝殿 

✿神宮寺(じんぐうじ)真言宗
 御器所最古の真言宗の寺院で、嘉祥3年(850)熱田神宮鬼門除けの修法祈願所として創建された。

本堂 

✿堪忍寺(かんにんじ)
 徳川家の家臣、保忍法浄(ほにんほうじょう)が開いた寺で、寺名は「堪忍の心」という家康の家訓から名付けたといわれています。戦後、西区から現在地に移された。

本堂
 
✿御器所東城跡
 
城跡

✿御所屋敷跡(ごしょやしきあと)
 秀吉の母、大政所の在所と言い伝わるところで、敷地内には「御所屋敷跡」と彫られた石柱がある。

標柱 『御所屋敷趾』

標柱 『傳曰 持萩中納言宅跡豊公母・・』

案内板
名古屋市教育委員会の立札「伝豊臣秀吉母宅跡」
   以上

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