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『西洋近現代史研究入門』 増補改訂版 2001名古屋大学出版会

2015年10月15日 | 西欧近現代史

              ▲『西洋近現代史研究入門』 増補改訂版 2001名古屋大学出版会  定価3200円+税

 

『西洋近現代史研究入門』 増補改訂版 2001名古屋大学出版会

 

『西洋近現代史研究入門』 増補改訂版 2001年 名古屋大学出版会

 

 史学科の学生ではなかったので、直接西洋近現代史に関する本を系統的に読み漁ることはなかった。関心のある時代や、テーマは、もっぱら、新書の類ですませていたから、のちに、中央公論社の『世界の歴史』2009年、『岩波講座世界歴史』で、ある時代のテーマを掘り下げて読むとなるとさすがに、参考書目の参照や世界史関連の知識が足りないと痛感するようになった。現役で仕事が忙しいうちは、直接仕事に関係しない世界現代史については、あくまで、数ある趣味の一部にとどまっていたから、その知識や、視点が櫛欠け状態であっても、体系的認識に欠けていても何も不思議なことはない。しかし、世界の近現代史を自分流に読むにしても、過去の近現代史の研究成果を通観する必要を感じていた。

 

ということで、「日本の古本屋」や。「紫式部」などで、「西洋近現代史入門」と打ち、検索してみると、たいしたヒットしない。それではと、各大学出版局ではどうかとあたると、私の探している内容と趣旨に近い本が名古屋大学で出していることがわかった。『西洋近現代史研究入門』という名称だった。

高校まで習う世界史は、その教える先生の熱意によると思うが、受験技術の長けた先生などにあたると、授業で脱線しないで暗記技術やノートの作成に留意するので、試験の成績はよくなるものの、「世界史とは解釈の歴史であり、それもある時点の解釈が常に入り込んできていて、その解釈の仕方は絶えず審問に付されるべき解釈であるかもしれない」などという(無駄話のような)問は、ついに発見しないで終わる。

あらかじめ設問と正答が用意されている世界史というのは強引じゃないのとか、ほんとうの歴史はどうして、ほんとうだと問えるのか、と、またどうしてそれが、どうして大事な問なのかなどと問うことをしてはならない。はみ出してはならない。という教育上の配慮に添って、矛盾だらけのイデオロギーの配慮に満ち満ちたよみものが教科書だったのだね。

高校時代の歴史や、社会の先生の授業にはどうもなじめず、ただただ反抗をくり返す、泥沼の高校時代を過ごしたのだが、東京へ出て、ある日、古本屋で考古学の本棚をみていると。

『知の考古学』という本が、考古学の本棚にあるのが目に入りこんできた。ちょうど新刊が出て、出版社から直接仕入れるとすこしばかり安く入手できるのか、高円寺の駅前近くにあったその古本屋では新刊の定価より、1割~1割5分くらい安かったのだろう。頁をめくると、構造主義の旗手として、当時、関心が急上昇だったミシェル・フーコーの主著だった。ぱらぱらめくると、知識や認識の変化も、あたかも、考古学の地層のように、堆積し、断層を起こし、隆起したり、陥没をを起こしている。それが、たった今現れた断層のように、明晰に見えた。

『知の考古学』を古本屋の主人が読んだ上で考古学の棚に意図的に置いたのかどうかは私は知らない。頁をめくった癖がなかったので、これは当時売れそうと思い、出版社から直接買い入れ、新刊特価で店に出しておいたものだろうか。あるいは、楽しみつつ、その棚に置いたものだろうか。

私は前から考古学に関心があり、大学でも考古学の講座はとろうと思っていたのだが、棚の配置の思わぬ巡り合わせか、フーコーの新しい戦略なのかわからないが、見事に、「考古学と認識の変化という歴史堆積」とが、異種交配してしまったというか、何とも学問とも呼ばれない境界のあたりに関心を呼び起こされてしまったのである。

不思議な植物があるとしよう、下をみると、考古学という根をはった植物に見えるのだが、その茎から上方に目を追っていくと、上の方には、言語学や、認識論、哲学などなどの花が咲いているのである。

広い分野に関心がある以上有限な学生時代という極小の時間に配分すれば、当然浅い勉強になるのはあたり前のことだが、現象学・美学・言語学・論・記号学・神話学・象徴論などは、歴史の事項を読むのにも大いに役立ち、参照すべき関連分野なのだということを知り始めて学生は時間切れで終了。

底の浅い、行き当たりばったりに出会った乱雑な読書のその目で、世界史の事象や史料にあたると、これまで教えられたり、みたと思っていた世界史とはまた違った、私なりの色眼鏡で見えるものではある。幾分かは、教科書に書かれた記述には見えてこない歴史の断片の記憶を自己流に甦らせることができるかもしれない。

 

 『西洋近現代史研究入門』に付された参考文献は、増補改訂版の2版では巻末に125頁にわたり掲載されている。正確にナンバーを振って数えたわけではないが、1頁あたり40文献とすると、5250となる。複数の世界史専門分野を異にする著者の執筆なので、だぶりもあるだろうが、およそ総数5000ほどの参考文献が掲げられている。なかなかの数だね。中国史・中東・アジア・アフリカなどは含んでいないのだから、これを加えると、大学の歴史教師が掲げる、学部の卒論での参考文献は優に1万を超えるだろう。これは近・現代史分野に限る文献数であるから、原始・古代・中世を加えると史学科学生に勧める歴史文献はさらにあと1万ほどの文献が加えられるだろう。

この本は、1993年の初版から数えて2番目の、2001年に出版された「増補改訂版」であるが、今では2006年に第3版が出ているようだ。頁数にして48頁増頁されているので、2005年頃までの新著の文献が追加されているのだろう。研究の進展の解説部分も含んでの増頁なので、文献部分はその半分くらいとして、25頁前後の増加とすると約1000冊の文献資料の追加となる。初版は430頁だから、解説も入れてこの十数年で、110頁も増加している。

しかし1993年から、2001年にかけての増加ほどではない。日本の経済のピークが1997年、文系学部の学生も減少に転じているから、歴史学の教師も、人文系の書籍の出版・需要も減少にむかっているのだろうか。

今の学部学生は、親の給料が下がるのを、みてみぬふりもできず、アルバイトにも励むので、学生時代はなかなか本を丁寧に読む時間も余裕もなくなっているようだ。それも、就職用にとダブルスクールを早い学年からしているのでなおさら、現実の要請から自由な読書などができない状態だ。大学の教師も勉強の指導にと、クラスの親睦も兼ねて先生の小遣いから補助してゼミの飲み会などを開こうとしても、学生のバイトの時間制約でクラス会が開けないと言っている。卒論を書いて、学生時代に時間を費やす人は、大学院を最初から目指す人ゆとりのある人に限定されつつあるのかもしれない。学術書は売れなくなるし、それでますます本の単価が高くなる悪循環に陥っている。

 

 

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 ▲目次

 

 つづく

 

追加

マレーシア航空MH17便の事故調査のこと

 

このところ、パソコン周辺に本が溜まり過ぎ、辞書も探している本も見つからず、あげくに本につまずき、あわや捻挫かと思うほど、足首を挫き、本棚の整理をはじめる。ようやく、転ばない程度に片づいてきたのだが、思いがけず、整理に時間を費やしてしまった。気がつくと、9月の連休からブログを更新していなかった。

そうこうするうちに、シリア・IS問題や、難民問題など、さらに、2014年7月に起きたマレーシア航空MH17便の事故調査の報告書が出たというニュースが10月14日飛び込んできた。

まだ報告書も、日本語訳としては刊行されていないので、これから詳細な検討が必要だが、この事件の問題は、歴史史料としてとか言って、慎重に史料が出揃ってから、などといって、真相解明を10年も先に棚上げしていよい問題ではない。

ナチス・ヒトラーがファシズムに向かって、着々と支配の牙を剥きだした一連の陰謀事件とパラレルな問題として、緊急に真相解明と対策に取り組むことが必要な事件である。

でなければ、ロシアをまでも標的にした世界最終戦争を目論む狂気じみた集団の工作の思うつぼである。

アメリカには、想像を絶するほどの謀略計画を国益と称して、何はばかることなく計画するウルトラ右翼官人・軍人層とそれを支える経済集団が確実に存在している。

(ケネディ大統領に対して参謀本部義長レムリッツァーと三軍の指揮官が連名でキューバ侵攻を提案、実行を迫った計画には、米軍の戦闘機をキューバ軍の飛行機に見えるように塗り替え、偽装して、キューバの領海内でキューバ軍が、アメリカの船舶を襲撃したことにして、世論を動かし、キューバ侵略を正当化する自作自演計画が存在していた。このあからさまな陰謀はケネディが計画を却下し、計画は実現されなかったが、ノースウッズ作戦として陰謀史に名高い)

この60年前にもさかのぼる時代から存在していた、一連の工作計画のパターンをみると、アメリカ主導で実施されたウクライナ・クーデター後に起きたウクライナ東部内戦の膠着状態を一気に打開し、世界世論を有利に導くための起爆装置であった可能性がないとは言えないのではないだろうか。

今のところ、多くの報道機関はマレーシア航空MH17便の事故調査の報告書発表については、オランダ主導・発表の第1報を報じているだけだが、もともとプロパガンダが背景にある事件とおぼしいので、先端から最後まで、細心の留意をもって、ニュースや報告書や、報告者の背景をチェックする必要があるだろう。

西欧の情報は、産経・読売・朝日・毎日・共同通信・時事通信・BBC・CNN・ウォールストリート・ジャーナルなど日本語でも読めるものは多いが、一方の批判攻撃された当事者でもあるロシア側の情報は、日本では相変わらず表にでるのは少ない。目にしやすい与えられたものだけを拾い読みして出来事を判断すると、知らず知らず欧米寄りのプロパガンダ通りの事実認識で固まってしまう。

西欧情報からだけではなく

ロシアからみた情報を、また、オランダが中心となった事故報告発表についての見解の相違については、下のホームページは参考になる。

ここ 

http://jp.sputniknews.com/politics/20151013/1028028.html

 

https://www.rt.com/

 

参考youtube はここ▼ロシアのブークミサイル製造会社の実験記録から得られた見解が発表されている

https://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=j8_VSygcTCI

 

https://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=0chzWT5XSJk

 

 今後、

1 マレーシア航空機MH17便を追尾していたとされるスホイ2機の行方と事実の真偽、

2 ウクライナ管制塔で勤務していたスペイン人管制官の証言聴取は事故報告書に記載されているのか。スペイン人管制官は、管制塔が、スホイが航空機に近い所を飛行していたことを確認していたことまた、管制塔がウクライナ軍人に監視されていたと、ソーシャル・メディアに記していたはずだが。このスペイン人の管制官その後どうなったのだろう?

3 ウクライナ管制塔の会話記録は、航空機のレコーダーとは別に管理記録が保存されてあるはずだが、どうなっているのか。古い航空機のレコーダーは、エンドレスタイプで、上書きされ30分しか記録に残らないかもしれないが、生きた人間は、強迫でもされなければ、記憶が30分でとぎれることはあり得ないであろう。ウクライナ領空に入り、上空を飛ぶ航空機との交信は、管制官は当然管理しているわけである。航空機の安全のため、細心の留意を払い、レーダーを監視し、航空機との交信を記憶しているはず。もし事故報告書に管制官の記録が盛られていなければ、何か強い強制力が働き、記録が抹消されたと言うしかないだろう。事故報告書の中に、時系列できちんと管制記録と、管制官の証言聴取が記載あるいは削除されているのか留意しよう。

4 事故調査報告書の委員の国別構成と出自と背景 構成はオランダ・ベルギー・オーストラリア・ウクライナ。これでは、ケネディ暗殺事件の後の調査機関、「ウォーレン委員会」の構成メンバーみたいだ。キューバ問題の失敗でケネディに首を切られて深く恨んでいた人物や経済界の意向を受けた人物が構成メンバーが委員では、報告書の結論が見えていた。この例と同様にマレーシア航空事故調査委員会に、当事国としてウクライナが加わる場合、右翼民族派が、軍隊・治安維持・司法の主要ポスト握っているウクライナで、管制塔の記録や、管制塔職員の証言記録に隠蔽・工作の疑いを払拭するのは到底不可能とみなければならない。ウクライナ東部独立派とロシアを悪魔に仕立てあげたい動機ははっきりしている。またオーストラリアは、犠牲者がいて真相解明には参加が必要と考える関係国であるが、政治の主流のスタンスは、日本と並んで明白なアメリカの属国である。アメリカの使い走りをするしか生きる道はないと観念している国家でもある。

5 ミサイルが、ロシア製であっても、親ロシア勢力がミサイルを撃ったとは断定できない。ロシア製ミサイルは、ウクライナでは最新型のものでなければ、ウクライナではロシア製ミサイルは現在でも配備されている。

6 航空機に撃ち込まれたミサイル年式の詳細な特定。

7 マレーシア航空機を追尾していたとされる、スホイ軍用機からの銃撃や、ミサイルの発射は本当になかったのか。

8 攻撃機の可能性と合わせ、パイロットなど操縦室乗務員の傷跡の解剖所見、体内に残る弾痕や、破片の種類と内容の確定

9 ミサイルが発射されたとして、その爆破位置は、航空機の進行方向や機体とどういう位置関係にあるのか。また機体の傷跡との整合性は論理的に保たれるのか

10 ミサイルの発射位置は、当時の内戦状態の中で、ウクライナ側と、親ロシア側の勢力の中で特定できるだけの根拠が提示されているのか。

などが問題になってくるだろう。

 

 

 

 

 



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