恐懼に堪えない日々

【恐懼】(きょうく)・・・ おそれかしこまること。日々の生活は恐懼に堪えないことばかりですよね。

正直が一番

2005年07月08日 | 所感とか
まぁなんですか、人には失敗するってことはよくあるわけです。
で、失敗した後に思うこと。
もう同じミスはするまいっていう反省の念も生まれますが、
人間の中にある負の部分ではいかにこれを大事にせず、
何とか言い訳で取り繕って責めを負うことを軽減しようとか、
隠蔽してなかったことにしてしまおうっていう風に向くこともあります。
そりゃマズイことがバレることなく何事もなかったかのようにできれば、
自分自身も何ら責められることもないので、それは自然の流れ。
しかしまぁ、それが後になってバレると更にマズイ状況になるわけね。
失敗をすんなり認めて謝罪したほうがマイナスポイントはセーブできますからね。
ワシントンと桜の木がいい例ですな。あれはフィクションらしいけど。

現在の自分が背負っているマイナスポイントをうまい具合に0にするか、
下手をしてバレてしまって倍にしてしまうか。
これはある意味で賭けな部分ではありますが、
内面が弱い私にしてみればどうしても目先の利益に捕らわれてしまいます。
一言詫びを述べて頭を下げればたいしたことない問題であっても、
それが後で、しかも隠蔽を図ったことも含めて明るみになると、
本当にどうしようもない状況に追い込まれてしまったり。
企業の中で小さな不正があったことが発覚したものの、
これぐらいは、とばかりに隠蔽することを覚えてしまい、
後になってマスコミがその積み重なったそれを報道して追及し、
最初の不正だけではそんなに非難されなかっただろうに、
ってぐらいの非難を甘んじて受けなければならなくなってしまう、
といったような構図そのまんまな状況ですね。

一度嘘をついてそれが通ると、今度はその嘘をつき通さなければならず、
嘘の上に更に嘘を塗り固めていくといった風になるわけですね。
嘘という虚構の上に自分を立たせ生きていくのも苦痛ではありますが、
こうなるともはや自分自身でその膿を出すことができなくなり、
第三者の荒治療でもって何とかしなきゃならなくなる、と。

こんなことになるなら最初から正直に言っておけばよかった、
という思いは今まで何度か経験のあることではありますが、
それでもついつい目先の保身を考えてしまう自分の姿に、
なんとも情けない思いがしてしまう今日この頃。
意志は強く持ちたいものの、それが実行できない自分への葛藤。
何となく凹んでしまいますね。

関係各所の皆様方にご迷惑をおかけしましたことをお詫びいたします。
恐懼謹言。
コメント
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