グレートノーザン鉄道

アメリカのグレートノーザン鉄道の実物(歴史、資料等)と鉄道模型(HO:レイアウト、車両)に関するプログです。

オリエンタルリミテッド100周年!

2005年12月12日 | 実物・歴史
ちょっと過ぎてしまいましたが、2005年12月5日は、オリエンタルリミテッド誕生100周年でした!
オリエンタルリミテッドは、100年まえの1905年12月5日に走り始めました(gngoat掲示板情報です。Wood’s Bookでは1905年1月に走り始めたとの記述もあります)。
Wood’s Book第5章の記述は、
「シアトル~セントポール間を58時間で結ぶ1905年のオリエンタルリミテッド(列車No.1及び2)は、ライバルのノースコーストリミテッドの走行時間より4時間半早かった。ノーザンパシフィック鉄道はもちろん両都市間の本線距離も長く、ロッキーでは厳しい勾配と、より高い峠を越えていた。列車自体は非常に似通っていた。これは、両鉄道の車両とも同じ会社-プルマン、バーニィ&スミス、アメリカンカー&ファウンドリー(ACF)によって建造されたものであったから驚くには当たらない。また、数ヶ月前まで、NPは「Hill Line」の一部であり、ノースコーストリミテッドからオリエンタルリミテッドのヒントを得ていた。「単一」を示す最後尾のサインは、中国に源を発する赤と黒のデザインで1900年頃からNPのトレードマークとなっていたものである。両方の列車とも、先頭の車両(荷物車等)、座席車、食堂車、寝台車、展望車から構成され、通常8両編成であった。食堂車は「イングリッシュパブ」風の雰囲気を特徴としていたが、寝台車と展望車はビロード張りで絨毯も敷かれ、輸入木材で華美に飾りつけられていた。オリエンタルリミテッドの多くの寝台車は、東洋の地名-トウキョウ、ヨコハマ、マニラ、フーチョウ、フジヤマ-の名が付けられていた。他の車両は、Hillと一緒にSt. Paul & Pacificを設立した初期の仲間の名前が付けられ、また、そのほかの車両は、沿線の地名-タコマ、カシミア等-が付けられた。展望車は特別な名前は付けられず、単に「コンパートメント展望車」のタイトルを掲げていた。」です。
 ちなみに、上の写真は、1929年1月12日に初めて新カスケードトンネルを通過するオリエンタルリミテッドです。


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