ホルマリンのマンネリ感

札幌出身苫小牧在住、ホルマリンです。怪しいスポット訪問、廃墟潜入、道内ミステリー情報、一人旅、昭和レトロなどなど…。

三十路記念の旅 西と南の果てへ その9

2024-02-17 01:35:28 | 旅行(道外)2020~
3日目 午後1時 ~おじぃの宿~

アーケード街でのお土産選びにゴーヤチャンプルー。
石垣島ですっかり沖縄旅を満喫しているが、もともと本日は与那国と波照間とのインターバル的な位置づけなので、午後の予定は全く決めていなかった。
せっかく晴れているので美しい石垣の砂浜でも見たい。
空港で入手した無料ガイドブックをめくっていると、ぼんやりと聞き覚えのある地名が目に入った。

島南部のフサキリゾートとその中にあるフサキビーチ。
ここ、14年前の沖縄修学旅行で宿泊した場所ではなかったか。
特徴的なパラソルと桟橋。確か夕方の自由時間に友人らと砂浜を散策し、南の島の夕陽に感動した記憶がある。間違いない。
そして沖縄料理のバイキングで人生初の海ブドウを食したのもここだったはず。

石垣島での一番の思い出を辿りに、ここへ行ってみよう。



石垣港バスターミナルから路線バスに乗り20分ほど、「フサキビーチリゾート」で下車し、リゾートのエントランスに到着した。
このあたりはいかにも南国らしいリゾート施設が点在しているが、ここはひときわ立派だ。
入り口に立っていたボーイに聞いてみると、隣接するフサキビーチは宿泊客以外でも利用可能で、リゾート内も自由に散策して良いとの事。
豪華なフロントに恐縮してしまうが早足で通り過ぎる。



ビーチを目指し外へ出ると「アクアガーデン」と「ビーチサイドプール」が一面に広がり、見事なまでに完璧な南国リゾートの景色に感動してしまった。夢の中にいるみたいだ。
ここは友人グループや恋人と宿泊したら一生の思い出になるだろうな。
私と同じバスで下車したサンハットにサングラスのTHE・バカンスなカップルが宿泊手続きをしており、とても楽しそうだった。





プールサイドから、ついにお目当てのフサキビーチへ。
白い砂浜、エメラルドグリーンの海。一気に沖縄の旅らしくなった。
やはり14年前に訪れたのはこの砂浜だった。





印象深かった桟橋とパラソル。ここも大変「映える」風景だ。
友人らと歩いた時も天気は晴れていて、雲の切れ間から海に夕陽が降り注いでいた。
そして砂浜にいた女子たちの写真を撮ってあげた気がする。
思い返せば私もちゃんと青春していた。


砂浜に面した宿泊エリアも少し見物させてもらう。
1棟1棟が独立してコテージのようになっており、宿泊サイトなどで調べてみると目が飛び出るほど料金が高い。
高校生の私はこんな豪華な場所に泊まらせてもらったのか……。両親への感謝と申し訳なさでいっぱいになる。

時々、ゴルフカートのような送迎車とすれ違い、旅行ガイドやインスタから飛び出て来たかのようなグラサンの女子グループが楽しそうにしていた。
やはり小汚いバックパック姿の私はここには似つかわしくないな。
宿泊者でもないのに長居するのは気が引けるので、この辺で失礼することにした。
またいつかお付き合いしている人と来たいな。




午後2時半のバスで終点のフェリーターミナルまで引き返し、そのまま待合室のベンチで3~40分ほど爆睡してしまった。
どうやら昨日の与那国島一周の疲れが残っているようだ。

まだ夕方だが、予定より少し早め、予約している宿へチェックインさせてもらうことにした。
観光地化が著しい石垣島はリゾートホテルしか無いと思っていたのだが、旅行前に調べてみると意外にもバックパッカー向けのゲストハウスやドミトリー(相部屋の宿泊施設)がそれなりにある。料金も1500円台からと格安だ。
今回の旅では石垣島はあくまで島旅の拠点。宿泊場所の条件は「フェリーターミナルに近いこと」だけだったので、格安宿で旅費を浮かすことにした。
ただ、さすがに相部屋は気を使って疲れる……という事で、カプセルホテルとドミトリーの中間のような施設を見つけたので連泊で利用させてもらう。共有のシャワールーム付きで宿泊費は1日2000円。


午後5時、フェリーターミナルから徒歩圏内の宿泊施設に到着し「すみませ~ん」と声を掛けるも、奥の宿泊スペース以外消灯されていて、スタッフが誰もいない。
ロビーで食堂も経営されているようだが、厨房も無人だった。
予約サイトのじゃ●んに載っていた携帯番号に掛けるとオーナーと思しき男性が出て、どうやら近くに別館(本館?)があり、こちらには常駐していないようだ。
宿泊手続きのためにこっちへ来てもらうことになった。

数分待って現れたオーナーのおじぃは島人らしく浅黒く日焼けしているが、人のよさそうな笑顔がまぶしい。
棚に置かれている宿泊カードに名前を書いてポストのようなボックスに投入し、これでチェックインは完了。入館時は対面での手続きがそもそも不要だったらしい。
「おにいさんは現地精算?カード支払い済み?」と聞いて来たので宿泊者情報を把握していないようだ。少し心配になる。


そして半個室のベッドが並ぶ宿泊部屋も利用方法が独特。
ホワイトボードの一覧を頼りに使っていないベッドを自分で探し、利用中である旨ボードに自ら記入する。
清掃がいまいち行き届いていない感じもあるが、安いのでここは目をつぶろう。

とりあえず自分のベッドは確保できたようなのでくつろいでいると、入り口の方から「すみませ~ん」と微かに聞こえる。
ついさっきの私と同じ状況か。おじぃはまた別館に戻ってしまっているようだ。
いつまでもおじぃが現れそうにないので私が様子を見に行くと、私の向かいのベッドで寛いでいたと思しきおじさんも出てきた。
どうやらこのおじさんは長期滞在中で、宿の独特のルールをよく分かっているようだ。チェックインの説明はおじさんに任せて一件落着した。

おじさんに少し聞いてみると、彼も当初は利用法が分からず混乱したようだが、寝泊まりするうちに「徐々に全貌が分かってきた」という。
話しているうちに小柄な別のおじさんが現れたのだが、聞くと彼はここのスタッフ。
宿泊者と一緒に寝泊まりしながら、ここの管理を行っているそうだ。なんじゃそりゃ。面白すぎる。


午後6時。おじさんにこの周辺の食事処を訪ねると「よければ一緒にご飯行きます?」と夕食に誘ってくれた。宿から10分ほど歩いたところにある定食屋でサンマの塩焼き定食を頂く。

おじさんは若そうに見えたが、年齢は60台半ば。
仕事を早期退職し、独身で資産も十分にあるので老後の生活を自由に楽しんでいるようだ。
東京在住で、石垣島に来た理由は「寒い冬が嫌だったから」。
格安航空ピーチの最も安い便で往路、復路それぞれ選んだところ、日程は1か月に。
今日で滞在2週間ほどらしいので、東京へ帰るまであと半分くらいか。
日々ジョギングや銭湯、新しい食事処を開拓したりと気ままな毎日のようで羨ましい。次は沖縄本島へ行きたいと仰っていたので、こういった何も背負わない老後生活も楽しそうだ。

帰り道もおじさんとの会話を楽しみ、途中コンビニで石垣島のご当地乳酸菌飲料「ゲンキクール」を購入した。
石垣市内の「八重山ゲンキ乳業」で生産しているもので、紙パックの見た目は生クリームだが、カツゲンと森永マミーを足して薄くしたような味であった。

次回、波照間島、渡れるか?
続く。

三十路記念の旅 西と南の果てへ その8

2024-02-14 00:52:00 | 旅行(道外)2020~
2024年1月16日(3日目) ~島渡り人~

午前7時ごろ起床し宿の外に出ると、今日もどんよりした曇り空。そして風が強い。
スマホで調べてみると飛行機の運航に影響は無いようだが、強風で海が時化ているのだろう、石垣港では西表航路など欠航が出ているらしい。なお波照間航路は一部運行未定の状態。
波照間島へは明日の朝一で向かうので、何とか1日の間で天候が回復してほしいものだ。
本日はこのあと石垣島へ戻り、軽く観光してから石垣島内の安宿に泊まる予定だ。


8時15分、与那国島を発つ同じ飛行機に乗るK岡さん、N村さんと合流し、宿のおじさんの車で空港まで送ってもらう。
道中、あの小さなプロペラ機の欠航率が気になったのでおじさんに聞いてみると、台風シーズンを除き風の影響はそれほどのようだが、雨天時に霧がかかり離着陸できない状況がそれなりにあるそうだ。

そのほか宿の利用状況も聞かせてもらったのだが、国境の島である与那国島では現在、自衛隊駐屯地への増派に伴う拡張工事が行われており、石垣島や九州などから来る作業員の長期利用が大半だという。
旅行シーズンには町が公民館の体育館を開放し、来島者へはテント泊をお願いすることもあるそう。
今回はたまたま工期の狭間だったため空室があったが、2月から工事関係者の長期滞在でしばらく満室が続くようだ。
図らずも良い時期に島を訪れることができたようで運が良かった。


空港で宿のおじさんにお礼しお別れ。
K岡さん、N村さんと共に午前9時5分発のRAC742便へ乗り込む。
今回は八重山諸島がよく見えるという進行方向右側の座席を取っている。N村さんは最後部のようだが、何とK岡さんは偶然にも私の隣の席であった。2人で驚きつつ笑い合う。

飛行機は無事に定刻通りに離陸し、すぐに祖納集落と「ティンダバナ」が眼下に見えた。
楽しかったな……。





与那国島から遠ざかるにつれて次第に雲が無くなっていき、機内から八重山の島々を眺めることができた。
島の面積298.62平方キロメートルと八重山諸島で最も大きい西表島はかなり入り組んだ形をしているのが分かる。本島に隣接する2つの小島は「内離島」「外離島」という名らしい。
西表島上空を過ぎると「牛の島」と呼ばれる黒島や、2つの島からなる新城島などが次々と現れ見飽きない。
約30分のフライトはあっという間に終わった。


午前9時40分、石垣空港に到着し、到着ロビーでK岡さん、N村さんと再び合流。
名残惜しいが、与那国島でのわずかな時間を過ごした2人とはここでお別れだ。
私の旅はまだまだ続くし、2人はこのあと別々の飛行機でそれぞれ神戸と京都へ帰る。

「ありがとう」。N村さんが深々と頭を下げる。
「こちらこそ。孤独な旅になると思っていたけれど」。私もお礼を述べ、K岡さんが笑った。
一人旅はこういった思わぬ出会いと交流があるからたまらぬ魅力がある。
またどこかで会えることを願って3人は解散した。


再び一人になった私は、旅後半の拠点となる石垣市中心部へ向かうべく、空港から路線バスに乗車する。


午前10時47分、石垣市街にある終点・石垣港バスターミナルに到着した。
波照間島をはじめ各離島への船が発着する石垣港フェリーターミナルまでは徒歩数分である。
高速船に乗って波照間島へ渡るのは明日(日帰り予定)だが、乗り場など下見のため立ち寄ってみることにした。



ターミナルの乗り場ではタレントで元ボクサー、具志堅用高の銅像がお出迎え。
1955年に石垣市で生まれた具志堅氏、説明版には功績と共に「石垣市の英雄」の文字があった。
石垣島に来た際には外せない記念撮影ポイントである。


そして波照間島行きの乗り場を確認し向かってみると、未だに運行未定状態の午前11時45分発の小型船が停泊していた。
2024年現在、波照間航路は1日に3往復出ており、石垣港午前8時発と午後2時半の便は比較的大きめの高速船で運航されているのだが、午前11時45分発の真ん中の便はご覧の小ささ。
昔は全便がこのサイズだったそうだが、この小型船がまた恐ろしいほど揺れて船酔いするらしいのだ。
実際、港に停泊している今ですらも大きく上下動している。
揺れが怖いので明日の波照間航路は往復ともに大きい船を利用させてもらうつもりだ。

このあと運行状況をもう一度確認してみると、結局この日の午前11時45分発は欠航となっていた。



午前11時過ぎ。フェリーターミナルに近い中心市街地を少し散策してみることにした。
観光客向けに飲食店や土産物店が多く立ち並んでおり気分が高まる。



ターミナルから歩いて数分の場所にある「ユーグレナモール」は日本最南端かつ島内唯一のアーケード商店街。2本の通りからなり、石垣市公設市場を中心に土産物店が多く立ち並んでいる。
定番のシーサーの置物やスイーツ、アルコール類など、どの商品もカラフルで楽しい。これぞ沖縄である。
しばし友人らへのお土産探しを楽しんだ。


アーケードのすぐ近くに雰囲気の良い島料理のお店を見つけたので、ゴーヤチャンプルー定食で昼食とした。
ゴーヤチャンプルーは14年前の沖縄旅行でも体験済みだが、豆腐や卵のおかげなのかゴーヤの苦みは思ったほど強烈でなく私は好きだ。
そして一緒に調理されたスパムが美味しい。ずいぶん昔に我が家でスパムを食べたことがあり、その時は独特の塩気が苦手だったのに。これも年齢の経過による変化なのか。
沖縄にいる間にもう一度スパムを試してみよう。

次回、思い出の場所へ。
続く。

三十路記念の旅 西と南の果てへ その7

2024-02-09 01:24:05 | 旅行(道外)2020~
2日目 午後1時半 ~龍の背~

「自転車で与那国島一周」完走までもう一息という所まで来たが、ゴールの祖納集落へ戻る前にもう1か所見ておきたい場所があった。
今にも雨が降り出しそうな中、島一周道路から細い脇道に入るとすぐにお目当ての光景が現れた。



道路わきに年季の入ったコンクリートの構造物が密集している。
まるで遺跡のようだが、これらは全てお墓。ここは「浦野墓地群」と呼ばれるエリアである。


沖縄のお墓は本土民が見慣れる四角柱型のものに対し規模が大きく、独特な形をしているのが特徴。
昨日、祖納の集落を歩いた時もあちこちで見かけ、どれも存在感があった。
屋根がなめらかな曲線を描いているものは「亀甲墓(かめこうばか、きっこうばか、カーミナクーバカ)」と呼ばれる。
亀の甲羅に似ていることからこう名付けられているが、実はこれは母体を模したもの。
「人は死ぬと子宮へ帰る=子宮回帰」の思想から生まれたという。
墓地内には大小さまざまな亀甲墓がある。



中には家のような四角い屋根を備えたものもあり、こちらは「破風墓(はふばか、ハフーバカ)」と呼ばれるものか。

亀甲墓、破風墓ともに斜面に造られているものが多いが、これは沖縄に「風葬」の文化があったことに関係している。
自然形成された洞窟や掘った横穴に遺体を運び入り口を封じる。もともとはこのような「掘り込み墓」であったものが、その上部を装飾し亀甲墓となっていった(17世紀後半~)。
遺体は数年後に一度墓から出し洗骨、厨子甕(ずしがめ)と呼ばれる骨壺に収められ墓の中に並べられる。
白骨化するまで遺体を安置する場所が必要であったため、沖縄の墓は大きいのだ。
ちなみに戦時中はその大きさと構造から防空壕としても使用されていたらしい。



与那国島ではいまも風葬の文化が残っているというから驚きだ。
島に火葬場が無いことが関係しているのだろうか。
白骨化した遺体へ行う「洗骨」には海水や泡盛が使用される。
度数60度の「花酒」が与那国島でのみ製造が許されている理由は、こういった島内の儀式にも深く関係しているためなのだ。

小高い丘から海を見下ろせるこの浦野墓地群は「死者の都」とも形容される。
上記の風習を思いながらひとり歩いていると、確かに死がとても近く感じる。
この場所にはあまり長く居ない方がいいのかもしれない。私は逃げるように墓地を後にした。



墓地の片隅に小さな砂浜があり、美しい風景に思わず引き寄せられてゆく。
その小ささから「四畳半ビーチ」という名がついている。
島の人の愛称は「あぶひてぃ浜」。「あぶ」はおばぁ、「ひ」は女性器、「てぃ」は愛称。



波打ち際まで降りてみると、確かに「秘密の入り江」とでも形容したくなるような小ささ。
そしてぶ厚い雲に覆われたこの天気でも息をのむ綺麗さである。
ただし風が出てきたためだろうか、中々に波が高い。
岩々にぶつかり白波が高く上がり、ここでも私は歓迎されていないかのように思える。


午後1時50分、そそくさと浜を後にして進むとすぐに祖納集落に入った。
もはや見慣れた「ティンダバナ」が家々の向こうに見え、戻ってきたのだとホッとする。
何とか雨に当たらず、無事に与那国島一周を成し遂げたのだ。


共同売店で飲み物を調達した後、天候は心配だがまだ時間があるので、与那国空港までの往復4キロを追加することにした。
というのも、島一周中に自分や職場へのお土産を買いたかったのだが、良い土産物店が見つからなかったのだ。

再び自転車に跨り、15分ほどで空港へ。地面が濡れていたので、この辺ではざっと一雨あったみたいだ。
昨日クーポンを貰った売店で職場への菓子と、ぜひ入手したかった「日本最西端到達証明書」(500円)を無事に購入できた。これは島内でも売っている場所は少なそうで、なかなか入手困難なアイテムかもしれない。
売店のおばぁが良い人で、店の利益そっちのけで「いかにクーポンでお得に買い物できるか」を計算してくれた。結果、計3000円の買い物でクーポンが3枚使用でき、半額で1500円。なんとありがたいことか。



午後3時、空港から祖納集落へ戻り、最後の目的地へ。
県指定の名勝、集落を見下ろす岩山「ティンダバナ」(標高100メートル)だ。
側面の岩が窪んでいる部分が展望場所になっており、歩いて行けるようだ。島に横たわる銀の龍の背といったところか。


てっきり麓から山道が延びているのかと思ったが、近くまで車道が通じているようで、急坂を自転車を押して登って行く。
所々雨で濡れた道は、路肩に生える南国の植物のせいだろうか、やけにヌルヌルしていて滑る。
帰りに下る時は注意しないと……などと考えながら10分ほどひたすら登ると、ティンダバナの入り口に到着した。



すでに展望台部分の標高まで登ってきているらしく、あとは平坦な遊歩道を歩くだけのようだ。
高台にあるためか、先ほどから風が強くなってきている。ここでも私は良く思われていないのか。


岩が張り出した遊歩道を5分も歩かないうちに、麓から見えた岩がえぐれた展望場所に到着した。
狭い一角に木製のベンチが備え付けられてある。



標高は低いにも関わらず、ベンチからの眺めは中々のものだ。祖納集落を一望できる。
白い砂浜はナンタ浜、その向こうは祖納港、さらに向こうは東シナ海だ。
いつのまにか波がかなり高くなっているのがここからでも分かる。明日以降の天気が不安になってきた。


展望場所の先にも岩場の遊歩道が続いていたので行き止まりまで歩いてみる。
島の祭事で供えられるという湧き水があり、詩人・岩波南哲の詩が刻まれた2つ目の展望場所で終わりとなっていた。


午後7時。
夕方に自転車を返却し宿に戻って休憩後、眠い目をこすりながら食堂へ向かうと既にN村さんがいらっしゃった。
今日は私の少し後に同じ店で自転車レンタルしたようだが、まずは島を縦断し祖納→比川へ向かったそうだ。
聞くところによると、その後は反時計回りで一周した後、再び島を縦断して比川→祖納へと戻ってきたというから私よりかなり距離を走っている。島一周ならぬ「島θ周」といったところか。
私より40歳近くも年上だというのに恐れ入る。

その後はK岡さんも加わり2夜目の宴に盛り上がる。
K岡さんは自転車ではなく中型バイクをレンタルし、私とは正反対の時計回りで島を一周したようだ。どうりで遭遇しなかった訳だ。
そして気になる「人面岩」の感想だが「あれは絶対に全身が地中に埋まっている。ラピュタのロボット兵としか考えられない」と興奮した様子だった。

「与那国島一周はお互い自慢になるのお。もっと飲みぃや」。
N村さんが祝杯とばかりにオリオンビールを注いでくれる。先ほど空港の売店で購入し、部屋の冷蔵庫でキンキンに冷やしていたので非常に美味しかった。
明日の朝イチで与那国島を発つが、もうこの島に思い残すことはなさそうだ。


次回、3日目。石垣島へ移動。
続く。

三十路記念の旅 西と南の果てへ その6

2024-02-07 01:59:43 | 旅行(道外)2020~
2日目 正午 ~晴れのち曇り~



美味しい八重山そばで早めの昼休憩を終え、島の東側を走破すべく比川集落を出発した。
地図を見ると東側半分は山林が広がっているようで、道中に人家は無く道は険しそうだ。
案の定、集落を出るとすぐに長い上り坂の山道が始まり、たまらず立ち漕ぎをすぐ諦めてしまった。


延々と続く坂道を自転車を押してとぼとぼ登ってゆく。
近年は車移動が中心になってしまい、自宅と職場の10分程度しか自転車に乗っていない私は慢性的な運動不足。当然、札幌~稚内間を走破した10年前の体力などあるはずもなく、すぐに息切れし汗もかいてきた。
老けたな……。

自転車を押すのもうんざりしてきたが、道端に現れた案内看板によると島の最東端「東崎(あがりざき)」まで残り6.5キロ、意外と近い。
そして東崎の写真を見てすぐに気力が戻ってきた。
この場所、敬愛する赤瀬川原平氏が雑誌のインタビューで語っていた「訪れて最も感動した秘境」ではなかったか。
恐らくそうだ。楽しみになってきた。

上り坂がようやく終わると、次は長い下り坂。
ブレーキ性能がやや不安な自転車なのでスピード控えめで下る。それでも澄んだ風を感じて気持ちが良い。
自転車での移動はこういったご褒美があるからよい。



上り坂、下り坂がいくつか繰り返されるうちに路肩の高い木々が無くなり、視界が開けてきた。
振り返ってみると昨日、祖納集落の向こうに見えた日本最西端の山「宇良部岳」が左後方に見え、移動距離を実感する。

何個目かの長い下り坂を下っていると、けもの道の入り口に立つ「人面岩」の看板が後ろに流れて行った。
ここか、昨日K岡さんが話していた場所は。
入り口に自転車の類は止まっていなかったと思うが、すでに探検済みか、それともいま現在探検中なのか。
人面岩は私も気になるが、山道をハイキングしなければならないそうで今回は体力的にパスだ。
夜にK岡さんに会えたら感想を聞いてみよう。



坂を下りきったところで振り返り、人面岩の眠る森を振り返ってみる。
高さ2メートル、幅3.5メートル、奥行き3メートルの人面岩は与那国海底遺跡の関連調査により平成14年に発見されたのだとか。
それにしても、またもやあの恐竜映画を思い起こさせるようなダイナミックな風景だ。


午後12時半、島の南部の景勝地である「立神岩」の展望ポイントに到着した。
ベンチのある小さな場所から見下ろしてみると、断崖のすぐ真下に高さ25メートルの立神岩を見下ろすことが出来た。少し積丹の神威岩を思い出す。



少し進んだ場所にコンクリートの屋根つきの展望台があり、こちらからは立神岩を島南部の雄大な地形とともに遠く望むことが出来た。
立神岩にはその昔、海鳥の卵を採ろうと若者がよじ登ったものの降りられなくなり、神に祈りながら眠りにつくと翌朝には戻ることができたという伝説がある。

そして岩の向こうに見える飛び出た岬は「新川鼻」と呼ばれる場所で、ここの沖合約50メートルの場所に海底遺跡が眠っている。
1986年に発見され、東西約250メートル、南北約150メートル、高低差は約25メートルという大規模なもの。階段構造が見られるなど石の巨大神殿のような構造をしており、謎多き場所としてオカルト好きを魅了している。
与那国島はロマンの宝庫だ。


午後12時45分、立神岩からさほど離れていない場所にある「軍艦岩(サンニヌ台)」に立ち寄る。
小さな展望台から眺めてみると、確かに軍艦のような角ばった巨岩が波打ち際に横たわっていた。

この辺りからみるみるうちに雲が多くなってきて、小雨が腕に数滴落ちてきてすぐに止んだ。
天気予報の通りだ。このあと雨が降ってきてしまうのか。
早めに島一周を成し遂げたいところだが、目指す東崎を目前にして再び上り坂が現れたので道端で15分ほど休憩した。


午後1時、中々に疲れが溜まっているが、島の東の突端「東崎」入り口に到着した。
広い駐車場に自転車を停めて歩いていくと、東崎灯台がある先端部分が見えてきた。
相変わらず人はいないが、開けた草原には再びヨナグニウマの姿があった。
そういえば先ほど2か所目のテキサスゲートがあったな。



西の突端が「西崎(いりざき)」で、ここ東の突端が「東崎(あがりざき)」。読みの由来は太陽の「上がる・入る」だろうか。わかりやすい。
そして、やはりこの場所は赤瀬川原平氏が挙げていた場所だ。
確か岬の突端で島のおばぁ達が民謡を歌っていて、その光景が現世離れしていてすこぶる感動した―と書いていたな。来れてうれしい。
今日は残念ながらおばぁは居ないが、四頭のヨナグニウマが出迎えてくれた。



遠慮なく近づく私を威嚇するでも怖がるでもなく、相変わらず地面の草をのんびり食べ続けている。
年中暖かくストレスの無い離島で育ったからこその余裕なのだろう、みな穏やかな顔をしていて羨ましい。
島の外を全く知らないまま一生を終えるとはどのような感覚なのだろうか。そもそも、先ほどの西牧場の馬とここの馬でさえ一生顔を合わせることは無さそうだ。
自分の人生とまるっきり違いすぎて不思議な感覚になる。



東崎からゴールへ向かう西側、つまり祖納集落の方向を望む。
島一周の4分の3以上まで来ているので、ゴールの集落まで遠くはないだろう。
道が険しくないことと、なんとか天気が持ってくれることを祈る。


所々にヨナグニウマが歩く草原の道を15分ほど走ると、Dr.コトー診療所のロケでも使われたという「六畳ビーチ」の入り口を見つけた。
白い砂の道に誘われて少し入ってみる。.


ドラマでは「秘密の海岸」というポイントらしく、崖の上から砂浜を見下ろすことができる。
見事なエメラルド色だ。
ここからつづら折りの細道を降りて波打ち際まで行けるようだが、向こう側から嫌な色の分厚い雲がどんどん近づいているので早々に切り上げた。

次回、2日目ラスト。
ティンダバナへ行く。

続く。

三十路記念の旅 西と南の果てへ その5

2024-02-05 00:46:59 | 旅行(道外)2020~
2日目 午前10時 ~絶海のコトー~

日本最西端の石碑と展望台で3~40分ほど旅情に浸っていたが、K岡さんやN村さんは現れなかった。
追いつかれるかなと思っていたのだが、いったいどこに居るのだろうか。


最果ての風景に満足したので、相変わらずのマイペースで島一周を再開する。
西崎から坂を下って一周道路へ戻ると、すぐにレンタサイクル屋のおじさんが言っていた「テキサスゲート」が現れた。
この辺りは南牧場線という名の通り、島の固有種の「ヨナグニウマ」が放牧されているエリアで、敷地の外へ脱走しないように道路に深い溝が掘られているのだ。
おじさんに言われた通りに自転車を押して通過すると、確かに道路一面に馬のものと思しきフンがそこらじゅうに落ちている。

しばらくはその姿が全く見当たらず、天気が悪くなるからどこか屋内で過ごしているのかな?と思ったが、そんな事は無かった。
車通りのほとんど無い路上を歩く数頭の群れが見えてきた。





与那国町指定の天然記念物となっているヨナグニウマは日本在来馬の1種。
西の最果ての与那国島という場所柄、外来の馬との交雑が少なく在来馬としての純度はかなり高いという。
体長は120センチほどと小柄である。
現在の生息数は110~120頭ほどなのだそうだ。



道路から目を凝らすと、海に迫る岩肌のあちこちにも草を食む姿が。すごい光景だ。
立ち入りが禁止されている訳ではなさそうなので、草原に足を踏みさせてもらい近づいてみる(馬糞に注意)。



ヨナグニウマはかなり温厚だという話は聞いていたが、どの馬も近づく私には全く動じず逃げもしない。
その性格から、かつては農耕や移動の足、荷物の運搬などの役目で島民に重宝されていたという。



なかなかに足のすくむ絶壁が迫る。
まるで絵葉書のような光景だ。


牧場の中を15分ほど走ってゆくと、自転車で走るのが楽しみだったポイントが現れた。
フジテレビのドラマ「Dr.コトー診療所」で、吉岡秀隆演じるコトー先生が自転車で快走する海沿いの道だ。



名作と名高い「Dr.コトー診療所」のドラマは「志木那島」という架空の島が舞台だが、実はロケ地は与那国島。
残念ながら私はリアルタイムでドラマは見ていなかったのだが、この旅に出る直前、2022年公開の劇場版が本当にたまたまテレビで放送されていたので、予習とばかりに視聴した。
完全なるニワカだが、コトー先生の人柄や小さな島ならではの人間模様はもちろん、へき地診療の現状や課題もテーマとなった見応えある作品であった。
作中に映し出される与那国島の絶景が、今回の旅を強行する後押しにもなったかもしれない。


午前10時45分、南牧場を抜け、宿泊している祖納のほぼ反対側の南に位置する「比川(ひがわ)」の集落に到着した。
これで島の西側をほぼ半周したことになる。案内板にはコンクリ製のヨナグニサン。

土産物を扱う共同売店やあちこちに飲食店があるなど、比較的観光に力を入れているなという印象。
それもそのはず、大きな案内看板を頼りに集落の端まで進むと、そこには「Dr.コトー診療所」の「志木那島診療所」が建っていた。



こちらはまさにドラマと映画に使われた建物そのもので、2003年にフジテレビが撮影用セットとして建てたもの。
台風にも耐えうる頑丈設計で造られ、撮影後も観光地として活用されているのだ。
無人だが、入館料300円を払い内部が見学できる。




島民が集い団らんしていた待合室や受付など、画面の向こうに名優たちがいた光景が目の前に広がる。
2003年のシーズン1から追っていたらもっと感動していただろうな。
下駄箱にはコトー先生の草鞋もあった。この草鞋のエピソードがまた感動ものらしいので、帰ってから履修しようか。



コトー先生が診察を行う事務室。白衣を着て記念撮影もできる。
建物は当時新築で建てられたが、美術スタッフの手によって年季の入ったような塗装や汚れが施された。
棚に並ぶ薬品などの備品は昭和の実物を集めたのだろうか、色あせ具合などリアルで目を見張る。



コトー先生の自転車(初代)と2006年版の特大ポスターもあった。吉岡秀隆が若い!
事務机の上には小道具のヤシガニラーメンもあった。劇場版では高橋海人くん演じる新人看護師が食べていたね。


病室の窓からは、これまた作中によく登場する「なあた浜(比川浜)」がよく見える。なんと写真映えする場所だこと。
難破船が印象的だったが、撤去されてしまったのだろうか?見当たらず。

見学中、ちょうど観光バスで年配の団体さんが入ってきた。
ゆっくり見物したかったのにタイミングが悪かったな……と思ったが、小さな診療所内で老人たちがにぎやかに笑いあう光景は、まさに志木那島診療所のそれであった。
少しだけ撮影時の雰囲気が味わえたので、これはこれで良かったか。


午前11時、少し早いが、朝から何も食べていなかったので集落内で昼食。
診療所からすぐ近くの「お食事処さとや」で八重山そば(1000円)を注文した。
分厚い豚肉の角煮と与那国産のカマボコが乗っている。これは美味しかった。
1000円以上で1枚使える、空港でもらったクーポン券のおかげで半額の500円で頂くことができ嬉しい。

さて、島を半周し、私が見たかった場所はほぼ行くことが出来た。
ここから島を縦断して祖納の集落に戻ることもできるが、まだお昼前だし天候も大丈夫そうなので、このまま東側の半分も周ることにした。
地図上ではこの先、ゴールの祖納まで集落は無さそう。ここで昼食をとって正解だったかもしれない。

次回、島の天気は変わりやすい。
続く。