新型コロナウィルスの影響で3月の太極拳教室、経絡ストレッチ教室ともに、利用している施設がすべて休館!スケジュール変更の連絡を何度したことか!である。
教室がお休みになったから時間が出来た、この際行こう!と思った美術展や映画もほとんどが休館になって(!?)、せっかく空いた時間もどこにも行けない。。。週に4日ほどの教室が無くなって、曜日の感覚がズレること!(ついでに時間の感覚もズレてる!マズイ!!)。こうやってやがて人は呆けていくのかなぁ〜。。。
それでもこんな騒ぎになる直前の3月1日(日)、桜木町の紅葉坂ホールで上演された「罪と罰」を観た。京都を拠点として活動中の劇団「地点」による、ドストエフスキーの「罪と罰」の舞台劇である。
パンフレットによると、この作品は「罪と罰」を演出してほしいというロシアの劇場からの要請を受けて「地点」の代表である演出家・三浦基氏が手がけた舞台で、今年6月にロシア・サントペテルブルグの「国立ボリショイ・ドラマ劇場」のレパートリー作品として、現地の俳優による上演されることが決定しているという(!)。それに先駆けての日本での初上演である。あの”暗〜い重〜い”「罪と罰」がどんな芝居になるの〜っ!!??であった。
幕が開くと、俳優達がステージ上に組んだ廊下、階段、バルコニーなどをお互いを指さし合い、あるいは一人で、「あ〜っ!」「あ〜っ!」「あ〜っ!」っと呼びかけながら歩き回っている。
明確なストーリーが語られることはなく、「あ〜っ!」という他には、「見てましたよ」、「知ってます!」という言葉が随所に発せられるだけ(ほとんど)。。もちろん、ラスコーリニコフ役、ソーニャ役の俳優はいるが、ここでは誰が、何を、はあまり意味がないように思える。
それよりも舞台を歩き回る役者達から発せられるそれらの短い言葉が、観る側の心に様々な解釈を刻む。。。
高校生の頃に読んだ「罪と罰」を思い返しながら、ワタシ的には、狭義では「キリスト教的倫理や哲学が根付いていない日本人にとって、罪と罰という感覚そのものが理解しにくい」と感じたが、同時に、物語り性を取り払って抽象的に表現することで今日性をもって伝わることはあるのだなとも思った。
(※今ふと思った。津久井やまゆり園で起きた知的障害者大量殺人の植松被告は、ラスコーリニコフなのかも知れない。。。植松被告にとってのソーニャはいない。。)
舞台を観るのはかなり久しぶりだったが、ワタシとしては言葉を排除した身体性だけの表現に惹かれる。ということをあらためて実感したのでありました。
このチラシに惹かれたの!
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