izumishのBody & Soul

~アータマばっかりでも、カーラダばっかりでも、ダ・メ・ヨ ね!~

時間予約で国立近代美術館に。「ピーター・ドイグ展」を観る

2020-06-25 15:15:52 | アート・文化

外出自粛制限が出て以来、どこもここも閉館になっていた美術館・博物館・映画館が再開した。

休館にかかって見逃した展覧会もいくつか。待ちに待った再開!で、まずは近代美術館の「Peter Doig ピーター・ドイグ展」。日本初の個展だ。

主要な美術館は、まだどこも時間予約による人数制限をしている。空いた時間にプラッと寄るのが習慣だったので、時間を決めて予約、というのはとっても苦手。でも、近代美術館は大々好きな(!)原田直次郎の「騎龍観音」の絵があり、時々それを見たくて出かけていっていたところでもあり、「ピーター・ドイグ展」は興味があったので、頑張って14:00の回で予約。

時間をずらして入場させているので、館内はほどほどの人数。人が気にならない程度にゆっくり鑑賞できた。

 

ピーター・ドイグは、1959年エジンバラ生まれ。トリニダード・トバコとカナダで育ち、ロンドンのチェルシー・カレッジ・オブ・アート・アンド・デザインで修士号を取得し1994年、ターナー賞にノミネート。2002年よりトリニダード・トバコ在住の、今最も”旬”の現代アートの画家である。

彼の絵は、どれもタッチが暖かく、どこか懐かしく、それでいて今までこんな感覚の絵は観たことないナと思わせる新しさがある。

例えばある作品では、ゴーギャンやマティスを思わせる素朴で力強いタッチが印象的だし、また別の作品では、画面を上下三等分にして景色と水に映るその景色とが渾然一体となってそこに非現実的な風景が現れていたり、しばしば描かれるモチーフである小舟は「13日の金曜日」からのモチーフだったりと、現実と想像の世界が反転しているかのような錯覚に陥るが、それがとても懐かしい感覚でもある。

微妙な色合いの組み合わせで色彩豊かに描かれた「スキージャケット」という作品は、日本のニセコスキー場の新聞広告を元に描かれている(!)し、「ラペイルーズの壁」という墓地の壁沿いに歩く男を描いた作品は「小津安二郎監督の映画「東京物語」における”計算された静けさも念頭に置いて描いた”とのことで、じっと観ていると日射しや乾いた空気、音の消えた昼下がりの匂いなどを感じることができる。

ピーター・ドイグは、トリニダード・トバコで「STUDIO FILM CLUB」という私設映画上映会を主催していたが、その上映作品のドローイングが素晴らしく(!)ワタシ的には一番親しみを感じた。展示会場の最後、出口に到る廊下の両側に、額に入ったそれらの絵がズラッと並んでいる。「気狂いピエロ」、「真夜中のカウボーイ」、「羅生門」、「暑いトタン屋根の上の猫」、「Stranger than Paradise」・・・etc. 写真や広告、映画などから着想を得て作品を描くというピーター・ドイグの作品群を観ていると、何だかワクワクしてきて自分でも絵が描きたくなってきた。 

 

ピーター・ドイグの現代アートを堪能して、コレクション展4階に。1890年制作の原田直次郎の「騎龍観音」は今日も入口を入った正面に立っている。荒ぶり岩に打ち寄せる波しぶき、大胆な構図で描かれた龍の動きと眼の輝き、龍の頭に立つ観音の気品に満ちた表情と身に纏う衣の軽やかさ。。。絵全体はドラマティックで大胆な動きがあるが、とても静謐な雰囲気に満ちている。コロナの自粛やら混乱やらが収まらない今、いつにも増していろいろな思いが沸き上がる。

今回は、「騎龍観音」の隣りに展示されている岸田劉生の「道路と土手と塀(切通之写生)」にもなんだかとても惹きつけられた。

切り通しの土手の土が盛り上がる坂道と白い柵と黒い石壁、上り切ったその上の青い空。。。これまでも観ているはずなのに、これほど圧倒的な強い力を感じたのは初めて。”大地の胎動”、というのか、”生きてるって素晴らしい”というのか(月並みだが!)、そんな言葉が素直に出てくる。

その時の心情や社会的状況や、観る人観る時によって、絵は様々に見える。どちらも重要文化財指定作品に指定されているのだが、時代を超えて伝わってくるものが確かにある。そんな初歩的なことにも改めて気がついたほとんど4ヶ月ぶりの美術館でありました。

 

 

 


やっと読んだ!ルシア・ベルリンの「掃除婦のための手引き書」。

2020-06-17 13:25:25 | 本と雑誌

ルシア・ベルリンの「掃除婦のための手引き書」(岸本佐知子 訳 / 講談社)は、2020年の本屋大賞翻訳小説部門第2位 (それに第10回"Twitter文学賞”海外編第1位)を受賞している。去年からずっと読みたいと思って、amazonの買物リストに入れておいた本だ。

「なんだろう〜?」と思わせる不思議なタイトルと、古い映画のような雰囲気のカバー写真がシックで知的。24編のお話からなるこの本は、作者自身の体験に根ざした様々なシーンが淡々と、壮絶に思える場面でもどこかユーモラスな醒めた目線で、詩的な物語になって描かれている。

アラスカで生まれ、鉱山技師だった父についてアメリカ各地の鉱山町を転々とし、第二次世界大戦に伴う父親の出征でテキサス州エルパソに移り、そこで”腕はいいが酒浸りの歯科医の祖父”の元で、母親と叔父もアルコール依存症という貧民街という環境の中で育ち、終戦後、両親と妹と移り住んだチリのサンチャゴではお屋敷に召し使いつきの豪奢な生活を送る。。。。

その後、N.Y、メキシコ、カリフォルニアに住み、その間、教師、掃除婦、電話交換手、ERの看護師などをしながらシングルマザーで4人の息子を育て、アルコール依存症を克服してからは刑務所で受刑者に創作を教え、1994年にはコロラド大学の客員教授となり、最終的に准教授になるが、子供の頃に煩っていた脊柱側湾症側彎症の後遺症による肺疾患が悪化し、ガンのために68歳で死去する。ルシア・ベルリンの生涯は、それだけでもう圧倒される。

 

ERの看護師の目線で書かれた「わたしの騎手」はたった2ページの短い作品だが、最後の2行が素晴らしい。「暗い部屋で二人きり、レントゲン技師がくるのを待った。わたしは馬にするみたいに彼をなだめた。「どうどう、いい子ね、どうどう。ゆっくり・・・ゆっくりよ・・・」彼はわたしの腕の中で静かになり、ぶるっと小さく鼻から息を吐いた。その細い背中をわたしは撫でた。するとみごとな子馬のように、背中は細かく痙攣して光った。すばらしかった。」

1ページと2行(!)、という短い物語もある。「まだ濡れているときはキャビアそっくりで、踏むとガラスのかけらみたいな、だれかが氷を囓ってるみたいな音がする。」”マカダム”という道路の舗装の素材がタイトルになっていて、それがとても印象的な情景を創り出している。精錬所から吹いてくるテキサスの赤土。埃が舞う道路。。。行間から土埃の匂いとテキサスの暑さが伝わってくる。

 

「深くて暗い塊の夜の底。」で始まる「どうにもならない」も好きな物語だ。

「酒屋もバーも閉まっている。彼女はマットレスの下に手を入れた。ウォッカの一パイント瓶は空だった。ベッドから出て、立ち上がる。体がひどく震えて、床にへたりこんだ。このまま酒を飲まなければ、譫妄が始まるか、でなければ心臓発作だ。」。

部屋中の小銭を掻き集めて、朝の6時からやっている歩いて45分かかる酒屋までなんとか行きつき、息子たちが目を覚ます前に家に戻る。。。。13歳の息子がいう「どうやって手に入れたんだよ、酒」。。。まだ明け切らない暗い朝の通りを、道路のひび割れを数えながら、倒れそうになりながら、よたよたしながら歩く彼女の姿は、ずっと昔に観た映画「酒と薔薇の日々」のラストシーンを思い起こさせる。(「酒と薔薇の日々」は1962年のアメリカ映画。ヘンリー・マンシーにの美しい主題曲が有名だが、内容はアルコールに溺れていく男女のシリアスで哀しい内容。リー・レミックが演じる壊れていく女性の姿が切ない)。

 

どこから読んでも、何度読んでも、簡潔で無駄のない文章がその時その場の情景をまるで眼の前に見るように描きだす。行ったことのないチリやメキシコやアリゾナの暑い空気や色が感じられ、やりきれない思いや絶望感、諦めなどが背景と一緒にくっきりと立ち上がる。”絵を描くように文章で表現する”という言葉を思い出す(翻訳の素晴らしさも見逃せない!まるでルシア・ベルリン本人が直接日本語で書いたようなキリッとして淀みのない美しい文章!)。

こんな本は時間があるときにゆっくり、味わいながら、丁寧に読みたいものだ。本の中に入り込んで、物語の主人公と一体化するような読書は、今回のコロナウィルスの自粛のお陰と言ってもいいかもしれない。

 


太極拳教室、やっと再開!細部をチェックして身体の動きを正しく確認。。。しないとね

2020-06-10 13:45:32 | 太極拳

コロナウィルスの緊急事態宣言を受けてスポーツ施設などが休館になって3ヶ月。太極拳教室も経絡ストレッチ教室も、6月に入ってやっと再開した(*^。^*)

 

まずは、6月4日(木)川崎の楊式太極拳教室に参加し、5日(金)6日(土)は陳式太極拳の指導、8日(月)は経絡ストレッチの指導。。。始まるとやっぱりスケジュールに追われる日々だ。

スポーツ施設はどこも、事前に2週間前からの体調チェックシート提出要請があり、参加者分をまとめて書き込み、当日は朝の検温をして、施設によっては入り口で検温、更衣室は利用停止。再開したのは一部のスペースだけで、体育館主宰の各種スポーツ教室とトレーニング室は利用停止中。。。広い体育館もガランとしてまだ人気はない。

会場は冷房を入れて窓や戸を開けて換気。終了後は、触ったところをアルコール消毒。できればマスク着用、であるが太極拳も経絡ストレッチもそれはムリムリ、苦しくなっちゃうよ!どこの施設もかなり神経質。まだまだ油断できないコロナ感染である。

 

自粛期間中、ワタシは陸 瑶先生のYOU TUBE のライブ配信とその後のオンラインレッスンで細かいカラダの動きはやっていたけど、実際に広い場所で、同じ仲間と、一緒にカラダを動かすことの晴れ晴れとした気持ち良さに勝るものはない。

「3ヶ月のブランクがあるから、最初はゆっくりやりましょ」と言ってはみたものの、ついついキッチリやってしまう。。。性格だから仕方ない。。思えば太極拳を習い始めてこれまで、適当にやる、流す、ということは決してなかった。

 

その時その場でやることに集中して、習い始めのある時期は”死んでもいいや!”と思いながら、凄〜っく頑張って腰を落として低く、足幅を広く、かなりキツイ練習をしてきて40年である(!?)

最初に王西安老師の指導を受けに陳家溝に行った時、王老師は低く低くを要求した。「もっと足幅をとって低く!」である。太腿は床と水平、膝下は垂直に(!)である(これ、かなりキツイ!!)。低い姿勢で開胯をとると大臀筋やら中臀筋やら、お尻の筋肉も使うことになる。。練習が終わると筋肉痛で階段の上り下りが「あッツッツッ!!」で一段ずつしか足が出ない。。。(その頃のある時、練習後に仕事の打ち合わせがあり事務所のある麻布十番に向かったのだが、六本木駅から麻布十番に向かう階段がどうしてもッ降りられなくて(痛くて足が動かなかった)、すごすごと引き返したことがあった(゚∀゚)!)。今思えば、そんなこんなのお陰で脚力がついたし、そうやって下肢が安定すると上体の力も抜けて腕の関節も緩んでくる、ということがカラダで確信が持てるようになった(最近だけどね)。

 

そういえば、自粛中のライブ配信では、陸先生が細かいポイントをちょこちょこと指摘してくれるのだが、一番最初に足を開くところも(開足という)、しばしば「足は腰幅に開く」と言われるが実はこれは男性の場合。女性は肩幅よりも腰(骨盤)幅の方が広い(出産するから)。中国武術や太極拳が出来た当時は、これらは男がやるもの。身体の使い方の基準は当然男性だ。陳式を習った当初「足幅はやや広めに」と教わったが、”やや広めに”というのがどういうことか、それを聞いて初めて納得!!であった。女性は骨盤幅、と思えばいい。これなら「肩幅よりやや広めに」になるね。これまでず〜っとやって来て、こんなにハッキリ聞いたのは初めてだ!

また、太極拳では「外三合」といって、「手と足、肘と膝、肩と腰の三箇所を合わせる」。と教わるが、これも「ただの場所じゃない。関節が合う(=噛む)ように、緩めていく」と言われた(!)。

確かに、言葉に拘るとただ外見だけで判断しがちになるが、自分の身体の中をよく感じてみると”関節がハマ”るところがある。股関節が”噛む、ハマる”ところに収まると下盤が安定して自然に胯は円筒になる。わざわざ手と足、肘と膝をそろえようとしなくても、外三合は出来上がる。ここっきゃない場所!がある。”やる"じゃなくて"なる"のであった😊 

ついでに言うと、ワタシ的には「肩と腰」というのは、「肩と骨盤」と思った方が良いのでは?と思うのだ。”腰”というのは理解の仕方がハッキリしない。日本人は腰というとヒップと思いがちだが、正しくは腰というのは腰椎の周りのこと。ウエスト周りーと思っていいだろう。

手と足、肘と膝、というのは関節(骨)であるからどの辺?この辺?はない。それに対して腰は?ーーある人は骨盤の後側あたり(つまりはお尻だ)と思っている。お尻は関節がハマる場所ではない。肩と骨盤を合わせる、と思えば、骨盤は骨であり肩と骨盤を合わせることはここでしょ!と実感しやすい。

傅清泉老師の楊式太極拳では、肩と骨盤を合わせたまま、上記の腹斜筋(=腰回りの筋肉)を出来るだけ後ろに引いて(絞るようにして)、すると反対側の足がフワッと浮いてきて、だから足を軽〜く踏み出して次に進むことが出来るようになっているのだった!肩と骨盤が合って腹斜筋(筋肉)は動くから、これで腰の動きが足を動かすことができる。。。出来上がりだ。

 

オンラインレッスンは、それぞれが自宅でやるわけだから動ける場所は狭い。だから一つの動作を注意深く、何度も繰り返して練習することになる(前回は雲手だけ1時間半近くやった!)。先生は参加者全員1人1人を見ながら画面の向こうから注意を飛ばしてくる。「○○〜!ナントカカントカ〜!」とか「××〜!ナントカカントカ!!」とか「△△〜!!ナントカカントカ!〜!!」とか。。。。狭い家の中で毎週声だけ聞いているウチに、ウチのダンナさんはすっかり参加者の名前を覚えてしまったのでありました😊