izumishのBody & Soul

~アータマばっかりでも、カーラダばっかりでも、ダ・メ・ヨ ね!~

2016年の終わりに

2016-12-31 14:36:43 | 日記・エッセイ・コラム

12月31日午後2時45分

注文していたおせちも届き、これで明日のお正月の準備OK !

 

毎年、過ぎた一年を振り返ることなく、すぐ次のことを考え、追われ、で幾年月。。。(?)

今日も、来年1月早々からの太極拳の行事の下準備やら、2月の練習会場の予約やら、団体に回す連絡事項、提出書類等々の準備をしている。。。

3年前から参加している「神奈川県武術太極拳連盟選手権大会」が、例年3月開催が今回は1月29日に前倒しになっていて(!!)、この用意はま〜〜ったく出来ていないしっ!

 

でもね、考えるから追われるンだ、と思って、作業を中止。この一年を振り返りをやってみたの。

 

今年は、夏から秋にかけて親しい友人が亡くなり、いつになく心に染みた秋だった。

蜷川幸雄さん、永 六輔さん、デヴィッド・ボウイ、ジョージ・マイケル(つい2〜3日前だが)・・・・若い頃から仕事で付き合いがあったり、その時代を共有していた著名なアーティストの訃報も続いて、なにかの折りに「あ、年取るって、こういうことなんだ」と感じることが多かった。 

長生きするって、人を(友人を)見送るってことなんだね〜・・・・(?)

 

また一方、映画や展覧会や本や公演や、素晴らしい作品に出会ったことも多かった。

ロパート・キナの「孤高の白鳥」に、マシュー・ボーンのバレエ「眠れる森の美女」。。。世界のトップのバレエダンサーの美しい舞台と、ダンサー1人1人の高い精神性と肉体の完成度の高さ、より高みを目指す孤独などなどに思うこと多大でありました。

夏にコレゾ室町で見た「アクアミュージアム」も、その情熱と熱意、努力があってこその素晴らしいパフォーマンスに感動!強い気持ちがあればできないことはないっ!って感じ。

シャーロット・ランプリング主演の映画「さざなみ」、ハーベイ・カイテルが出演していた「グランド フィナーレ(=YOUTH)」、福間健二監督の「秋の理由」・・・・外国の(特にイギリスやヨーロッパ系の)映画では最近は年を取ること(にまつわる話)がテーマになった作品が多い。だから、身に染みることが多いのね。

「ピエール・アレシンスキー展」では、89歳の現代美術家による自由奔放な作品に、年を取るって枠がなくなっていくことなんだ〜!と感じ入り

佐藤愛子さんの「90歳、何がめでたい!」には抱腹絶倒!

いいね〜〜。。これ読むと、楽しくなる。

(本では、宮下奈都作「羊と鋼の森」の美しい文章に感動。日頃の言葉使いの悪さを反省)

 

若い頃は、自分より年上が好みだったけど、今となっては年上は老齢にさしかかり、自分が『年上と思っていた年代』になっている。

付き合う遊び(男)友達は昔から年上が多かったから、彼らが年取るにつれて、最近はライブやバーや夜遊び系はすっかり遠ざかり。

ではあるが、本や映画や、展覧会などを観ると、やっぱり人生の先輩の生き方や心情に興味が引かれるのでありました。。

 

 

 

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形意拳講習会の続き~太極拳は"やる"じゃなくて"なる"。形意拳は"やる"。

2016-12-01 15:05:47 | 太極拳

陸先生の形意拳講習会では、身体の使い方などについて太極拳と同じ点違う点など、かなり教えられることが多い。

練習しながらの注意などのちょこちょこっとした言葉が、大きな核心を示唆していることがあるのだ。

 

太極拳を学ぶ多くの人が、放松(ファンソン)というと”力を抜く”と誤解している。

「松=柔ではない。弾力が残ってるまま、が松」。

頂勁がないと、ただ潰れになってしまう。。。これは、もう、いつもワタシの日頃の指導者である三代一美先生が言ってることでもある。弾力(漲力とも言える)がないと身体の上下が繋がらず、足の裏で支えることができない。 

 

また、”腰を使う”について、陸先生は「丹田はキープしたまま、腰は動く」。

”腰”は、腰椎の周り(ウエスト、と言ってる部分)であり、骨盤周りではないしお尻でもないし、ましてや肩ではない。

形意拳八式の動作の中で、右手を開いて打ち出すところを、ワタシの骨盤をグッと押さえて、その上の腰(部分)を右に動かすように手を添えてくれたが、かなり高度な動きでありましたよ(多分、腰の固い人にはムリムリ。。。)

「お腹に力を入れて、手は軽く,お腹の跳ね返りでバーンッ!と出す」(退歩勒拳。かな?多分))も凄かった。

  

そんなこんな話の中で、特に納得!そっか~!!と思ったのが

「太極拳は、ワタシ太極拳やってる。誰かそこに入ってきたらその人に対する(その人が触れるとその人は跳ばされる)。誰も入ってこなければワタシ自分がやってるだけ。形意拳は、ワタシそいつを殺す(!)。殺しに行く(!)。その違い」との言葉。

 

陸先生は、日本語ペラペラ(特に悪い言葉はすぐ覚えるし)だけど、こういう細かいニュアンスの内容になると、受け取る側が理解していないと????状態。

ざっくり言うと、太極拳は自分の方からやるじゃなくて、”なる”。

形意拳は、自分から相手に向かっていく。”やる”。ということでしょうか。

 

なるほど、これが太極拳の推手の極意か~!と思ったのでした。

推手の練習をしていると、相手を倒すことに意識が集中しがちだが、”相手はいてもいなくても”というのが太極拳なのね。

まさに 勤学苦練、継続練習 。。。。ほとんど禅の修行と同じであるよ。

 

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