4月29日、希直さんの納骨を終えた。。去年2024年6月25日に息を引き取り、7月4日に火葬。遺骨はそれからずっと部屋に置いて、毎朝花と水、お線香をあげて手を合わせてきた。外出するときは「行ってきま〜す!」、帰ったら「ただいま〜!」と声をかけてきた遺骨が部屋からなくなって、なんだか安心した気持ちと、やっぱりもう本当にいなくなったんだ、という気持ちが入り交じる。。。。少しずつ、いないことに慣れていくしかない。。。
納骨の日を決めて、気持ちが落ち着きつつあった4月の20日頃、叔父の訪問看護師さんから電話があり、「貧血で倒れて入院させる。入院については身元保証人のサインが必要なので」来るようにと!!??
ワタシは「メンタルクリニックの医師からドクターストップがかかっていて行けない」と言ったものの、今は、身元保証人がいないと入院もできないとのこと。かなりの時間、訪問看護師さんと電話口で「どうしましょう。。。」と、しばしお互い「困りましたね〜」。。。
叔父は生前「俺には甥と姪が11人いるんだ」と豪語していたが、「だからどうなの?」である。一番近くに住んでいる姪はワタシだし、他の甥達はみんな遠い。。。希直さんが亡くなった時に電話口で大泣きして「希直さんは死んじゃったんだよ!もう行けないヨ。。。」と言ったきり叔父のことはケアマネさんに丸投げだった。。。
なんのかんの言っても、病院に入院できないことにはもっと厄介。仕方なく、「病院までは行きます。書類にサインはします。でも、それ以上のことは出来ない。。自宅までは絶対にムリ!」といって、家を出たのが午後。。。それから救急車で運ばれてきた叔父は、検査検査で、待つこと数時間。待ってる間も辛かった。
去年までは、叔父の介護保険申請の手続きやら、磁気カードが壊れて使えなくなったキャッシュカードの新規手続きに(どこにもそこにもはない)銀行の支店を探して、行き。補聴器が壊れてたというので自宅まできてくれるメーカーを探し、電話が通じなくなったと言えば見に行ったり・・・どれだけ時間を取られたことか。。。
でも、その当時は、疲れて帰っても希直さんの「おかえり」の声を聞くだけで気持ちも軽くなって夕食の準備に取りかかれたのだが、この日、病院での手続きが終わって帰宅してもその声がもうないのだ、と実感。「お帰り」の声が聞けたから、あの過酷な日々を乗り切れたんだと実感して、その日は久しぶりに号泣。お腹は空くし、でも、食欲もなければ何を作ればいいのかも浮かばない。。。繰り返しアタマに浮かぶのは、これから一体ワタシはどうなっちゃっていくんだろう。。。😭と、いうことばかり。
5月になって、新緑が芳しい香りに満ちて、日々輝きを増している時期だけどワタシの気持ちは沈む。
5月は所属する太極拳団体(日本太極拳友会)の交流演武大会があるのだが、なんだかワサワサして気分も塞ぎがちである。困ったものだ🥺
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