izumishのBody & Soul

~アータマばっかりでも、カーラダばっかりでも、ダ・メ・ヨ ね!~

外出自粛で読んだ脱力系2冊〜「へろへろ / 鹿子裕文」 & 「ひとりで生きる/ ひろし」 

2020-04-27 16:05:46 | 本と雑誌

ともかく外出できない。

今まで週に3〜4日は太極拳と経絡ストレッチの教室、その他の日は映画や美術館に画廊、ステージにランチ・・・文化・芸術方面でたっぷり遊んでいたのがすべて閉館・中止。“普通の日”がどれだけ大切なことか、あらためてこれまでの生活スタイルや価値観を見直す日々である。

 

 出かけられない、家にいるしかない。。。ので、本を読む。

最近読んで「なるほどなぁ〜」と思った、脱力系(?)の2冊。

 

 まずは、鹿子裕文著「へろへろ」(!?)。タイトルからして「ン?」なのだが、サブタイトルが「雑誌『ヨレヨレ』と「宅老所よりあい」の人々」とあって、ますます「なんじゃ?!」。ナナロク社から2015年に発行された本だ。

 小さなお寺のお茶室で始まったデイサービス「宅老所よりあい」にひょんなことで関わることになり(というか、ほとんど捲き込まれて)、なんやかんやスッタモンダ七転八倒のあげくやがて特別養護老人ホームを立ち上げてしまった(!)までのあれやこれやドタバタの顛末を、その中心人物である下村恵美子(と村瀬孝生)を軸に、「根拠なんか別にない。ただ、やれると思う気持ちいがあるだけ」で突き進むスタッフと周囲のサポーター達を描いた本である。元になっているのは、「宅老所よりあい」の雑誌『ヨレヨレ』。詩人の谷川俊太郎が詩を寄せ、(当時)中学生だったモンド君が描く似顔絵表紙のインパクトもあり、書店に置いたらあっという間にメチャクチャ売れた!というほとんど伝説化した雑誌である。

 『ヨレヨレ』を編集した鹿子裕文さんは今年初めまで定期的に東京新聞にコラムを書いていて、ワタシはそれを読むのが毎週楽しみだった。ロック雑誌「オンステージ」や「宝島」の編集に携わっていたというそのキャリアを知れば、『ヨレヨレ』のぶっ飛んだ内容(!?)と信念を変えない真面目さ(!)が醸し出す、奇妙な面白可笑しさも納得!

 地域住民への特養ホーム建設の説明会で「僕たちは、老人ホームに入らないで済むための老人ホームを作ります」と言った村瀬孝生の言葉は、この人たちの真髄だろう。“介護”というとつい身構えてしまいがちだが、これはもっと自然にもっと自由に、年を取ることを受け入れる、付き合う、ということを考えさせてくれる。それでいいのだ!である。

 

もう一冊は、「ひとりで生きていく」。2019年12月廣済堂出版。

ピン芸人として「ヒロシです。」で始まる自虐ネタでブームになった後ドロップアウトしたように忘れられた時期があり、今は、You Tubeに「ヒロシちゃんねる」を配信する人気のユーチューバーヒロシが「ひとりで生きていく」ことへの様々な思いを綴ったエッセイ(&少しのノウハウ)だ。 

 

「50歳、未婚、彼女なし、一緒に飲みに行くといった友人とも言うべき関係の人もなし」だが、「ひとりで生きる。それは旅するように日々生きるということ」と、彼はいう。

TVに出始めた頃から、どう見てもTV界に馴染めそうにないナイーブでどことなく品がある様子が印象的で、滅多に見ないお笑い番組も「ヒロシ。」が出る番組は見ていた。自虐ネタを集めた本「ヒロシです。」ももちろん買って読んだ。今でいうお笑い芸人とは一線を引くような独特の存在感と、といって決して”暗い”という感じでもないところが気になる存在だった。

「ヒロシ。」が語りのバックに流していた1970年公開のイタリア映画「ガラスの部屋」の哀愁を帯びた主題曲も語りとピッタリあって、可笑しさが増幅された(その後、あるTV番組で、ヒロシがこの曲を歌ったカンツォーネ歌手ペピーノ・ガリアルディと会ったのだが、歳をとっていかにも陽気なイタリアオヤジと化した姿にショックを受けたのもまた可笑しかった。映画の主役俳優レイモンド・ラブロックは素敵だったよ〜♥当時、見たもンね\(^_^)/〜。今思えば、どことなくヒロシと(顔じゃなくて)雰囲気が似ていたかもしれない)。

 

もの悲しさを笑いに変えるのは才能だ。ひとりで生きることに、日本では周囲の目は冷たい。本の帯に「群れない、媚びない、期待しない」とあるが、表紙にあるヒロシの姿は飾り立てることもなく、ただスッと立っているだけ。ひとりでいることは本当に美しいと思う。他人を拒絶するわけではないし、人との繋がりを否定するのでもない。でも、人は結局はひとり。を認識していれば、人との付き合いや自分の日々の暮らし方も見方が変わるだろう。

コロナウィルスのお陰で外出自粛が続き、人との接触を避けるこの日々が終わったら、問われるのは今までとは違う社会のあり方ではないか。少なくても忖度やら意味のないお付き合いやら庇い合いやら、これまでの日本型社会の意識は否応なく変わらざるを得ないのではないだろうか。。。なんてことも思う本である。


陳 鑫 著「陳氏太極拳図解」〜その12

2020-04-20 11:49:47 | 日記・エッセイ・コラム

相変わらずの外出自粛。。。この分では5月に入ってもコロナの収束は望めないかもしれない(^_^;)。

久しぶりに陳 鑫 著「陳氏太極拳図解」の打ち込みに挑戦!

今回から「搂膝拗步」の説明に入るのだが、これが難しい〜〜っ!!たらないの!

「搂膝拗步」の動きと経絡と易経との関係が入ってくるので、漢字は略字の元を探し、その意味することを探し、確認し。。。手書きの翻訳済みテキストではやっぱり理解しきれないことが多々あって(字も読みにくいし)、中国語の原本と付け合わせ、中国語辞典とネットで漢字を探しまくり調べまくり。。。。ふぅ〜疲れた💦

なので、文中()はワタシ個人の付則説明。図を見ながら、イメージが掴めたらいいな。

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(2020,3,14「白鶴亮翅」からの続き)

 取衆(説によると)・・・この姿勢は左手が右手に従って運行し、胸も右手の回転によって胸中の柔順、中正を整える。左足は右足に従って運行し、外観も互いに呼応することが明らかにあらわれ、但しそれは引きながら撃たず下卦坤(=西南)の柔と上卦坎(真北)の剛をとって上下相従い、剛が来たれば柔を取り、その柔和を失わず引きながら撃たない法則である。

 七言俚語・・・閑を持てあそんで白鳥が右翼を広げるのを真似るとは、羽ばたき。両手の引き具合もまた勢い強く、秋の水を飛び立つ如し。

其の二 太和の右転は元気の源で、両手をコマのように弄び、北から神秘を引き入れれば翼を広げて白鳥の如し。

 

第六勢 搂膝拗步

① この姿勢をとる時、顔は西正面に向かうのは太和の元気の気象があるからで、伏義八卦乾坤坎離に合致する四方正位である。左肘をやや曲げ背にすえ、指を揃えて腕を上に向ける。外を四角に内側を円めて纏糸勁を用い、手を後背骨の上に載せる。

② 左肩を落とし、怒らせない。

③ 頂勁は中気で全身を起こす。

④ 目は、右手中指を見つめ

⑤ 右肩を沈め ⑥ 右肘をついて、外は角にし、内は円く、手を胸前に置き、中指は鼻梁に立て、これは纏糸勁が肩から手をまわり、中指の頂点に至って運行が完成されるからで、右手は胸から四五尺のところへ置き、勁を和らげ、わずかも硬気を留めてはならない。

⑦ 胸は鞠を抱くようにやや弯曲させ、四面を包容する気持ち

⑧ 腰勁を押さえ、尻骨をやや浮かせ、下腹勁を自然に合わせる。

⑨ 左膝を開き、纏糸勁で内かかとから外へまわり、内側をまつわり大腿部付け根で勁を合わせる。

⑩ 左足はしっかりと踏み、⑪ 尻骨をはね上げ、内側の腿の付け根を開けば襠(=股)は自然に開き、両膝を合わせれば襠は自然に円くなる。⑫ 右足をしっかりと踏む。⑬ 右膝の外は開き、内側を合わせ纏糸勁のまつわり方は左足と同じ。

⑭ 胸腹を寛く大きく前に向かって中気を合わせ、上下を貫けば、全身に精神が満ちあふれ、長くこれを続ければ自然の境地に入り、その神情と境地が理解できるようになるが、この境界は悟るもので言葉では言い表しがたい。

 

図71(※以下は動作の形ではなく陰陽経絡の流れを説明している)

① 左手の動作は読者がその運行コースと倒転の円(※正しい理に反すること)が理解できないのを心配して図解した。即ち、左手は背後の腰間に置き、前へ持って行ってはならない。

② 二線の部分を見れば分かるが、同動作の後、左手を平に持って分かれ、同動作の後、右手を胸の前へ運ぶ。

③  右手を平に持って前へ分かれ、二線の通り前へ運ぶ。④ この手を上下から一回り倒転させて胸前へ落とす。

⑤  『霊枢衛気行篇』曰く、衛気の行、一昼夜に身体を50周し、昼間は陽を行くこと25周、夜は陰を行くこと25周で、陰つきて陽は日から始まり、目が覚めれば気は上行して頭へ行く。下足太陽膀胱は手太陽小腸を経て足陽明胃に到り、手陽明大腸を経る。日中はこの通り外側運行を主とするが、夜となれば足少陰腎を経て手少陰心に注がれ、手少陰心から手太陰肺を経て足蕨陰肝を通り、足太陰脾に至って陽行と同じく25周運行後目に戻る。生気ある人間の衛気が頭へ上行して目に復する順序を行く通り、打拳者の各姿勢も、陽気が頭へ上行してひとたび動くごとに身体を一周する。ひとたび静をとると静もまた身を一周する。これは心の一念に基づくもので陽気を動かせば身を一周し、静の一念があれば陰気もまた身を一周する。これが絶えず繰り返されると身体全体から言って、背後は陽で胸は陰であり、腕や手甲は陽で、手肘の曲がり部分は陰であり、面の部分は陽である。

後頭部は陰で、上半身は陽であり、下半身は陰で、膝は陽である。腿肚の部分は陰で、左手左足が陽、右手右足は陰で足面は陽である。足の裏は陰で、気は陽だが血は陰に属する。六腑は陽で五臓が陰となる。以上は各器官陰陽の区別である。

 (2020,04,20 この項続く)


外出自粛要請が出て、大好きな英国のドラマを繰り返し観ている

2020-04-12 11:36:15 | 日記・エッセイ・コラム

コロナウイルスの感染拡大が続き、太極拳教室は3月が過ぎて4月になっても休講中。。

3月は辛うじて開講していたカルッツかわさきの楊式教室に参加させてもらって、4月も、と思っていたら緊急事態宣言が出て結局施設が利用停止。。。5月3日に、陳式太極拳普及会で陳式器械の特別講習会を予定していたら、こちらも5月31日まで休館になってしまった!(^_^;)。年明けにギッシリ書き込んだスケジュール帳は、5月まで中止中止の黒い線。。あ〜あ〜。。。

 

連日(家の中で)陸瑶先生の八段錦動画配信を見ながら一緒に身体を動かして、夜はもっぱらケーブルテレビのオンデマンド放送でイギリスのミステリードラマを見る(もう何度も繰り返し見ているからストーリーは熟知🙆)。

アガサ・クリスティーの「ミス マープル(ジョーン・ヒクソン版に限る!)」に「ポアロ(ヘイスティングス大尉が一緒に活躍する初期のシリーズ!)」。コナン・ドイル作「シャーロック・ホームズの冒険(もちろんジェレミー・ブレッド版!)」。どれも制作年代はすでに古いのだが、デジタルリマスターされていて画面はきれい。着ている洋服や生活スタイル、習慣、建物や風景等々、階級制度がしっかり存在していた当時のイギリスの、品のいい、でも古い因習が残る伝統的な社会の様子とそれぞれの人物が魅力的。

 

これ以外に大好きな英国の刑事ドラマでは、まずはマーティン・ショウ演じる「孤高の警部 ジョージ・ジェントリー」。

1960年代中頃のイギリスのクラシカルな雰囲気(ジェントリーや部下のバッカスが乗ってる車の色の美しいこと!)と、戦争に出ていた大人と若者(モッズ)のギャップと社会の荒廃が、舞台となっているイギリス北部の荒々しい海岸の風景の中に見事なコントラストを見せている。海を見下ろす崖に立つジェントリーの佇まいが、なんとも言えずいいのね〜。。。。寡黙で、頼りになる大人の男、って感じ。

 

さらにコリン・デクスター原作「主任警部モース」の主役モースの若かりし頃を描いた「刑事モース〜オックスフォード事件簿〜」。ワタシはこの若きモースを演じているショーン・エヴァンスが大々大好き!!♥️

こちらも時代は1965年代前後のイギリスの街オックスフォード。伝統的な知と静寂と深い緑に包まれた大学の街である。オペラが大好きなモースの心情を象徴するオペラのアリアが効果的に流れ、美しい風景の中で難解な事件が起こる。登場する女性たちのファッションはミニスカートと濃いめのアイメイク。。。。モダンでお洒落だ。

オペラとクロスワードパズルを好み、人付き合いが苦手で頑固、ナイーブでシャイな青年から大人の男に成長していくモースの不器用さと初々しさが、見ていて切なくなる。しばしばドラマの中でモースが涙を浮かべるシーンがあるのだが、大きなブルーの瞳から本当に涙が溢れ出て流れる映像は本当に美しい!

 

大好きなシリーズの中でも、最初の回のcase1 「華麗なる賭け/ある晴れた日に」。憧れていたソプラノ歌手が犯人だった、というお話では「マダム・バタフライ」のアリア「ある晴れた日に」が流れ、モースの切ない気持ちに共振する(多分、マリア・カラスが歌っている)。

シリーズ3の第1話「表と裏のバラッド」では、サーカスで育った双子を演じる男優の甘いマスクが印象的(彼は今放映中の「女王ヴィクトリア」で女王と結婚したアルバートの兄の役で出演)。笑顔の中に時々浮かべる苦しそうな表情やさりげない行動がなんともいえず哀しい。

 

シリーズ3第4話の「愛の終止符」では、上司であるサーズデイ警部補の娘ジョアンが務める銀行に強盗が入り、警部補の娘であることが分かって(たまたま居合わせたモースと共に)人質になり。。 

一睡もできないまま、モースはジョアンとのこれまでの様々なシーンを思い出す。霧が立ちこめる早朝、まだ両親が眠っている時間に家を出たジョアンにモースは言葉をかける。「僕を頼って」「あなたはご両親の宝だ」。。。決して叫ばない。モースの大きなブルーの瞳に、(本当にこぼれ落ちそうに)涙が溢れる。。。。

 

シリーズ2第8話「の絞殺魔/ 情事の代償」は、モースの上司であるサーズデイ警部補の想い出に胸が痛む。死んだと思っていた女性に偶然巡り会ったサーズディが語る。「覚えているとも。松の木の香り、湖面に輝く太陽・・・」。光り降り注ぐイタリア、戦争の最中の恋。。。

「私たちは友情で結ばれていた」と思っておきたいサーズデイに、彼女は言う。「それは違うわ。友情は時間が育むもの。でも、私たちが一緒にいたのはせいぜい3ヶ月くらいのもの」。想いを抱き続けていた女性の「戦争はむごいわ」という言葉が、心の傷の深さを語る(彼女は結局自殺してしまうのだ)。

サーズデイ警部を演じるロジャー・アダムが、またいいんだわ〜!頼りになる男、夫、父親、上司、って感じだ。

 

こう見てみると、事件の犯人は誰だったか?はほとんど記憶にない。心に残るのは事件の解決ではなくその経緯や周辺の人物のストーリーである。単に刑事物を見るだけでない、愛という深みがある。イギリスのドラマは、寡黙で静かで語らずとも伝わる。だから映画でもTVドラマでも、何度観ても深い感動があるのだった。