消えゆく霧のごとく(クンちゃん山荘ほっちゃれ日記)   ほっちゃれ、とは、ほっちゃれ!

きらきら輝く相模湾。はるか東には房総半島の黒い連なり。同じようでいて、毎日変わる景色。きょうも穏やかな日でありますよう。

(不要不急記事) まだやってる毎日の「悲喜こもごも」

2020年04月04日 11時21分29秒 | こりゃ、なんじゃい!

入学試験の合格発表風景に誤用したのが始まり

   何十年たっても直せない毎日の校閲

  ええかげんにしてもらいたいよ、まったく

     

1世帯30万円「正直ありがたい」「大家族は不足」 政府方針に悲喜こもごも

ネット毎日新聞 4/3(金) 20:17配信   https://news.yahoo.co.jp/pickup/6356108

 新型コロナウイルス感染拡大を受け、収入が減った世帯を対象に、1世帯当たり30万円を給付する「現金給付策」が示された。「ありがたい」「30万円ではどうにもならない」。客足の減った観光地の自営業者や、劇団員らからは賛否の声が上がった。

以下略  【成田有佳、竹内麻子、田中博子、金子淳】

 

 上のような記事が出ましたね。(記事内容とは関係ないお話です。)

 見出しの「悲喜こもごも」つうのは、Aさんという人にとっては悲だけれども、Bさんにとっては喜だ、つう意味に読み飛ばしがちですよね。

 ところが、これは大間違いで、本来、こういうのは「悲喜こもごも」ではないのです。

 じゃあ、悲喜こもごもっちゃあ、なんだんべ、つうことになりますが、それは同じ人に悲喜が続いて降ってわくような場合に使うわけです。極端な話が、例えば、1億円の宝くじ当選金を受け取ってタクシーで家に帰る途中、踏切事故でタクシーもろともぶっ飛んで死んじまった、というような場合は、明らかに「悲喜こもごも」ですねえ。

 何十年も前、8、90年前ですかねえ、各種入学試験の発表なんつうものが一般的になって、そのころの写真付き季節ものの新聞記事の見出しにこの「悲喜こもごも」がひんぱんに誤用されて以来、いまだに赤が入れられない校閲部員が存在するわけです。

 しっかし、言葉は生き物ですから、この誤用もあと50年も続けば、正当な日本語の使い方に昇格するんでしょうね!残念

 以下は余談です。「一喜一憂」も同様に同じ人間が喜んだり憂いたりするわけですが、こちらはまとまった集団にも使えます。利害が一致している集団ですね、例えば甲子園に出場しているチームの留守部隊が学校の体育館なんかで試合をでかいテレビで観戦しているようなシーンの描写に使うことができます。