いせ九条の会

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教科書の「軍強制」記述回復を求めた沖縄県民大会から1年経て/山崎孝

2008-10-01 | ご投稿
【「軍強制」記述回復を/県民大会1年/6団体、検定撤回求め声明】(沖縄タイムスHPより2008年9月30日)

 二〇〇六年度高校歴史教科書の検定で、沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」から、「日本軍強制」の記述を削除したことに抗議する「教科書検定意見撤回を求める県民大会」から一年たった二十九日、県子ども会育成連絡協議会など六団体が、文部科学省に、検定意見撤回など大会決議の実現を求める声明を発表した。

 声明は、沖子連、県婦人連合会、県PTA連合会、県老人クラブ連合会、県青年団協議会、元女子学徒隊でつくる「青春を語る会」の六団体の連名で発表。

 文科省が県民大会以降も検定意見を撤回せず、日本軍強制の記述を認めていないことなどを批判し、十一万六千人が参加した県民大会で「県民がなぜ怒ったのか、何に対して怒ったのかまったく理解していない」と指摘。「私たち県民は無理難題を求めているわけではない。沖縄戦の事実は事実として教科書に残すべきであり、ゆがめてはならない」と訴えた。

 その上で今後、中学校教科書の検定でも、沖縄戦の史実のわい曲が懸念されるなどとし、「現状はまだ道半ば。六団体は結束を強めながら奮闘する」とアピールした。(以上)

(しんぶん赤旗のHPより抜粋)アピールは、大江・岩波裁判などにふれながら、検定意見は「当初から政治的意図で『沖縄戦の歪曲(わいきょく)』を企図していた」とし、これにくみした文科省の責任を不問にするわけにいかない、と強く非難しています。「沖縄戦の事実は事実としてしっかりと教科書に残すべきであり、事実を歪(ゆが)めてはならない」と強調。一方、現状は何ら解決されず「まだ道半ば」と評し、大会決議実現まで「県民とともにその先頭に立って奮闘する」としています。(以下略)

【控訴審が結審した段階での大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判支援連絡会HPより抜粋】

さて、今回の裁判では、最後に裁判の目的についてお互いが触れています。

 被控訴人側の弁護士が、この裁判の目的が個人の名誉毀損にあるのではなく、教科書を書き換え、国民の歴史認識をつくりかえることにあるとし、梅沢・赤松氏の名誉毀損というような私的な問題としてどうかではなく、国家権力の機関である軍隊として何を公使したのか、その是非を議論することを抑制しようとするのかどうかということが問われている裁判であると述べました。

 一方、「控訴人は提訴の動機は、単なる自己の名誉や敬愛追慕の情の侵害にとどまらず、・・・義憤であり、このまま放置することができないという使命感である。・・・そしてその意味で、昨年の教科書検定を通じて教科書から「命令」「強制」が削除されたことは訴訟の目的の一つを果たしたと評価できる事件であった」と明言し、「個人の権利回復にとどまらず、より大きな政治的目的を併有していることは珍しいことではない」として、政治的目的からの提訴であると認めたことは大きな意味があると思います。(中略)

そして「集団自決の原因は、島に対する無差別爆撃を実行した米軍の恐怖、鬼畜米英の教え、皇民化教育、死ぬときは一緒にとの家族愛、防衛隊や兵士からの『いざというとき』のために渡された手榴弾などさまざまな要因が絡んだものである。これを軍の命令としてくくってしまうことは過度の単純化、図式化であり、かえって歴史の実相から目をそらせるものである」と主張した内容は、まさしく昨年末に文科省が指針として出したものと同じものでした。

 最後の最後、彼らは、「そもそも仮に、「住民は自決せよ」軍の命令があったとしても、果たしてそれにやすやすとしたがって、愛する家族や子どもを手榴弾やこん棒やカミソリで殺せるものであろうか。それは現在に生きる一般人の想像を超えている。そこでの村民は、『沖縄ノート』に描かれているように、「若い将校たる自分の集団自決の命令を受け入れるほどにおとなしく、穏やかな無抵抗の者」であり、近代的自我や理性のかけらもない「『土民』のようなかれらは」としてでしか認識できないのである。それは日本がかつて経験したことのない地上戦としての沖縄戦において集団自決という悲劇を経験した沖縄県民の尊厳を貶めるものにほかならない。集団自決の歴史を正しく伝えていくことは、軍命令という図式ではなく、米軍が上陸する極限状況のなかで住民たちが、何をどのように考え、どのように行動の果てに自決していったのかを伝えていくことである。そのことが本件訴訟の目的である。」と結んだ。

 彼らにとっては、あくまでも集団自決は自己責任による死なのです。自らが愛する国のために死んだもので、誰のせいでもないのです。最後まで沖縄県民のせいにしてこの高裁での陳述は終わりました。沖縄県民の死の真実を認めない彼らこそ沖縄県民の尊厳を貶めているといえるのではないでしょうか。沖縄県民こそ、彼らに名誉毀損を求めてもいいくらいでしょう。

 さて今回の口頭弁論をもって結審となり、いよいよ10月31日(金)午後2時判決です。予想以上に速い展開に驚いていますが、それだけ裁判官が証拠を読み込み、なおかつ証拠が出尽くしたと判断しているからでしょう。2回の口頭弁論を見れば、論戦でも大きくリードし、「勝負あった!」という感じは持っていますが、予断は許しません。

 署名は短期間で地裁時よりも1万以上も多く、23,064筆を集めていただき、高裁民事第4部に提出することができました。皆様のおかげです。厚くお礼申し上げます。(以上)

【コメント】控訴した側の弁護人は「昨年の教科書検定を通じて教科書から「命令」「強制」が削除されたことは訴訟の目的の一つを果たしたと評価できる事件であった」と述べています。文部科学省は裁判の一方の側の主張のみを取り入れて教科書検定を行なったことがより明確になりました。

控訴した側の弁護人側は「沖縄ノート」を「沖縄戦において集団自決という悲劇を経験した沖縄県民の尊厳を貶めるものにほかならない」と述べています。「沖縄県民の尊厳を貶めるもの」はどちらであったかは、昨年からの沖縄で起こった事実を見れば明確です。沖縄の人たちは、裁判を起こした側の主張を取り入れて行なった文部科学省の教科書検定に激しい怒りを抱き、沖縄県の全41自治体議会や県議会で教科書検定の取り消しを求めて抗議の決議文を採択し、11万6千人が参加した県民大会を開いたのです。

1審判決を受けて大江健三郎氏は、「私は今後も、沖縄戦の悲劇を忘れず、戦争ができる国にするという考えに対して、精神、道徳、倫理的にそれを拒むことが戦後の民主主義で生み出された新しい日本人の精神だと信じて訴えていきたい」と述べています。

「戦後の民主主義で生み出された新しい日本人の精神」と対決する発言は、安倍元首相の主張した「戦後レジームからの脱却」であり、麻生太郎氏の、小泉純一郎首相の靖国参拝についての2005年11月の発言「祖国のために尊い命を投げ出した人たちを奉り、感謝と敬意をささげるのは当然。首相としても簡単に譲るわけにはいかないと思う。2006年1月の発言「(靖国神社に)祭られている英霊は、天皇陛下万歳といった。天皇陛下の参拝が一番だ」。安倍内閣の伊吹文部科学相の、食べ過ぎれば日本社会は「人権メタボリック症候群となる」。最近大臣を辞任した中山氏の9月27日の発言「日教組を何とか解体しなきゃいかんと思っている」「日本の教育の『がん』である日教組をぶっ壊すために私が頭になる決意を示した」という発言などがあります。

このような考え方の収斂するものとして「公」と称して個人の自由を制限する憲法、戦争の出来る憲法の制定を目論んでいます。