静かの海

この海は水もなく風も吹かない。あるのは静謐。だが太陽から借りた光で輝き、文字が躍る。

クレオパトラの真珠(4) クレオパトラと真珠

2009-12-16 15:49:04 | 日記
 クレオパトラはエジプト・プトレマイオス朝最後の王となる運命を担っていました。はじめカエサルに自身を売り込んでその愛を獲得し、子までもうけました。だがカエサルは暗殺され、彼女は、再びローマの実力者に頼るほかにないと考えたのでしょう。最後の力を振り絞って王国を維持しようと必死になっていました。ほかに道はあったかも知れないのに・・・政治や経済の仕組みを抜本的に変えるとか。
 だが彼女には無理だったのでしょう。結局彼女はローマの将軍アントニウスを頼りにすることにしました。そして、アントニウスと生活を共にしながらも、あるときは彼のご機嫌をとり、あるときは機略を案じることに余念がありませんでした。

 アクティウムでのローマ軍との戦いを迎えようとしていた頃、用心深いアントニウスは毒見をしない食事は摂ろうとしませんでした。そんな折、クレオパトラはアントニウスの頭にいただく花輪の端に毒を仕かけさせました。宴たけなわになるや、彼女は互いに自分の花輪を飲もうと持ちかけました。アントニウスはそこまでは疑わずに、自分の花輪の端のほうを盃に入れて飲もうとしました。
 するとクレオパトラはアントニウスの手を押さえ、「私はあなたに頼りきっている身なのに、あなたは私を用心して毒見ばかりしていらっしゃる。どういうことですか・・・」と皮肉を言います。そして囚人を連れてこさせ、アントニウスが手にした盃を飲ませたところ、囚人はたちどころに死んでしまいました。
 これもプリニウスの伝える話ですが、滅亡を予感せずにはおれない二人が、互いに疑心暗鬼になっている様子が伺えるちょっとしたエピソードです。

 そんなある日、クレオパトラはアントニウスに、一千万セステルティウスの費用をかけた宴会を開いて見せましょうと言い出しました。しかしアントニウスは信じません。そこで賭けることになりました。さてその当日、宴会がすすんでもそれらしい料理はでてきません。いつもの料理と一向に変わらないではないかと、アントニウスが賭けに勝った気分で嗤うと、彼女は召使に酢の入った器を持ってこさせました。
 不思議そうに見守るアントニウスの前で、彼女は自分の耳につけていた真珠のうち一つをはずして盃の中に落とし、それが溶けると一気に飲み干してしまったのです。プリニウスが、全歴史においてもっとも大きかった二つの真珠と言っている、そのうちの一つでした。
 クレオパトラが続いてもう一つの真珠も酢の中に投げ込もうとすると、この賭けの審判役を仰せつかっていたルキウス・プランクスがあわててそれを押しとどめ、「賭けはアントニウスの負け」と宣言しました。

 この有名な逸話を伝えてくれたのもプリニウスですが、ここで彼は、審判が「クレオパトラの勝ち」といわずに「アントニウスの負け」と宣告したことは不吉な予言であったと述べています。
 この不吉な予言というのは、いうまでもなくアクティウムの海戦でのアントニウスの敗北を指しています。後世、これを「クレオパトラの勝ち」としている書もありますが、これではプリニウスが伝えようとした微妙なニュアンスが生きません。

 危うく助かったいま一つの真珠は、クレオパトラが逮捕されたとき取り上げられ、ローマのパンテオンのウェヌス神の両耳を飾るために二つに割られたとプリニウスは後日談を残しています。エジプトはローマの属領となり、長くローマ帝国に穀物やその他の富を供給することになります。

 プリニウスは、ポンペイウスの最後、マルクス・ロリウスとロリア・パウリナの最後については述べていますが、クレオパトラの最後についてはなんら触れていません。必要ないと考えたのでしょう。クレオパトラは自ら毒蛇に咬ませて死んだと伝えられますが、それも事実かどうか分かりません。

 さてこの三つの話のうち、ポンペイウスについては、その凱旋行進を見た人は恐らく数十万人に及んだでしょう。ロリア・パウリナと一緒に結婚式場にいた人はそんなに多くないにしても、プリニウス自身が見ています。それに較べるとクレオパトラの場合、根拠が薄いのです。宴会場には大勢の人が参列していたかもしれませんが、クレオパトラの盃の中を覗くことが出来たのはアントニウスと審判のルキウス・プランクスくらいでしょう。それも、ちゃんと確かめたかどうかは分かりません。プリニウスもこの話の出所を示していません。おそらく言い伝えをそのまま書いたのだと思います。

 プリニウスは上述のように、ポンペイウスやロリア・パウリナ、その父を痛烈に批判しました。しかしクレオパトラについては直接批判がましいことは何も言っていません。前の三人がローマ人だったのに対し、クレオパトラは異邦人です。しかもローマに支配される運命にあった悲運な国の女王です。プリニウスは一般のローマ人と同じように、クレオパトラには好意をもっていなかったし、クレオパトラにとりこまれたアントニウスを苦々しくも思っていたでしょう。だが彼は、感情を交えず淡々と語っているように見えます。しかし、ローマ社会の奢侈や浪費のなかで愉悦を楽しんでいるローマの将来に危惧の念を抱き、その傾向にしばしば警告を発している彼の心情からして、この二人の生きざまにも厳しい批判の目があったことは疑い得ません。

 プリニウスは皇帝ウェスパシアヌスとその長男で共同統治者であるティトゥスの諮問委員であったし地中海艦隊の提督でもありました。『博物誌』はティトゥスに献呈されています。多忙なティトゥスが読み易いように、当時としては画期的なことですが目次を、それもとても詳しい目次をつけました。ティトゥスがこの真珠にまつわる逸話を読んだ可能性は十分あります。
 前述のように、彼には、奢侈や浪費、しかも他国・属領からの収奪による個人的奢侈、それらは我慢ならないことだったのです。この書には、それらへの批判がいたるところに見受けられます。この真珠にまつわる説話はその一つに過ぎません。 
 


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