ここからは蛇足です。
プリニウスの『博物誌』は西洋ではよく読まれたので、この話は広く伝わりました。そこで誰でもが考えたことは、果たして真珠が酢に溶けるのかということでした。プリニウスはただこのように述べただけです。「召使は彼女の前にたった一つの酢の入った容器を置いた。その酢の強くて激しい性質は真珠を溶かすことができるものであった。・・・彼女は一つの耳輪を外して、その真珠を酢の中に落とした。そして真珠が溶けてしまうと一気に飲み干した」。
容器の中の液体はアケトゥム(acetum)とあります。アケトゥムはどう考えても酢です。他に「皮肉を言う」の皮肉という意味もありますが、皮肉を盃に入れて飲むことはできないでしょう。従来ずっと酢であると解釈されてきました。当然です。だが同時にいろいろな疑問も出されてきました。典型的な一例は『西洋事物起源』の著者ヨハン・ベックマンの考えです。
ベックマンによると、真珠の石灰質部分を覆っているエナメルは弱酸に容易には溶けないから、クレオパトラは真珠を砕いて粉末にしてから溶かし、さらに水で薄めて飲めるようにしたのではないかといいます。だがこの説はとても容認できません。プリニウスは、砕いたなどとは書いていないし、第一、砕くなどという無粋なことを、気取り屋のクレオパトラがアントニウスの前で演ずるはずはないですか。やはりその華麗な指先から大粒の輝く真珠がポトリと盃の中に落とされなければ、この場は絵にならないのです。
一方、『エピソード科学史』を書いたサトリックはその著の中で二・三の見解をのべています。その一つによると、クレオパトラがあらかじめ酢のなかに何か真珠を溶かす物質を入れていたのではないかというのです。しかしこれも納得のいくような説明にはなっていません。真珠を溶かすような物質で人間の胃に害のないものが果たしてあるでしょうか。
もう一つの見解は、白亜で贋の真珠を作ってそれでごまかしたというもの。これについてはサトリック自身、彼女の品性に合わないといって否定しています。
三つ目のものは、真珠が溶けたふりをして丸ごと飲んでしまったとう説です。ありそうな話ですが、これまたクレオパトラの品性に合わないし、第一プリニウスははっきり溶かしてと言っています。これはプリニウスが伝えた話ですから、それを疑ったら別の話になってしまいます。
真珠が酢に溶けるということは当時広く信じられていたようです。ウィトゥルウィウス(前一世紀のローマの建築家)もその著『建築書』のなかで真珠が酢で溶けると述べていますし、スエトニウス(『皇帝伝』の著者)は、皇帝カリグラが非常に高価な真珠を酢に溶かして飲み、会食者の前に黄金製のパンとお菜を供したと書いています。黄金製のパンとお菜とはなんでしょうか、ちょっと首を傾げたくなりますね。
プリニウス自身もクレオパトラ以前に酢に真珠を溶かして飲んだ人物のことを書いています。それによると、キケロ時代の著名な悲劇訳者クロウディウス・アエソポスの息子クロディウスは、父親から莫大な遺産を相続しましたが、彼は賭けなどというものではなく、実際に自分の舌を試して見たく真珠を酢に溶かて飲んだというのです。ところが驚くほど美味だったので、客たちにそれぞれ立派な真珠を与えて飲ましたということです。この息子も役者だったようですが、プリニウスは、この一役者に過ぎないクロディウスの振舞いに較べられれば、三頭政治の一員であったアントニウスも大して自慢できないだろうと冷やかしています。
ついでに言うと、父親のクロディウス・アエソポスのほうは、歌ったりしゃべったりする鳥を一羽六千セステルティウスという大金で買い入れ、それを食べたということです。プリニウスは、真珠を飲んだ息子にふさわしい父親で、両者で愚劣さを競っているが、その愚劣さの優劣などを決めたくはないと怒っています。
ちょっと時代は飛びますが、一六世紀イギリスの大貴族で大金持ち、グレッシャムの法則で有名なサー・トーマス・グレッシャムは、女王の前でこの上なく見事な真珠を粉々に砕いて自分のぶどう酒にいれ、女王の健康を祝して乾杯したといいます(『エピソード科学史』から)。もっとも、あまりあてにはなりませんが。
こんなわけで、いろいろ珍説も生まれます。以下の説(ある有名な百科辞典)はなかなかユーモアがあっておもしろいと思います。
「クレオパトラがアントニウスを迎えた宴会で真珠をブドウ酒に投げ込んで乾杯したという伝説があるが、ブドウ酒では真珠は溶けないので、つくり話だと見られている。強い酢につけると溶けることはローマ時代から知られていたので、真珠を溶かした酢をうすめて飲んだのかも知れない」。
ここでは「伝説」の出所がプリニウスとは書いていません。どこか私たちの知らない出典があるのかもしれません。それにしてもユニークな見解です。
近年実験してみた人もいるようです。それによると、長時間酢につければいくらか柔らかくなるが、とても溶けるということにはならないそうです。そうでしょうね、多分。そりゃ私だってお金があれば試してみたいという気になるかもしれません。しかしプリニウスは、愚かなことは止めておけ、というでしょうね。
筆者、つまり私の見解は、「わからない」「わかる必要はない」です。
最後に、ハムレットの最後についてです。小津二郎氏の名訳をお借りします。
王 葡萄酒の盃をテーブルの上に置け。もしハムレットが一回目か二回目に勝てば、あるいは、三回目に雪辱をとげたなら、全城壁から祝砲を放ち、王はハムレットの健闘を祈って祝杯をあげよう。盃には真珠を投ずることにする。四代にわたるデンマークの王冠を飾った真珠より見事なものだぞ。盃をくれ。そうして太鼓をラッパに伝え、ラッパを外なる大砲に伝え、大砲を天に向かって撃ち上げ、地をして天に呼応せしめて、「今こそ王がハムレットのために祝杯を」と叫ばしめるのだ。
王は盃に毒を仕込んでいましたが、ハムレットより先に王妃ガートルードがそれを飲み息絶えます。これまた毒を塗った剣で傷つけられていたハムレットはそれを見て、自分も母親の飲み残した盃を仰いで後を追います。
シェークスピアはプリニウスの愛読者でした。彼はしばしば『博物誌』からヒントを得ていました。そのことはウェザーレッドが適切に指摘していたところです(『古代へのいざない プリニウスの博物誌』)。シェークスピアが読んだのは一六〇一年出版のフィルモン・ホランドによる英訳本だと思います。小津二郎氏は『ハムレット』は一六〇一年か二年の創作だろうと推測しています。ウェザーレッドは〇一年、ちょうどホランド訳が出た年といっています。際どいところですが、私はシェークスピアがこの書を読んでいたと思いたいです。まだ読んでいないとしても、この話は有名だから耳に入っていた可能性は十分にあります。それに、ラテン語のテキストならばいくらでもあったのですから。
『ハムレット』で、酢に真珠を投げ入れたのでは絵になりません。ぶどう酒でなければ芝居にならないでしょう。シェークスピアにとっては、なんとしてもぶどう酒でなければならなかったのです。ハムレットの最後はそうでならなければならなかったのです。
(「クレオパトラの真珠」了)
プリニウスの『博物誌』は西洋ではよく読まれたので、この話は広く伝わりました。そこで誰でもが考えたことは、果たして真珠が酢に溶けるのかということでした。プリニウスはただこのように述べただけです。「召使は彼女の前にたった一つの酢の入った容器を置いた。その酢の強くて激しい性質は真珠を溶かすことができるものであった。・・・彼女は一つの耳輪を外して、その真珠を酢の中に落とした。そして真珠が溶けてしまうと一気に飲み干した」。
容器の中の液体はアケトゥム(acetum)とあります。アケトゥムはどう考えても酢です。他に「皮肉を言う」の皮肉という意味もありますが、皮肉を盃に入れて飲むことはできないでしょう。従来ずっと酢であると解釈されてきました。当然です。だが同時にいろいろな疑問も出されてきました。典型的な一例は『西洋事物起源』の著者ヨハン・ベックマンの考えです。
ベックマンによると、真珠の石灰質部分を覆っているエナメルは弱酸に容易には溶けないから、クレオパトラは真珠を砕いて粉末にしてから溶かし、さらに水で薄めて飲めるようにしたのではないかといいます。だがこの説はとても容認できません。プリニウスは、砕いたなどとは書いていないし、第一、砕くなどという無粋なことを、気取り屋のクレオパトラがアントニウスの前で演ずるはずはないですか。やはりその華麗な指先から大粒の輝く真珠がポトリと盃の中に落とされなければ、この場は絵にならないのです。
一方、『エピソード科学史』を書いたサトリックはその著の中で二・三の見解をのべています。その一つによると、クレオパトラがあらかじめ酢のなかに何か真珠を溶かす物質を入れていたのではないかというのです。しかしこれも納得のいくような説明にはなっていません。真珠を溶かすような物質で人間の胃に害のないものが果たしてあるでしょうか。
もう一つの見解は、白亜で贋の真珠を作ってそれでごまかしたというもの。これについてはサトリック自身、彼女の品性に合わないといって否定しています。
三つ目のものは、真珠が溶けたふりをして丸ごと飲んでしまったとう説です。ありそうな話ですが、これまたクレオパトラの品性に合わないし、第一プリニウスははっきり溶かしてと言っています。これはプリニウスが伝えた話ですから、それを疑ったら別の話になってしまいます。
真珠が酢に溶けるということは当時広く信じられていたようです。ウィトゥルウィウス(前一世紀のローマの建築家)もその著『建築書』のなかで真珠が酢で溶けると述べていますし、スエトニウス(『皇帝伝』の著者)は、皇帝カリグラが非常に高価な真珠を酢に溶かして飲み、会食者の前に黄金製のパンとお菜を供したと書いています。黄金製のパンとお菜とはなんでしょうか、ちょっと首を傾げたくなりますね。
プリニウス自身もクレオパトラ以前に酢に真珠を溶かして飲んだ人物のことを書いています。それによると、キケロ時代の著名な悲劇訳者クロウディウス・アエソポスの息子クロディウスは、父親から莫大な遺産を相続しましたが、彼は賭けなどというものではなく、実際に自分の舌を試して見たく真珠を酢に溶かて飲んだというのです。ところが驚くほど美味だったので、客たちにそれぞれ立派な真珠を与えて飲ましたということです。この息子も役者だったようですが、プリニウスは、この一役者に過ぎないクロディウスの振舞いに較べられれば、三頭政治の一員であったアントニウスも大して自慢できないだろうと冷やかしています。
ついでに言うと、父親のクロディウス・アエソポスのほうは、歌ったりしゃべったりする鳥を一羽六千セステルティウスという大金で買い入れ、それを食べたということです。プリニウスは、真珠を飲んだ息子にふさわしい父親で、両者で愚劣さを競っているが、その愚劣さの優劣などを決めたくはないと怒っています。
ちょっと時代は飛びますが、一六世紀イギリスの大貴族で大金持ち、グレッシャムの法則で有名なサー・トーマス・グレッシャムは、女王の前でこの上なく見事な真珠を粉々に砕いて自分のぶどう酒にいれ、女王の健康を祝して乾杯したといいます(『エピソード科学史』から)。もっとも、あまりあてにはなりませんが。
こんなわけで、いろいろ珍説も生まれます。以下の説(ある有名な百科辞典)はなかなかユーモアがあっておもしろいと思います。
「クレオパトラがアントニウスを迎えた宴会で真珠をブドウ酒に投げ込んで乾杯したという伝説があるが、ブドウ酒では真珠は溶けないので、つくり話だと見られている。強い酢につけると溶けることはローマ時代から知られていたので、真珠を溶かした酢をうすめて飲んだのかも知れない」。
ここでは「伝説」の出所がプリニウスとは書いていません。どこか私たちの知らない出典があるのかもしれません。それにしてもユニークな見解です。
近年実験してみた人もいるようです。それによると、長時間酢につければいくらか柔らかくなるが、とても溶けるということにはならないそうです。そうでしょうね、多分。そりゃ私だってお金があれば試してみたいという気になるかもしれません。しかしプリニウスは、愚かなことは止めておけ、というでしょうね。
筆者、つまり私の見解は、「わからない」「わかる必要はない」です。
最後に、ハムレットの最後についてです。小津二郎氏の名訳をお借りします。
王 葡萄酒の盃をテーブルの上に置け。もしハムレットが一回目か二回目に勝てば、あるいは、三回目に雪辱をとげたなら、全城壁から祝砲を放ち、王はハムレットの健闘を祈って祝杯をあげよう。盃には真珠を投ずることにする。四代にわたるデンマークの王冠を飾った真珠より見事なものだぞ。盃をくれ。そうして太鼓をラッパに伝え、ラッパを外なる大砲に伝え、大砲を天に向かって撃ち上げ、地をして天に呼応せしめて、「今こそ王がハムレットのために祝杯を」と叫ばしめるのだ。
王は盃に毒を仕込んでいましたが、ハムレットより先に王妃ガートルードがそれを飲み息絶えます。これまた毒を塗った剣で傷つけられていたハムレットはそれを見て、自分も母親の飲み残した盃を仰いで後を追います。
シェークスピアはプリニウスの愛読者でした。彼はしばしば『博物誌』からヒントを得ていました。そのことはウェザーレッドが適切に指摘していたところです(『古代へのいざない プリニウスの博物誌』)。シェークスピアが読んだのは一六〇一年出版のフィルモン・ホランドによる英訳本だと思います。小津二郎氏は『ハムレット』は一六〇一年か二年の創作だろうと推測しています。ウェザーレッドは〇一年、ちょうどホランド訳が出た年といっています。際どいところですが、私はシェークスピアがこの書を読んでいたと思いたいです。まだ読んでいないとしても、この話は有名だから耳に入っていた可能性は十分にあります。それに、ラテン語のテキストならばいくらでもあったのですから。
『ハムレット』で、酢に真珠を投げ入れたのでは絵になりません。ぶどう酒でなければ芝居にならないでしょう。シェークスピアにとっては、なんとしてもぶどう酒でなければならなかったのです。ハムレットの最後はそうでならなければならなかったのです。
(「クレオパトラの真珠」了)
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