静かの海

この海は水もなく風も吹かない。あるのは静謐。だが太陽から借りた光で輝き、文字が躍る。

恐るべしパンタグリュエリヨン草

2010-02-05 12:22:29 | 日記
 魁偉なる巨人ガルガンチュア王の子パンタグリュエル王は、自分が発見した植物にパンタグリュエリヨン草という名をつけた。だが実際は植物を発見したのではなく、その用途を発見したのである。

 この草はまことに効能豊かな霊草で薬効限りなく、火に燃えることもなく、盗賊どもでさえ追い払う。この草で作った紐や縄、布はありとあらゆる生活用品に用いられる。のみならず「目に見えぬ物象」も目に明らかに捕らえることができる。つまり、それで帆を作って風車を回し、また巨大な輸送船も、頑丈な商船、千人・万人も乗せられる船舶も巨大な帆によって自由自在に運行させることができ、人類は地球上どこへでも思うがまま訪れることができる。

 もちろんこの草はラブレーの創作であるが、実はこれはプリニウスの亜麻(Linum、学名Linum usitatissimum)の記述のパロディである。(注:岩波文庫のこの書の訳注はCannabis sativaとしているが、これは間違い)。

 プリニウスは最初に、亜麻で作った帆によって、いかに航海が容易になったか具体的事例をのべる。そしていう、船より大きな帆を作ったことでさえ物足りず、帆桁の上にも帆を加え、さらに船首や船尾にも帆をつけて死に挑戦していると。そして航海術の発明者はどんな呪いをかけても呪い足りないという。 つまり当時航海はとても危険なことなのに、航海術の発明者は、人間を埋葬可能な陸上で死なせることに満足しなかったのだという。

 彼はそんなことを言いながら、亜麻の生産、亜麻布の生産法・利用法などを詳しく解説してゆくのである。読んでみると面白いのだが割愛。一つ二つだけ。クレオパトラはアントニウスとアクティウムの戦いに臨むとき紫色に染めた帆をあげていた。そして同じ帆で逃げ帰った。その後、紫の帆は皇帝の船の象徴となった。
 亜麻布は劇場の日除けとなったし、カエサルはローマ広場(フォルムロマヌム)全体に日除けを張ったという。まあこれは、日比谷公園や兼六園に日除けを張ったようなものだ。アウグストゥスの甥のマルケルスも真夏に広場に日除けを取り付けたので、訴訟人は健康な状態で出席できるようになったという。家々の中庭には苔を日光から遮断するため赤い日除けが用いられた・・・。

 火に燃えることもない、というのはプリニウスも書いていた。亜麻布の一種として。だがこれは実はアスベストのことであり、彼は見たことがなかったようである。 全体としてみれば、パンタグリュエリヨン草がプリニウスのいう麻(Linum)のパロディであることは明白である。だがラブレーはプリニウスの枠をはみ出す。このパンタグリュエリヨン草の帆のおかげで北極の人びとと南極の人びとが交流したり、大西洋を渡って赤道下で遊び戯れたりするまでになった。その様子を見て在天の聖霊も陸海の神々もことごとく恐れおののいた。 オリュンポスの神々も驚愕し、人間どもはさらに別の植物を発明し、月世界のみならず星座にも昇ってきて神々と食卓をともにし、自分たちの女神を妻とするようになるのは必定だと怖れをなすのである。

 このパンタグリュエリヨン草の記述のある「第三の書」は出版されてまもなく禁書になり、ラブレーは行方をくらましたそうである。理由ははっきりしない。オリュンポスの神々まで愚弄したこの書が陥る運命だったのだろう。ラブレーの人文主義者としての面目躍如たるものがあるが。

 それに較べるとローマ帝国の高官、皇帝の諮問委員でもあったプリニウスにとって、出版への障碍は何もない。ローマ社会には宗教対立・抗争もなかった。だから国家権力、新旧の宗教的権威をパロディ化する必然性もない。彼が恐れたのは、万物の生みの親である自然を冒涜しそれを破滅させたりするような力であり、そのような力に対して彼はことあるごとに警告を発していたのである。亜麻布を用いた帆船への危惧はその一つであった。

 先に述べた「ガルガンチュアの洗脳教育」での「アンティキラ産のエレボルス」にしても、このパンタグリュエリヨン草の話にしても、ラブレーは、広く読まれていた古代の権威プリニウスの文を借りてパロディ風に仕立て、自分の思想を韜晦のなかで表明し、古い権威への挑戦を図ったのだと思う。 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿