一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

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短編小説のエンディングについて

2007-02-26 09:34:52 | Criticism
長編に比べると、短編小説の結末をどうするかには、結構難しいものがあります。

長編小説は、ストーリーや主要人物の運命なりが一先ず完了した、という時点があるのですが、短編の場合には、その一部を切り取った/クローズアップした感があるので、どこをエンディングとするかは、著者の視点がはっきりと現れてくる。
今回は、安部龍太郎の短編集『お吉写真帖』をテクストに、エンディングについて考えてみようという趣向。

古風なエンディング観だと、まるで落語のようなトゥイストの効いた終りを良しとしたようですが、さすがに現在の短編では、そのようなものはあまりありません。
しかし、そのような、ある種鮮やかな結末が上手くいった場合には、それなりのカタルシスが得られるのも確かなようです(クラシカル音楽での「終止形」のようなもの)。

テクストとした短編集には、切れ味の良いエンディングの例はありませんが、思いがけない結末として余韻を残すものとしては、集のタイトルとなった『お吉写真帖』があります。
この短編は、いわゆる「唐人お吉」と、幕末から明治にかけての写真師下岡蓮杖との知られざる交流が描かれ、幕切れは、明治になってからのお吉の生き方を「写真史」の1ページに暗示するものとなっています。

また『適塾青春期』は、長与専斎の適塾時代を描いたもので、青春の喜びと哀感が表された、なかなかの好短編です。
けれども、エンディングという点では、特に工夫があるわけではなく、まあ標準的な出来。

長編の一部としか思えないエンディングのものとしては、西周助(周)のオランダ留学への旅を描いた『オランダ水虫』、加賀の支藩大聖寺藩での幕末の贋金造りの顛末を描いた『贋金一件』があります。
これらは、結末はあってなきがごときもので、まさしくまだまだ続きがある、という感じを抱かせます。

ということで、書く側にとって、なかなかエンディングは難しいもので、上手いアイディアが浮かべば、そこからの逆算で一編が仕立て上がったも同様のところがあります。

さて、本短編集の作者は、どのような経過で、これらの短編を組み立てたのでしょうか。
そんなことも考えながら一冊を読むのも、面白いものではないでしょうか。

安部龍太郎
『お吉写真帖』
文春文庫
定価:650円 (税込)
ISBN978-4167597030