一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

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時代小説に「いちゃもん」【その1】

2007-02-12 07:32:44 | Book Review
以前、「時代小説の用語について」「三田村鳶魚翁、ふたたび。」「時代小説と小説の reality」などで、時代小説における「時代考証」に関して述べました。

基本的な小生の立場は、その小説世界の reality を支えているものは、「時代考証」(用語の時代性を含めて)である、ということです。
したがって、その時代らしからぬ用語や出来事は、どのような小さなことであろうとも、そこから小説世界の reality が崩れていくことになりかねないよ、と指摘したわけ。
「このように、歴史小説での「小説としての reality 」を保障するものとして、何を最重要視するかは、作家によって異なりますが、いずれにしても些細な事柄が大きな reality を支えていることは、お分りになったでしょう。

ここでも繰り返せば、
 「神は細部に宿り給う」
  (Der liebe Gott steckt im Detail)
わけです。」
と再度書き付けておきましょう。

さて、今回のテクストは高橋三千綱の『空の剣-男谷精一郎の孤独』です。

この人の場合、弱点は、江戸の地理感覚がないことなのね。
略歴を見たら「大阪生まれ」とありましたから、おそらく東京の地理にも詳しくはないのでしょう。

ここからは東京ローカルな話題になりますので、ご興味のない向きは飛ばしてください。

さて、若き男谷精一郎は、本所番場町(現在の墨田区東駒形1丁目)の親元に暮らしています。
ところが、ある日、死んだと思っていた実の母親が、秩父に健在でいることを聞かされます(精一郎は長男なんだけど、妾腹の子なのね)。
そこで、本所番場町から秩父に「武者修行」という名目で赴くわけですが、その道筋が妙なのです。

大川橋(吾妻橋)を渡るところまでは良いでしょう。しかし、そこから南に向い、蔵前を通っていく、というのはどうでしょうか。
そして、
「浅草御門の手前を西に折れ、神田川沿いに上って湯島の聖堂を見下ろす道を斜めに入る。そこはもう中山道に通じる道で、なだらかな坂を上って本郷の町屋を抜けると加賀様の屋敷に出る。」

つまりは、浅草橋の辺りから佐久間河岸を通り、昌平橋の所で本郷通りに入り、東大前を通っていったということね。

それはいいんだけども、これ飛んでもない遠回りなのね。
タクシー・ドライバーなら、乗客からクレームがつくよ。
江戸時代の人なら(今日でもそうでしょうね)、大川橋から西に進み、東本願寺の所で折れて、新寺町(現在の浅草通)を真直ぐ上野に向い、お成り道(現在の中央通)に入って、下谷広小路(現在の上野広小路の交差点)で右に折れて湯島の切通しを抜け(現在の春日通)、今日の本郷3丁目の交差点に至る、というのが順当な道筋じゃあないかしら。

この作者、地図を見ているんだろうけど、登場人物を動かしたい道筋しか見えていないみたい。

同様なことを、他のテクストにも見かけますが、もうちょっとしっかりと地図を見ていただきたい。
江戸のほとんど主要な道は、今日でも生きているのだから(昭和通や明治通のように、関東大震災後に出来た道はあったとしても)。

高橋三千綱
『空の剣-男谷精一郎の孤独』
集英社
定価:1,995円 (税込)
ISBN978-4087744095