一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

新刊、旧刊とりまぜて
読んだ本の書評をお送りいたします。
活字中毒者のアナタのためのブログです。

時代小説に「いちゃもん」【その2】

2007-02-18 09:27:26 | Criticism
今回は、小説における「註」のあり方について。

小説、特に時代小説の場合、どうしても読者に説明しなければならない事項が出てきます。
たとえば、「冷や飯食い」「(将棋盤の)血溜まり」「お構い」「加役」などなど。

ごく一般的な処理のしかたとしては、これらの語の下に「かっこ」で囲んで註を入れるということになりますが、これも頻出すると、結構煩わしい。
まあ、下策といったところでしょうか。

中策としては、やはり、本文中(地の文、科白を問わず)に溶け込ませるというやりかたでしょう。
しかし、これもあまりにも本文から浮いてしまうと、読者としては、鼻白んだ思いにかられてしまいます。

次のようなのは、いかがでしょうか。
「平賀源内は高松藩から浪人するにあたり、『お構い』の処分を受けています。『お構い』とは、高松藩は他藩が源内を取り立てることを認めない、という宣言です。したがって、源内は諸藩や幕府に仕官して禄をもらうことのできない身の上なのです。」(米村圭伍『退屈姫君伝』)

まあ、これを余分な、長々しい説明と感じるかどうかは、文脈や読者によって違ってくるのですが、まあ、この程度の長さが限界でしょうか。

次のようなのは、ちょっと長過ぎて、著者の意図が分りません(別に原稿の分量を増やそうとしているわけじゃあないよね)。
「『加役』とはいわゆる『火付考察・盗賊考察』のことである。南北両奉行所は定町廻方だけが庶人に直接かかわりがあるので警察力ばかりが目につくが、その役務は司法・行政全般にわたっている。既述の通り、主力となる警察力は定町廻方同心十二名で、その相談役として臨時廻方同心十二名がいるものの、当然これでは手不足である。
(中略)
いかんせん、仁心の養育を政治の根幹に置く綱吉将軍のもとでは、こうした強引な職を置くのは矛盾している、ということと、寺社奉行や町奉行、勘定奉行(江戸府外の天領の治安は、勘定奉行支配下の代官があたっている)と職掌が分明でない、という事情から、元禄十二年十二月、両加役は廃役となった。」(鈴木輝一郎『三人吉三』)
引用しただけで、ほぼ三分の一。これは長過ぎる。

ここで思い起すのが、明治の小説。
丸谷才一の指摘によれば、夏目漱石などは新聞小説であるにも関わらず、この手の「註」を外国語に関して一切付けなかったとのこと。
つまり「註」を付けなくとも分るような記述になっているのです。

ちょっと、手持の『三四郎』を繰ってみると、次のようなものがありました。
「『ヴェニスでしょう』
これは三四郎にも解った。何だかヴェニスらしい。画舫(ゴンドラ)にでも乗ってみたい心持がする。三四郎は高等学校に居る時分画舫(ゴンドラ)という字を覚えた。それからこの字が好きになった。画舫(ゴンドラ)というと、女と一所に乗らなければ済まない様な気がする。黙って蒼(あお)い水と、水の左右の高い家と、倒(さか)さに映る家の影と、影の中にちらちらする赤い片(きれ)を眺めていた。」

やはり、これが上策のようなのですが、時代小説だと難しいかな。
しかし、できるだけ上策を採るべく努力をお願いしたいところであります。
途中でストーリーが中断され、気分が途切れるという、欠陥を少なくするためにもね。