一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

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時代小説の会話文

2007-02-21 13:16:33 | Criticism
以前から何度か、時代小説/歴史小説の会話文について触れてきました。
どうも、会話文の扱いに関しては、2種類の方法があるようです。

というのは、赤木駿介の『天下を汝に-戦国外交の雄・今川氏真』を読んでいた、最初は違和感があったものの、徐々に「これも、ありかな」と思い出してきたからです。

書き出しから会話文です。
「ほんとにおどろきましたな。お聞き及びでしょう、上洛中の信長公のこと。従三位参議というのはまあ致し方ないとしてもですよ、蘭奢待(らんじゃたい)の切り取りを所望したとは……。ただもう、おどろきだけでして」
といった具合。
「所望」などという漢語以外には、特に時代色を感じさせることばは使われていない(もちろん、「信長公」「従三位参議」なんていうのは別よ)。

これは公卿の菊亭春季の科白ですが、これが主人公の夫人となると、
「あなた、珍しいお人が来ましたよ」
「さあ、こっちにお回りなさい」
となってくる。

どうやら、この筆法も、時代色を感じさせる書き方も、芥川龍之介辺りに始まっているんじゃないかしら。

彼の作品の場合、既に2種類の書き様が現れています。
「ところでね、一つ承りたい事があるんだが。」
「何だい、莫迦に改まって。」
「それがさ。今日はふだんとちがって、君が近々に伊豆の何とかいう港から船を出して、女護ケ島へ渡ろうという、その名残りの酒宴だろう。」
「そうさ」
このような書生さん同士の会話のようなのが、戯曲ですが『世之介の話』。
井原西鶴の『好色一代男』を基にしていますから、時代は江戸時代ということになるのですが。

もう一方は『或日の大石内蔵助』。
「引き上げの朝、彼奴に遇った時には、唾を吐きかけても飽き足らぬと思いました。何しろのめのめと我々の前へ面をさらした上に、御本望を遂げられ、大慶の至りなどというのですからな。」
「高田も高田じゃが、小山田庄左衛門などもしようのないたわけ者じゃ。」
「何に致せ、御一同のような忠臣と、一つ御藩に、さような輩がおろうとは、考えられも致しませんな。さればこそ、武士はもとより、町人百姓まで、犬侍の禄盗人のと悪口を申しておるそうでございます。」

いずれにしても、その時代の人びとの会話を直接聞いたわけではないし、口語の資料が多量に残っているわけでもないので、想像で造られた会話ではあるのですが。

その点、幕末期になると、資料も残っているので、結構リアルなものになる。特に、芥川の場合には、下町育ちなので、そのような口調でしゃべっている人もまだいたことでしょう。

例は『お富の貞操』。
「どうも相済みません。あんまり降りが強いもんだから、つい御留守へはいりこみましたがね――何、格別明き巣狙いに宗旨を変えた訳でもないんです。」
「驚かせるよ、ほんとうに。――いくら明き巣狙いじゃあないといったって、図図しいにも程があるじゃないか?」

といった案配で、どちらの書き様を採るかは、完全に著者に方針次第ということでしょうか(読者は読者で、それなりの趣味があるでしょう)。

ちなみに、鳶魚翁は、
「昔の人間の口語を現代語にうつすということについては、随分骨も折っておられるようであが、どうもその人間がそこに現れて来るようにはゆかない。昔の人間の思想なり、心持なりを現すというよりも、作者の現在の心持を現しているもののようにのみ思われる。」(「島崎藤村氏の『夜明け前』)
といっていますが。