一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

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実践的物語論(番外) -『天保悪党伝』での「悪」の形象化【その2】

2007-02-10 03:48:03 | Criticism
本書『天保悪党伝』では、二枚目の御家人片岡直次郎(直侍)も形無しです。
確かに、吉原の花魁三千歳に惚れられる「二枚目」なのですが、
「男ぶりがいいというだけで金も力もない」
という存在。
しかも、時間の経過とともに、外見も、
「むかしはすっきりと痩せていた頬に余分な肉がつき、顔は鉛いろで瞼は厚ぼったく、体全体がむくんでいるような印象がある。」
となり、三千歳に、
「女に貢がせるしか能のない」「こせこせとした小物」
と思わせるようにすらなってくる。

ですから、悪事を働くといっても、河内山の手助けをするくらいが関の山。
例の「松江候玄関先の場」でも、使僧に付いてくる寺侍の役どころです。
しかも、内心は、
「時が移るにつれて、直次郎の胸は落ちつきを失い、高い動悸を打った。」

「いまにも縄でくくられた河内山が玄関に引き出されて来て、次には藩士たちが一斉に自分にとびかかって来るのではないかという妄想に悩まされながら、直次郎は逃げ出したい気持にじっと堪えている。」
といった案配。

これでは、とても講釈や歌舞伎でのダーティー・ヒーローなどではありませんね。