一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

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反面教師としての「天声人語」

2007-02-22 09:34:33 | Essay
「天声人語」といえば、大学入試に問題文として引用されたりして、世の中では「名文」ということになっているようですが、本当にそうでしょうか。

文章には、どのような長さのものであれ、テーマがあります。たとえ、それが「感慨」や「感情」を伝えるものであれ。
けれども、昨今の「天声人語」は、テーマらしきものに直接ストレートなアプローチをする手法は採っていないようです。

むしろ、俳句(正確には連歌)のように、イメージをつなげていって、最後のことばで締める、という方法が多いようなのね。

たとえば、今日(2月22日)付けのそれ。
まずは、南方熊楠のことばから始まり、南方熊楠賞受賞者の話になり、その受賞者が「農薬の乱用を憂」いた人物の一人であることから、レイチェル・カーソンのことばを引き、最後の「結論」――「今年も、春の足音が聞こえている。それが永遠に繰り返されるかどうかは、人間次第だ。」と締めくくる。

おそらく、こういうイメージ連想型の文章が、入試問題作成者の国語教師のお気に入りなんでしょう。
だけど、個々のイメージ自体は、さしたる情報があるわけではない。一知半解の知識や、片言隻句が提示されているだけ。今日のケースでいえば、南方熊楠やレイチェル・カーソンについて、情報の断片が投げ出されている、という感が強い。
だから、どうしても書き手の「知識誇り」といった態度が目立つのね。

しかも皮肉なことに、同じ新聞の「文化欄」では、全国の神社分類に関する記事が載っていて、沖縄県を除く都道府県では和歌山県が最も神社の数が少ない、と結果が報じられている。
なぜ「皮肉なことに」と書いたかといえば、その原因が「明治末に知事の権限で神社が整理され」、それに熊楠が大反対をしたことは良く知られているとおり。その文章の一節が「天声人語」の書き出しに使われている、というわけです。

そっちへ話を持っていけば、一貫したテーマでの文章になったものを、なまじに環境問題に引っぱっていったものだから、このように批判されるはめにもなる。

さて、入試問題に使うのなら、同じ熊楠の文章から話を展開させる、という小論文問題などはいかが。
ちなみに、その文章は以下のようなものです。
「千百年斧斤(ふきん)を入れざりし神林は、諸草木相互の関係はなはだ密接錯雑致し、近ごろはエコロギーと申し、この相互の関係を研究する特種専門の学問さえ出で来たりおることに御座候。」

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1 コメント

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営業職なんてやってると・・・(^^)v (クラウディオ アラウ)
2007-02-22 23:31:32
私が読んでるのは朝日新聞ではありませんが、新聞のアノ欄はけっこう実用的に使っています。

営業なんてやってると、マクラに“にわか仕込みの”旬のイメージの話題を投げて相手との緊張感を解き、ツカミはオッケーとなれば本論の自分がプロであるところの商談に入るということが常套手段になっています。

その際に、「新聞に書いてあった」というだけで旬の話題になっちゃうので、記者のトリビア的知識のひけらかしはむしろ歓迎なのであります。
聞きかじりのことを「挨拶代わりに使う」というのも、こう考えるとセコイ様な気もしますが、情報活用の目的は人それぞれということで。

ただ、さすがに社説とかをイメージと言うか、論理的でない書き方をされてるのを見ると(たまにありませんか?)辟易することもありますが・・・。

南方熊楠は、これまで名前しか知らないような人だったのですが、既に彼の時代にエコなんて言葉があったんですねぇ。
また、マクラの話のネタにしちゃおうかな・・・。

熊楠の言葉を受けて、森林を伐採しても「ちゃんと植えなおせばいいんだろ」って杉の木ばっかり植えた結果が、今この季節なんでしょうか?

とても“飛散”な結果だって・・・。

漢字が間違ってましたでしょうか。(^^)/

このような展開はどんなもんでしょうか?
天声人語には使えないでしょうけど・・・。

入試も落ちるだろうなぁ~。
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