一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

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実践的物語論(15) -ストーリーづくり【その7】

2007-02-01 05:58:53 | Criticism
江戸の人びとは、独自の「悪」の発見をしました。

もともと、ドラマトゥルギーに「悪」の存在は欠かせないものですが、江戸時代当初は、主人公に敵対する、類型的な「悪」しか存在しなかったようです。
例えば『菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)』で、菅丞相(かんしょうじょう)を讒言によって配流に追い込む藤原時平(しへい)などがそうですね。
「公家悪」という藍の隈取りが、まさしく類型的な存在であることを示しています。

それが、「悪」の魅力を発見することになるのは、どうやら『水滸伝』の影響のような気がします(1773年に『本朝水滸伝』が成立、普及)。
しかし、『水滸伝』での「悪」は、「義」の主張によって社会からはみだし、盗賊にならざるを得なかった存在が主となります(だからこそ、宋江はうじうじ悩むのだし、最後には朝廷に帰順する)。まあ、例外といえるのは、無意味な殺人を繰り返す「黒旋風」李逵くらいなものでしょうか。

江戸での「悪」の魅力の発見は、やはり鶴屋南北あたりが最初でしょうか。
その後、 黙阿弥の世界は明治時代にまで及び、大衆小説の世界へも流れ込んでいきます。

かくまで、われわれが「悪」に魅力を感じるのは何故でしょうか。
一つには、「悪」に、われわれ読者は、一体化できない「影(シャドウ)」を投影しているから、とすることもできるでしょう。


前回述べたことが、限りなく妄想に近いのか、それとも何らかの建設的な意味があるのかは、「夢」に関する科学との整合性を確かめれば分ることでしょう。

そこで、アラン・ホブソン『夢の科学』なる書を取り出して、そこでの言説とつき合わせて確認してみよう、というのが、今回のねらい(著者は、ハーバード大学教授で神経生理学者)。

まずは、神経生理学的に見た、「夢をみている状態」とは、
「レム睡眠中の脳で、夢をみているときに弱まる精神機能(一風斎註・記憶、自覚、論理性、現実との参照などの機能)に伴って起きているのは、ノルアドレナリン細胞やセロトニン細胞の沈黙という現象である。ノルアドレナリンもセロトニンも学習、注意、記憶に、ひいては見当識や推論といった機能にも必要な物質とされている。
 そしてもう一つ忘れてならないのが、ノルアドレナリンやセロトニンからの抑制を解かれて活動が高まったコリン作動系だ。この系は、幻覚、連想、情動に関わる脳部位を局所的に活性化して、このような夢の特徴に貢献するのだと思われる。」

ここまでは、特に小生の述べたこととの齟齬はありません。というより、まず Ur-traum の記述に関しては、小生の言説は関係がないからであります。
ただ、現在の科学では、以上のように、「夢みること」を化学的変化として捉えているということを確認しておけばよい。

問題は、その「夢」はどのように記憶され、それが覚醒時にどのように変形されて発言されるか、ということでしょう。

まずは「夢」の記憶が難しいということ。それは前に引いた部分にもあるように、「夢をみている状態」では、記憶に必要なノルアドレナリン細胞やセロトニン細胞が「沈黙」してしまうから。
したがって、本書では、
「よく白黒の夢をみると感じるのは、記憶がうまく働いていないからだ。
 ちなみに、夢を少しも覚えていないとか(一風斎註・夢をみたことさえ覚えていない!)、逆にはっきり思い出せるとか、あるいは長い夢を思い起こせるといったことは、睡眠中の脳の活性化もさることながら、目覚めのコンディションにも深く関わっているのである。」
と説明する。