一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

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最近の拾い読みから(119) ―『絵画の領分―近代日本比較文化史研究』

2007-02-05 05:55:39 | Book Review
前回は小説で、高橋由一と三島通庸との関係を見てみました。
ここでは、研究書でこの二人の対立・共鳴の具合を探ってみましょう。

そういう意味では、もりたなるおの小説『山を貫く』とは、いささかイメージが違っています。というのも、あくまでも小説では、事実そのままよりは真実を追究することが目的となるため、「対立」というドラマティックな要素を前面に押し出す方が効果的だからです(小説は、この研究書の後で出されたことは、文末「参考文献」で分る)。

本書の第一部が「歴史の中の高橋由一」と名づけられた高橋由一論。その中に収められた一編に「画家と土木県令」という部分があります。
もちろん、画家というのは高橋由一、土木県令というのは三島通庸のこと。

さて、このパートでは、三島県政での進歩性が述べられています。
「三島の県政は結局、あの民権派議員たちのセンセーショナルな批判をはるかにこえて、さまざまの劇を生みながらも確実な恩恵を県民にもたらしつづけてきたのである。」
として、
「三島が築いた基幹道路の大半は今日の県内国道の基礎となっている」
状況を、紹介しています。

その進歩性の元になった情熱に、高橋由一も惹かれた、というのが著者の見解。
著者は由一の言(明治17年10月22日付、仙台発書簡)、
「実に三島老の熱心は凡人の及ばざる神力と云ふてよし。……度量大なる人也。宮城人民も昨今に至り同老を敬慕して止まずと宿主の話し、尤(もっとも)の次第也」
を引き、
「自然に挑戦し、自然の資源を開発するこのダイナミックな人力の営為に接して、由一はついにあの矮小な浮世絵的自然観の枠を脱して、明治日本にふさわしい風景画の新乾坤を開き、日本風景画史上に一期を画するにいたったのである。」
と述べています。

しかし、それでもなお、明治の近代化は、このような形でよかったのかどうか、という疑問が、小生には残るのですが(上からの「開発独裁」による近代化。こちらもご参考に)。

芳賀徹
『絵画の領分―近代日本比較文化史研究』
朝日新聞社
定価:2,345円 (税込)
ISBN978-4022595126