一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

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「風船爆弾」のこと

2007-02-19 13:58:41 | Essay
「風船は朝陽を浴び、また西陽に反射して、中空に達するまでは幾つもの大きな造花が浮遊したように美しかった。
(中略)
外観からも、まことに物静かな、粛々とした攻撃であった。戦争という残酷な劇のなかにまき込まれている現実からあまりに遠い、大空の飾り物のようであった。敵本国を脅かす唯一の秘密の凶器だが、浮上するにつれて太平洋上空を派手に彩る。
風船爆弾たちは、互いに風のまにまに旅をしようと声をかけあっているように見える。一定の距離、間隔をおいて整然たる秩序をまもり、鮮烈な生物のように駘蕩と集団飛行をしてゆく。
住民たちは見惚れて、見飽きなかった。」(鈴木俊平『風船爆弾』)

妙に「風船爆弾」に惹かれるところがあります。

読者諸兄諸姉は、「風船爆弾」につき先刻ご存知だとは思いますが、老婆心ながら一言。
「風船爆弾」とは、「太平洋戦争末期アメリカ本土爆撃をめざして打ち上げられた」「大きな気球に吊るされた爆弾」(直径約10メートル)で、「高度約1万mを吹く偏西風が強まる11月~3月の期間を利用して、太平洋上8千kmを時速約200km、2~3日で横断してアメリカ本土を攻撃するもの」(埼玉県平和資料館HPより)です。

その材料が、蒟蒻(こんにゃく)糊で張り合わせた和紙、ということから、ローテクなイメージがありますが、「風船爆弾」というアイディア自体は、当時の科学技術を十分に生かしたものなのね。

科学技術という点では、一つに、太平洋上空を吹くジェット気流の発見ということがあります。
高層気象台の初代台長だった大石和三郎が、1926(大正15)年に、観測データを元にしたジェット気流の存在を発表していた。けれども、世界的な注目を得るにはいたらなかったんです。
また、風船爆弾に搭載された耐寒電池や高度維持装置などの開発も、当時のハイテクでありました。

そのローテク材料と科学技術との組合わせという点は、いかにも、この国の近代化を象徴しているようです。

一方のアメリカでは、ハイテクの粋を集め、大量殺戮を狙う原子爆弾の開発が行なわれ、海のこちらでは、限りある資源(物的にも知的にも)を結集して「風船爆弾」が開発された。
実に皮肉なものです。

その両者は、一瞬の「対決劇」を演じています。
「ワシントン州ヤキマ市東方65キロメートルにあるプルトニウム生産のハンフォード工場へ、風船爆弾は不発のまま寒い冬のさ中に舞い落ちていた。
風船爆弾は、ハンフォード工場の送電線にふれてひっかかったまま、無気味に風に揺れた。原子爆弾工場は停電となり、動力が中断して大騒ぎを起こした。原爆工場を狙ったような日本の新兵器の降下であった。偶然であった。
風船爆弾は炸裂しなかった。
しかし原子爆弾の製造は、この出来事で三日間遅延させられていた。」(鈴木、前掲書)

そんな意外なドラマ性も、「風船爆弾」に惹かれるところなのでしょうか。

*「風船爆弾」の模型は、江戸東京博物館や埼玉県平和資料館に、実物はワシントンDCのスミソニアン博物館に展示されてあります。
**なお、吉野 興一『風船爆弾―純国産兵器「ふ号」 の記録』に関しては、こちらを参照。

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