一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

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最近の拾い読みから(118) ―『山を貫く』

2007-02-04 11:35:43 | Book Review
『花魁図』や『鮭図』で知られた高橋由一は、1828(文政11)年の生まれ。
ですから、明治洋画界でも、川上冬崖(1827 - 81)と並んで、ごく初期の作家ということになります。

佐野藩の江戸屋敷で生まれ、最初は狩野派の絵画を学んでいました。ですから、洋画の技法を学んだのは、その後、個人的にチャールズ・ワーグマンの指導を受けたり、幕府の蕃書調所画学局で冬崖に手ほどきを受けたりしてからということになります。

その転向の元には、一種のカルチャー・ショックがあったのね。
「ある友人から『洋製石版画』を借覧し、それが『悉(ことごと)ク皆真二逼(せま)リタルガ上二、一ノ趣味アルコトヲ発見シ、忽(たちま)チ(洋画)習学ノ念ヲ起シ』た」(芳賀徹『絵画の領分』)
そして、
「これを契機に由一は、それまでの狩野派修業を捨てて、洋画の迫真美の追及に踏み込んだのであった。」(芳賀、前掲書)

そのカルチャー・ショックの内実が、どのようなものであったかを知る手がかりとして、その蕃書調所画学局にいた時に残された有名なことばがあります。
「絵事(かいじ)ハ精神ノ為ス業(わざ)ナリ、理屈ヲ以テ精神ノ汚濁ヲ除去シ、始テ真正ノ画学ヲ務ムベシ」(『高橋由一履歴』より)。

このようなあり方を指して土方定一は「幕末洋画最後の、明治洋画最初の『巨人』」と呼んでいます。
けれども、むしろ芳賀徹が「洋画道の志士」といった表現の方が当っているみたい。

本書の高橋由一は、「土木県令」と呼ばれ、また自由民権運動を強権弾圧したことで「鬼県令」ともいわれた、三島通庸(みしま・みちつね、1835 - 88)との絵画(具体的には『栗子山隧道図(西洞門)』)をめぐっての、対立拮抗関係を描いています。
つまり「絵事ノ精神」を枉げずに、三島通庸に主導された土木工事の記録画を描くという、一種「綱渡り」のような絵事が、どのようにして行なわれたか、がメイン・テーマとなってきます。

そもそもが、高橋由一にとっての洋画は、日本的な湿気の多い風景を描くのに適しておらず、
「土木事業の隧道があり橋梁があった。あれこそ由一が目指す西洋画の、絶対の題材」
だったのです。
けれども、三島自身の行なった事業は、
「そのための賦役、賦課は、住民を苦しめた。土木県令は収奪の鬼県令とされ、悪評きわまる感があった。(中略)国民の人気はゼロに等しい。施政下にある県民の多数は、通庸を忌み嫌うこと蛇蝎の如くである。」
そして、その感情は、在野の画家由一のものでもあった(一方で、「信念を貫く人」という、三島と由一との間の共通点もある! 実にねじれた関係ではあります)。

このような矛盾に、どのように由一は立ち向かったのか。
敷衍すれば、明治における「在野の近代化」とは、どのようなものなのかに思いを馳せることもできるでしょう。
それを、小説という形式で、ビビッドに描いているのが、本書の価値だと思います(論文を絵解きしたような小説ではない)。

*本書のもう1つの主題に、当時の画壇情勢(フェノロサや岡倉天心らの押し進めていた日本画復興運動によって、西洋画が排斥されつつあった)を描くということもありますが、そちらに関しては、今回は省略しました。

もりたなるお
『山を貫く』
文藝春秋社
定価:1,631 円 (税込)
ISBN0784163136103