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神戸新聞・保護者年収と学力テスト

2012-07-06 | Weblog
語弊を顧みることなく、今日の神戸新聞の記事について

文科省は来年の全国学力テストで、保護者の年収を問うことにしたらしい。

こうした試みは以前からなされ、08年には年収と学力の関連がすでに指摘されている。

また、こうした子どもの環境と学力格差については様々な研究がなされてその関連性が示されている。



よく勉強ができるのは遺伝、などと茶化すが、そんな単純なことだろうか?

人間は生きている間に、脳の能力の数%としか使うことができないらしい。


さて、子どもたちの能力を開花させる環境を大人は作れているのか?

あえて絞って言うなら、加西に生まれる子どもたちの学習環境は十分であるといえるのか?



この指摘は、もう何年も前からしているが、エリート主義だとか、学校は生きる力を学ぶところと反論をいただく。

あきれるばかりだった。



学力が人間性を図る尺度でないことは「当たり前」

学校という集団生活をするところで、大切な社会性を身につけることも「当たり前」

人間教育・道徳教育を学校に押し付けてはならない。それは家庭の責任。



そんな、「生きる力」 なのか 「学力」なのか という2者択一の問題ではない。


生まれてくる子どもたちに、加西に生まれてくる子どもたちに、

その周囲の環境に左右されることなく、学力を身につけるという大切な

未来の可能性を切り開く道具を、しっかりもたせてやらねば。




昔にこんな「噂話」があった、加西病院に医者が来ないのは、その奥さんが反対をするから。

なぜなら、子どもが医者になれる学力が身に付かないから。


グリーンエナジーパークの優秀な技術者家族は、加西に住んでいるか?


なぜ、わざわざ小野など遠い高校に通わせるのか?

北条高校が進学クラスを作ることを、なぜ評価する声があがるのか?

北条高校の進学先を見て、なぜ地域の大人は一喜一憂するのか?



親はみな、子どもたちに少しでも、しっかりと勉強してほしい。

学校で学んでほしいと思っているのではなのだろうか?


現実を曖昧な「確かな学力」という言葉でお茶を濁してはならない。



写真の「学力と階層」の著者 (当時)オックスフォード大・東大教授 刈谷氏は
その著書の中で次のように書いている。

学力テストの結果を分析した結果について
「代わって注目したのが、公立学校の役割の影響であった。(中略)学校にしか頼って
 いない生徒の数学の正答率をもとに、学力の変化について分析を行った。その結果
 89年に比べ、01年において、学校だけでな学習する生徒の正答率が大きく低下
 していることが明らかとなった」


都市部の学校・学習塾をふくめた、学習環境差にはおどろくべきものがある。

こんなことは、学校も先生も教育委員会もよくわかっているはず。



だからこそ公立の小中学校の段階から、塾に通う費用が捻出できなくても

しっかり学習できる機会をつくってあげなければならない。



それをできているかどうか?を判断する指標(カルテ)になる学力テストの

市としての結果公表を質すと、ヒステリックな抗議を受けたこともある。


それは、本当に「子どもたちのため」だろうか?誰のためか?



子どもたちが、急に高校受験の時になって、いきなり「競争」にさらされる

大人になって、就職する段階や、就職後にも、全国の同世代や世界の中で

様々な「競争」に勝ち残っていかなければならない。


現実を知っているのに、知らないふりをして、曖昧な言葉ですませてはならない。


これができるか、できないか?

それは加西市が再生できるかどうかの大きな要素であることは間違いない。







取り戻せ!ふるさと加西の未来

実現する県政へ!

井上ちあき