goo blog サービス終了のお知らせ 

 神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

音楽遍歴とクラシック音楽

2025年01月07日 19時45分28秒 | 映画/ドラマ/アニメ/小説/音楽
 戦後間もない、海辺の田舎の貧しい行商の子供だったから音楽とは縁がなかった    と言いたいところだが、父は東京暮らしから田舎へ来たばかりのアラ30、なかなかおしゃれにうるさい、粋なハイカラさんで、モテていたのだ
だから田舎庶民では珍しい、カメラや手作りの蓄音機を持っていた
だから私も一桁の幼児時代から78回転のSPレコードで三橋美智也、島倉千代子、神戸一郎、灰田勝彦、春日八郎などを聞いて育った。

小学校6年生の時、音楽の時間にクラシックのレコードを聴かされて驚いた
子供なりに自分が住む世界には縁がないハイグレードの音楽だと感じた
同級生女子にピアノを弾く子が居た
会社経営者の一人娘だった、近づける人ではないと子供ながら思った
中学生の時にはバレーを習っている同級生女子がいた、教師の娘だったが、眩しかった。
その頃、ビートルズに触れて夢中になり、高校では禁止のバンドを結成して何度か同級生を集めて公民館でコンサートを開いた
いつも10人くらいしか来なかっから
先生をだまして運動会で2000人を前にグラウンドで二曲演奏した
あれが高校時代の三大思い出の一つだ
あとの二つはHD子、HR子との思い出

音楽にもどる
社会に出て、すぐに吉田拓郎のイメージの詩に衝撃を受け、それからサザンの勝手にシンドバットに衝撃を受けた
それから当時若者のメッカとなった新宿、そこのピットインで500円のコーラを買って生ジャズを聞き、俄ジャズファンになり、新潟の古町の路地にあるジャズ喫茶スワンに毎週一人で通ったが、田舎に戻るとジャズは縁遠くなった。

1980年、ビリージョエル、マイケルジャクソン、ドナサマー、ビージース、オリビアニュートンジョンなどに少しなびいたものの、なぜか加山雄三が好きになって聴くようになった
90年代は、毎週次男とドライブをして聴いていたのがキャロル
同じCDを聞き潰して3枚買ったほど
そのあとは世界の矢沢にシフトした
21世紀のはやり歌は知らない
覚える前に消えていく。

この頃、やたら寂しい
冬の悪天候の毎日が寂しさを増幅させる、なにもする気にならず毎日コタツに入ってテレビを7時間見ている
晴れ間を見ての散歩が唯一の運動
朝も8時頃まで寝ている、おきても寒いし、やることもないし、レコードやCDを聴いても気持ちは沈んだまま

昨日の夜、次男の部屋からCDを適当に持ってきてわからぬまま聴いたら、それはバイオリンのクラシック曲だった
バイオリンは、ひまりちゃんのyoutubeを見て唯一受け入れたクラシック

偶然聴いたのはアルビノーニのアダージョだった
渇水していた心が潤っていく
いま荒みかけていた心を洗われていく
求めていたものがわかった気がした
それからバッヘルベル、バッハ、ヘンデル、ビバルディ、マルティニ、などの曲が続く
リチャードカップ指揮のニューヨークフィルハーモニーア室内管弦楽団のCDだった
今朝も目覚めて、これを聴きながら身支度した
75歳、もうクラシックを聴いても良い年齢だろう、それだけの経験も重ねたはずだ
老いていく身にクラシックは似つかわしい
若き日を思い出すのではなく、重ねてきた傷を忘れさせてくれるのではないだろうか。




ジョン・レノン

2024年12月11日 07時29分03秒 | 映画/ドラマ/アニメ/小説/音楽
 12月8日の投稿では昭和16年の同日に始まった日本の戦争について書いた
12月8日と言えば、もう一つ私の関心事があった、それは1980年の12月8日
ニューヨークでジョン・レノンが暗殺された日でもある
ジョンは私より10歳上で1940年生まれだから、殺害されたのは40歳の時だった。

もう今は2024年、あと22日で2025年になるから、もうジョンが死んでから44年が過ぎたのだ、二巡目のジョンの人生ももう終わったのだ
私にしてみれば、つい十年前くらい前の出来事にさえ思えるが、今の20代、30代、ましてや10代はビートルズさえ「知らない」という人が多くなった。
無理もない、私が15歳の時には45年前と言えば大正時代中期だから、その頃の浪花節や歌舞伎のスターを知っているかと言われるようなものだ。

初めてビートルズの曲を聞いたのは何度も書いているが、映画「ビートルズがやってくる ヤア!ヤア!ヤア!」を森永製菓だかのコマーシャルにショートカットで出て、それを見た時だ
確か1964年だと思うから中二の時だ(14歳)、そのLPに入っていた「恋する二人」に痺れっぱなしだった、日本でもチャートの一位になった
日本ではその後に「ロックンロールミュージック」が大ヒットした
日本では英米より2年くらいビートルズの人気が出るのが遅れているから、LP
3~4枚分のヒット曲が一気にレコード化されて、ラジオのヒットパレード
「ハローポップス」「9500万人のポピュラーリクエスト」「東芝ヒットパレード」などで上位を独占し続けた
ライバルはアメリカでは全然人気がないのに、なぜか日本では大人気で、ビートルズと争ったベンチャーズ、今でもファンが途切れない。

レコード店へ行って「Meet The Beatles」というLPレコードを買った
これは「ヤア!ヤア!ヤア!」の前のレコードでビートルズのデビュー曲からヒット曲のオンパレードの曲ばかりが並ぶ初期の最高傑作盤だ
この中の「抱きしめたい」がアメリカで爆発的な売り上げをして一躍イギリスのビートルズから世界のビートルズになった瞬間だった。

15歳の時には高校受験で合格して入学までの間の休みに、映画館でイギリスの音楽映画「ポップギア」を見て初めて動いて歌うビートルズを見て、女子のように失神しそうな衝撃を受けた、この映画での曲は「ツィスト&シャウト」と「シーラブズユー」
アニマルズや、ハーマンズハーミッツ、シラブラックなどトップアーティストも出ていたが、まったく衝撃度が違った。

あの日からビートルズにすっぽりハマった、新曲が発売になるたびにレコード店に走った
シングル盤は330円だから買えたが、LP盤は1800円くらいなのでなかなか買えず、高校生になるまで我慢した
18歳から19歳に変わる頃に板前修業に入って住み込みになって、下っ端の時は個人的なプレーヤーやステレオをもてなくて音楽から遠のいた
もっとも私が好きなビートルズの曲も1968年頃には、だんだん凝った曲が多くなって興味が薄れて来た
そして1970年代に入って。やがて解散した、それ以後、ジョン・レノンとポール・マッカートニーの二人の天才は個々に楽曲製作を始めた
再結成を私は願っていたが、それもならなかった

一番のショックは、ジョンが学生時代に結婚した妻、シンシアと別れて、日本人の前衛芸術家オノ・ヨーコと結婚したことだ
それ以前、ビートルズメンバーがLSDなどの薬物を使用するようになったのもショックだった
ジョンは日本人と結婚するのかと驚いた記憶がある、急にジョンを身近に感じた
ジョンもポールも次々とレコードを発表していったが、私はどちらも1枚ずつしかLPを買っていない
もうカセットテープの時代で、ラジオの音楽番組から録音して聞いたりしていたし、ビートルズとは別物と言う認識だった
それでもジョンの曲は、時々素晴らしいのが発表されて、結構聞いていたのだった。

まさか白昼堂々と暗殺されるなんて考えもしなかった、それも犯人はジョンの大ファンだったというではないか、本当かどうかはわからないが。

今はビートルズのLPも、ほぼ全部そろって時々聴いている
有名になる前の下積み時代のキャバンクラブでの演奏を個人が録音した音質の悪いのをレコード化したのを買ったり
アメリカツアーのコンサート版、とかトニーシェリダンのバックバンドでの曲だとか、いろいろ買い集めて聞いたものだ

先日、ジョンとポールの二人のデビューからジョンの死までの10時間近いインタビュー(関係者への)番組を見た
もう一度すべての手持ちレコードを聞き直したくなった、それと70年代のジョンとポールの評価が高いレコードも買って聞きたくなった。









レコードの楽しみ方

2024年11月02日 08時38分38秒 | 映画/ドラマ/アニメ/小説/音楽
 私がレコードを買い始めたのは中学二年生からで、20代前半までの10年足らずの短い期間だった
だから枚数もそれほど多くはない、何といっても高校時代は小遣いが、毎週500円だたからね
あの頃はSPレコード(2曲17cm)は330円くらい、EPレコード(4曲入り17cm)が500円、LPレコード(10数曲33cm)1800円くらいだったから、1か月2000円くらいの小遣い&お年玉で毎月2枚くらいは買えた
それで約60年間、今も手元にあるのはLP80枚くらいとEP+SP100枚くらい
レコードの期間は最初に書いた通り10年足らずで(夢中だったのは5年くらい)社会に出てからは住み込み生活だったので、機器も無くレコードを聴く時間も無かったので20歳以後はほとんど買っていない)
帰郷してからは車で遊ぶことが多くなってカセットテープに代わり、その後はCDへと移行して、レコードは忘れ去られた。

この頃、先のことを考えると、レコード世代でない息子にはお荷物以外の何者でもないと思い、処分も考えた
それで処分前に品質チェックと、もう一度聞きたい思いが重なって、少しずつ聞き直している

私のレコードは9割が洋盤で、その多くがロックとポップスだ
英語には興味なかったが、ビートルズから入ったので洋盤になったわけで、ほとんどが演奏とリズムのカッコよさに痺れていたのだった
因みに一番最初に買ったのは映画音楽(洋画)とクリスマスの曲のソノシートだった、SPレコードの初は「ラ.ノビア」(イタリア語)、LPレコードの初はミートザビートルズ、帯付きで持っていれば現在はかなりのレア金額で売れるらしいが、残念ながら帯は紛失してしまった。

ともあれ、レコードの聞き直しをしているが、聞き方に変化が起こった
なんで74歳まで気づかなかったのだろうか、もっと詞を聞くべきだった
今日、英語の詞をじっくりと聞いていたら、結構聞き取れる
曲というものはメロディと詞と演奏&歌い手で成り立っている、それなのに詞を無視していたのは75%しか楽しめなかったということだ
これを繰り返し聞いていたなら、苦手なヒアリングも得意になっていたかもしれない、残念だ
「キルヒーミ」とか「アイソユウ」「ドリームカムトウルー」なんてフレーズは良く出てきたが若いころは意味を知ろうともしなかった
「キルヒーミー」と聞いていたのは、Can you  hear me で「聞こえますか?」「アイソユウ」は「愛想云う」で無くて I saw  you  「あなたを見た(会った)」 I saw  you  comeback  to  me (あなたを見かけたわ 私の元に戻ってよ)  「ドリームスカムトウルー」はアーチスト名でもあるが「夢は叶う」
歌詞はビートルズの初期がそうだけど小中学校レベルの英語で構成されているのが多いから、初歩英語には向いている

ああ、もっともっと知ることが出来たのに・・・
そう思ったが、「過去を悔やむな、過去を振り返るな、そんな時間はない」がこれからの私のモットー
「前を見て、前に進め」これで行くのだ
故に、今からでも遅くない、正しい発音、正しいヒアリングをレコードで学ぶのだ
バカみたいに飲みに出ていて、中国やピリピーナのお姉さんと話していて、何度も彼女らが日本語を話すことが不思議でならなかった
上流階級の中国人やフィリピン人ならば語学も学ぶ環境にあっただろうが、日本に出稼ぎに来ている娘たちは貧しいがゆえに来ている筈(当時は、です)
昔、フィリピンに行った時、ガイドさんが「フィリピン人はアメリカの占領下にあったので誰でも英語を話しますが、学歴が高い程、完璧な英語を話します」と言っていた。
前置きが長くなったが、要するに語学を学ぶ機会が少ないにも関わらず、日本語を話せるのはなぜなのか、高校、大学を出てもまともに英語を話せない日本人が多いのに・・・

彼女らに聞いたら、多くが「日本の歌を歌いながら覚えた」と言った
今なら「日本のアニメで覚えた」と言ったところか
なるほど、今になって、それを思い出した
私も、今から英語のレコードを毎日聴いて、詞を聞いて覚えようと思うのであった。

PS
英語でも米国英語、英国英語がある、米国でもカルフォルニアとテキサスとニューヨークでは訛りが違うだろう、英国だってビートルズのリバプール訛りとストーンズのロンドン訛りではちがうだろう
レコード英語は米英と各地の訛りが入り混じったミックス英語になりそうだ。

  SP


  EP                    LP

オールデイ・アンド・オール・オブ・ザ・ナイト/キンクス The Kinks - All Day and All of The Night

パンドラの箱

2024年10月29日 07時17分56秒 | 映画/ドラマ/アニメ/小説/音楽
パンドラの箱には一体なにが入っていたのだろう
浦島太郎の玉手箱には止まっていた時間が入っていた
そもそもパンドラの箱って何なんだ? 調べてみたら
なぜいきなりパンドラの箱を思いついたのかと言えば、自分の人生を振り返ったとき(大概は寝起きの時なんだが)煩悩が浮かび上がった
それはおそらくパンドラの箱から逃げ出した多くの煩悩の一つではないかと思ったからだ

誰も彼もが当たり前の顔をして、何もなかったかのような顔をして生きている
それは知らん顔ではなくて、耄碌して忘れただけなのだ
忘れるとは都合の良い言葉だ、耄碌したからとは都合の良い言い訳だ
齢をとるとは、そう言うことに巧みになることなのだ
「年寄りだから」で簡単に片付く場面が多くなった
自動車に黄色いマークをつけておけば「老人だから仕方ない」で大概済んでしまう

耄碌したって煩悩も欲望も消えたわけではない
特に団塊世代の欲望は半端ない
いったい俺はパンドラの箱の中身を幾つ身に着けているのだろうか
指折り数えてみる「いつつ・・・とお・・・」それくらいはありそうだ
今も在るのが怖い 何が怖い 自分の煩悩が怖い
好々爺の顔をしてみても中身は違う ただただ単純に違うのだ
「違うんだ」と叫びたくなる
叫べば、気の触れた老人が一人、そこに居た

浦島太郎の夢だったのに



役者

2024年10月20日 09時55分48秒 | 映画/ドラマ/アニメ/小説/音楽
 もう20年くらい前になるかな
中学校の同級会が行われて、100人くらい集まったんだけど、その中にK子がいた
格別の付き合いも無かったが、家は近くて親同士が昔からの友達だったからほんのりとした関係ではあった。

K子は、私とは正反対で頭が良く、美人で、積極的な人だった
高校を卒業して東京に出た。 大学へ行ったのかどうかは知らないが音信は不通になった、別に友達関係でもなかったし、意識もしてなかったが

その日の同級会で、彼女が私のところにやって来た、突然だった
なぜ私のところに来たのかは全くわからない、今もわからない
そして、久しぶりね”みたいなことを言って話し出した、それは唐突で脈絡もない話
「高校生のときね、あなたのお父さんが家に遊びに来てね、私を見て言ったのよ『**ちゃん、美人になったなあ、うちの倅の嫁になってくれたらいいのになあ』だって」
なんで突然、そんなことを言ったのだろう? それしか言わなかった
そして別の席に行ってしまった
きっと懐かしかったから話して見たかったのだろう、だけど思い出話といえば、二人の間にはそれしかなかったのだから、きっとそうだろう。

彼女は東京に出て役者になった、そこそこステージにも立っていると同級生から聞いた
でも一流にはなれなかった、でも当時40代か50前か? 役者は続けていた
それだけの話。

役者って「縫いぐるみ」かなと思う
魂が入ってない縫いぐるみ、そこに役が回ってくると縫いぐるみに魂が入って動き出す、そして芝居(映画)が終わると、魂が抜けて、また縫いぐるみに戻る

同じ体に別の魂が宿る、その都度、縫いぐるみの個性が代わる
先日、役者の西田敏行さんが亡くなった
私は、西田の芝居は臭くてあまり好きではなかった、わざとらしさが匂ってくるのだ、セリフ回しが大げさと言うのか・・・
大河「おんな太閤記」での秀吉もセリフが浮いて見えたし、「八重の桜」での西郷頼母役も、どうかなと思った。
もっとも秀吉役は老後の秀吉は迫力があって良かった、私にはどうやら「良い人」を演じる時にわざとらしさが鼻に突くようだ
その点では「釣りバカ」ははまり役だ、決して良いばかりの人ではない浜ちゃん
仕事をさぼっては釣り三昧、社長さえも弟子にして言いたい放題
上司をコケにするし、怖いものなし
どうも西田さんは、こういう役が合っていた気がする。
役とは縫いぐるみに入れる魂の事だ

「光るきみへ」の藤式部の父役の岸谷五朗さんは、今の役は気弱で真面目な役人、うまく演じている
だが「北の国から 遺言」では荒っぽい漁師(唐十郎)の息子役で、(内田有紀)の別居夫の危ない男を演じた
あのときの芝居は、「光るきみ」の役と同じ人物とは思えない怖い顔に見えた

役者は偉いと思う、本当の自分を本人はわかっているのだろうか?
一年中、自分ではない架空の人物を演じていて(人気俳優はいくつもかけもち)自分をたもてるものなのか

渥美清さんは本当にすごいと思う、私が選ぶとしたらベスト3の一人だ
渥美清か寅さんか、どっちが縫いぐるみで、どっちが魂かわからないほど一体化している、こうなればもはや名人なんだろうな。

泣いてたまるか - 渥美清






映画「PERFECT DAYS」を見た 2回目

2024年10月18日 17時47分22秒 | 映画/ドラマ/アニメ/小説/音楽
 1回目を見たのは4月初め、もう一度見たいと映画館を探しているうちに5月に緊急入院となって、今日まで映画館で2時間以上じっとしていることができない状況になったのだった。

ところが今月のWowowでは、2023年に上映された映画が相次いで放映された
この映画もそうだが、「こんにちは、母さん」「翔んで埼玉~琵琶湖より愛をこめて」、すべて見た映画だが、パーフェクトを家で見られるのはラッキーだった。

映画は予備知識なく見る1回目、そしてあらすじを知って見る2回目では感じる場所が違ってくる、そして1回目では見落とした部分が2回目では見えてくる
感じ方も違ってくる。

登場人物にも視点が行く、作者はそれぞれに何を背負わせたのか、まっさらな俳優にどんな個性を持たせて魂を吹き込んだのか
主人公平山(役所広司)、同僚の若者タカシ、ホームレス、寺の掃除のおばさん、古本屋の女主人、姪のニコ、居酒屋の親父、赤ちょうちんの女将(石川さゆり)、女将の元亭主(三浦友和)、ニコの母親、一緒に車の運転してきた男(夫? 彼? お抱え運転手?)、障害を持った青年、姿が見えないオセロの相手、タカシの彼女アヤちゃん・・・それにトイレを使ういろいろな人たちも意味を持っている、ざっとこんなところか
見終わった後で一人一人の分析をするのも楽しいが、ここでは割愛する。

セリフを考えるのも面白い、必ず作者が伝えたい意図をもったセリフが有る筈
「こんど」「こんどっていつ」「こんどはこんどさ」「だからこんどっていつ」「こんどはこんど、いまはいま」「こんどはこんど、いまはいま」で納得してしまう姪のニコ

「伯父さんは、ママと住む世界が違うって」高級車に乗ってやって来たママ、トイレ清掃人の伯父さん、伯父さんも、かってはそちら側の人間だったが「おとうさんも、もう昔のおとうさんじゃないわ、帰ってこない」と何かの葛藤があって、ここにたどり着いたのだろう。
昼食をとりに来る神社のベンチの前に貼緑の葉を茂らせる数本の広葉樹がそびえたっている、その間からの木漏れ日はきらめき、彼は毎日それの写真を撮る「この樹は、伯父さんの友達なの?」ニコは見抜いている

同僚の若者タカシとのあまりにも大きな世代間ギャップが世相を表し、若者の彼女アヤちゃんが物足りない彼よりも昭和の中年男、平山に魅力を感じるのは、彼女の求める男性像が中年男の方により近かったということか。

孤独な女には、孤独になる理由がある、それがわかっているから男を求めるが、それをわかってくれる男は少ない
孤独な女の我儘な一人語りを、優しいまなざしで静かに聞いてくれる平山
彼女を追い掛け回し、今夜が勝負だからと、そのためにお金が必要だと云うタカシとの違いはそこにある、それは世代の違いだから仕方ないけれど
傷ついた蝶は、きらめく広葉樹に包まれて休みたい

平山のカセットテープが1万円で売れるから売りましょう、そしてお金貸してくださいと若者は言う、だが何十年も大事にしてきたテープは売る気にならず、財布から有り金全部3万円ほど若者に無言で渡す主人公
しかし、空っぽの財布、主人公はレコードショップに行って結局テープを一本売ってしまうのだ、タカシにはしられぬように、これが平山の優しさ、懐の深さなのだ

だから姪のニコが何かしらの不満を持って母のところから家出をしてきて
「家出したら行き先は伯父さんのところって決めていたの」は、アヤちゃん同様に、平山の懐の深さを知っているからに違いない。

始まりは物静かなトイレ清掃人でしかない主人公、次第に生活パターンが明かされて、休日はまた異なった姿を見せてくれる
平山の内面が次第に明かされていく、最後は赤ちょうちんの女将へのほのかな思慕
そこに訳ありの男が現れて、女将と何やら深刻に話している
男が亭主ではないかと主人公にはピンとくる、夢が壊れたと思ったが、それは7年前に別れて今は別の女と再婚した元夫と聞いて、さらに「私はガンを患っていまして」「あいつをよろしくお願いします」「いえ、そんなんじゃないんです」と否定しても、それは真実ではなく
ラストシーンでは、運転しながら平山の顔は喜びがこぼれている、そしてBGMが次第に大きく響き、その心の喜びを祝す。

平山にはぎらぎらする欲望は微塵もない、自然のままに時間と生きている
それが毎日の規則正しい生活になっている、ところがいろんな人間関係が平山の規則正しい日常を乱す
それゆえ楽しみの居酒屋での一杯の焼酎と食事が出来なかったり、仕事帰りの一番風呂にも入れなかったり、就寝前の読書時間までも奪われてしまう。
「おっと、この先を書いたらまた長くなるから、続きとする」

                             つづく

Sunny Afternoon - The Kinks lyrics



映画「放浪記」を見た 林芙美子、そして私の祖母の事

2024年10月10日 19時50分45秒 | 映画/ドラマ/アニメ/小説/音楽
 昨日、女流小説家「林芙美子」の生涯を描いた昭和37年の映画「放浪記」主演、高峰秀子を見た
若き日の宝田明、小林桂樹、加藤大介、草笛光子、田中絹代、中谷昇、飯田蝶子など豪華キャスト、舞台では森光子が30年近く2017回まで公演したことで有名。
大正末期から昭和初期にかけて芙美子がその生活を(主にカフェーの女給)赤裸々に綴り、それをもとに書いた小説「放浪記」で昭和5年に刊行された。
これで一躍有名人気作家となって、貧乏暮らしにピリオドをうった。

私の祖母も、離婚して貧しすぎる家計を助けるため、一人息子を祖祖母に任せて鬼怒川温泉に住み込みで出稼ぎに行った
どんな仕事をしていたかはわからないが、その前の仕事が旅館の住み込み女中だったから、温泉旅館で仲居をしていたというのが一番だが、カフェの女給の方が稼ぎが良かったので、わが父は「お袋はカフェの女給をしていたかもしれない」と私に言ったことがある。
「放浪記」を見て、カフェの女給で稼ぐ芙美子の姿と、祖母の姿が重なって見えた、祖母は明治34年生まれで、芙美子は36年生まれだから歳も近い
祖母は、ここで東京日本橋兜町(当時は日本橋区三代町)6歳年上の粋で怪しげな自称「株のブローカ―」と知り合って、東京に出て同棲を始める
こうした生きざまも、「いい男」を見ると夢中になってしまう芙美子に似ている気がする。
同棲を始めた翌年には小学五年生だった父も東京に呼び寄せて、御徒町の一軒家で暮らし始めた。
芙美子は1951年に47歳で東京新宿区下落合で亡くなった、祖母は1945年に44歳で東京亀戸で東京大空襲で夫と共に死んだ、遺体は見つかっていない
芙美子は信州に疎開していて空襲からは逃れている。

子供の時から苦労を重ねた姿も芙美子と祖母は似ている
芙美子は子供の頃から母と行商して歩いたが、志あり、文才ありありの才女だったから、尾道に住み着いてからは女学校に入れた。
祖母も、豊かだった家が破産して一家離散、母、祖母と女三人だけで関東を彷徨い、宇都宮で正体不明の男と母が結婚して、古河に落ち着いた
落ち着いたけれども男運に恵まれず貧乏のどん底を味わいつくした
そして最初に書いた通りの人生。
芙美子と違い、祖母は文才などなかった上に、貧乏どん底で学校もどうだったのだろうか?
ただ非常に気の強い人で、きっぱりさっぱりした男勝りだったようだ、そこも芙美子に似ている。

今日、見つけたのだけれど芙美子も、祖母も母親の名前が「キク」というのも同じで、呆れてしまった次第である。
さて、映画を見て林芙美子の人生にも触れたら今度は「放浪記」も読んでみたくなった、こちらは単発だから「ムーミン」を読み終わったら「源氏物語」の前に読んでしまおう。

栗ご飯のおにぎり
 



ムーミンの戦争と平和と愛

2024年09月08日 19時24分17秒 | 映画/ドラマ/アニメ/小説/音楽
原作者トーベ・ヤンソン(1914-2001)の、ムーミンの本を買った
「ムーミン」と言えば、お子様向けの童話か小学生向けのアニメだと思っていたが、テレビ番組「アナザーストーリーズ」で見て、大人へのメッセージであることを知った。
「ムーミン」のベースがヤンソンの母国「フィンランド」とレーニンのソビエトとの戦争であったことも知った。
全部で9巻あって、1945年の第一巻「小さなトロールと大きな洪水」から1970年発行の第九巻まで25年間かけて書いている。
第二巻(1946年)の彗星衝突の話は、日本では敗戦の翌年昭和21年であり、長崎、広島の原爆投下を、彗星の地球衝突で表しているとのこと
しかも長崎に原爆が落とされた日はヤンソンの誕生日でもあった
1巻、2巻は戦争を非難しているのは明らかで、事実ヒットラーやスターリンの風刺画を何度も書いて発禁処分にもなっている。

因みに、フィンランドとソビエト(現、ロシア)の戦争とは1939年から1940年に起こった3か月間の戦争
ソビエトが国防上のことからフィンランドに領土交換を持ちかけたが、不平等な提案であったからフィンランドは断った
するとソビエトは軍事力をもって力で攻め取ろうと侵略戦争を仕掛けて来た、現在のウクライナ戦争に似ている
軍事力でも人口でもフィンランドはソビエトに対抗できる力はなかったが、国土を守るために戦った。
初戦は楽勝気分のソビエトが、冬でもあり必死のフィンランドに手痛い敗北を喫したが、本気モードになったソビエトは物量作戦で勝利した
しかしフィンランド軍の死傷者約7万に対して、ソビエト軍の死傷者は33万という信じられないものだった。
フィンランドはカレリア地方などをソビエトに奪われた、第二次大戦では、単独で失地回復の為、ソビエトと再び戦い負けたがソビエトに侵攻したドイツとは同盟しなかった
しかし連合軍のソビエトと戦ったために、日本同様枢軸国と見なされた

トーベ・ヤンソンは戦争を憎み続けた、そんな中からムーミンは生まれたから、テレビなどの平和なムーミン谷ではなく、原書は暗くて辛いムーミン谷から始まっている。
これが私が今頃急にムーミンの原本版を読みだした理由だ。

ヤンソンは、近年になってようやく日本で取り上げられている同性愛のマイノリティであり、フィンランド人でありながら一割に満たないスウェーデン系で、人種的マイノリティでもあったと言う
でも彼女は自分の心に従い、自由に生きた
そんな孤独を作品の中で「孤独な冷凍魔物?」として登場させている。

ヤンソンのムーミン作品は、この番組を見た限り人生の教訓や生きざま、愛と孤独、人とのつながりを描き、戦争と独裁者を憎む
私が、すぐにムーミンの原作に飛びついたのはそんなわけだ。

この全9巻を読み終えたら、今度は「源氏物語」を読んでみる
とは言え、古典を読み切ることなど無理なので、あらすじ的な漫画で大筋だけでも知りたいと思っている
源氏物語には795首の和歌が書かれているという、当然ながら登場人物がそれぞれに詠んだことになっているが、登場人物の心情を紫式部がストーリーの一部として一人で書いたのだから恐れ入る。
ちょっと今思ったのだけど、源氏物語を映像化したらミュージカルになるのでは? 大河ドラマで「ミュージカル源氏物語」をやらないだろうか。

詩だけは学生時代に興味をもって書いても見たが、俳句、川柳、和歌、短歌などは全くの無知であるから、源氏物語の訳本全集などとても読む気にはならないだろう
とりあえず、質の良い漫画であらすじだけでも捉えておいて、機会あれば知ったかぶりをしてみようと思う。


寺内タケシ / 霧のカレリア

30年前に準備した老後対策

2024年07月22日 19時27分29秒 | 映画/ドラマ/アニメ/小説/音楽
 今日も朝から暑かったが結構な風が一日吹いていたので、気温も31度までだった。
おかげで夕方には散歩もできた、わりと涼やかな風が吹いていて歩いている時は汗をかかなかった。

 老後の楽しみに40代からテレビ番組をDVDに録って溜め置いた
その枚数は700枚くらいになる、三倍だと6時間だから全部見るなら4500時間くらいか、一日3時間見て1500日かかるから毎日三時間でも4年か!
78歳、メジャーリーグ、相撲、連ドラも見るから考えただけで無理なのがわかる
老後の楽しみにと録ったが、今がその時になった、要するに無職になって時間を持て余すときが私の老後だ。

録画したDVDの70%は韓ドラだ、40代、50代は韓ドラにどっぷりで、NHKの韓国語講座やテキストCDで韓国語を勉強して、新潟、富山、小松から何度も韓国に飛んだ時期もあった。
キム・ハヌル チェ・ジウ イ・ヨンエ パク・ウネ イ・ビョンホン ソン.スンフォンなどのファンになり、最後はソン・イェジンにハマった。
春先に朝鮮戦争が舞台の「ロードナンバーワン」を全編見終えた、ヒョンビン キムハヌルがが主演だった。

それ以外はドキュメンタリー、緊急ニュース映像、恐竜もの、宇宙ものなどサイエンス番組、あとは野球が多い、それも記録達成の試合とか、日本シリーズとかで、あの前々回の阪神の日本シリーズも録ってあった。
最近見ているのは三陸沖地震の速報ライブや、同時多発テロの速報ライブだ

今日は、このDVDを整理して分類しようと思う、分類せずに収納したので見たいのを探すのがたいへん、すっきりさせて暇な時間に楽しもうと思う

最近は夜10時半までに寝て、朝は5時起きが定着したので夜更かしをしない
早朝からテレビを見る気にもならないから、結局食事後の2時間くらいしか見る時間はない
それでも何かで時間を過ごせれば、それは良い時間である
当時を感じながら見るのも良いだろう。





 ドラマ「老害の人」と白川和子

2024年05月11日 20時08分03秒 | 映画/ドラマ/アニメ/小説/音楽
 春のドラマのラインナップも出そろったようで、一時は15本くらいHDDに録画したので、前々の駅伝やマラソン、WBCなども録画のままなので残量がほぼなくなった。
急いで全部見たが、とてもじゃないが見きれるものではない、大谷も見なきゃいけないし、畑作業に、ドライブに、散歩に時間が足りない。

それで選考基準を厳しくして安っぽい恋愛ドラマや、謎が薄っぺらい復讐劇、ミステリー、ホームドラマを次々退場させたら、なんとか7~8本に落ち着いた
それらは後日書くとして、最近始まったNHKの「老害の人」は私にも密着したホームドラマで興味津々、伊東四朗を始めベテラン味のある出演者でなかなかの良い出来である。
そんな中に、白川和子も主役の伊東四朗の友達なのか縁者なのかの役で出ていた、流石に歳をとって、それなりの役だが、それでも若いころの色気は残っている。

 昭和45年頃の 新潟市は 駅前から まっすぐメインストリートの東大通が万代橋を通って 日本海まで 続く、そこは横田めぐみさんが拉致された寄居浜でもあった。
古町十字路には 大和デパート 小林デパート の 地方のデパートのドンが2つ、 ドンと構え ていた、今は二つとも無くなった
隣の東堀には 和光ビル、 長崎屋 、イチムラ デパートの三つが当時の高層ビルとして並んで存在感を示していた(5,6階くらいだったか)
小さな十字路の角にあった和光ビルは、細長い建物でしゃれた雰囲気の建物だった
歩道から、そのビルの地下に向かって階段があり、そこを下ると「OP劇場」という映画館になっていた、大蔵映画系のピンク映画専門館だった。

うすぐら~い生活を送っていた二十歳の私は月に何度か通って、3本建て500円の特別優待券をもらって得意になって通ったものだった。
いつも一人で見に行っていた、もちろん当時は映画が趣味だったから、ピンクはここだけでゴールドの映画も見ていた
新潟市で当時一番大きな映画館小林デパートの「グランド劇場」で「ウェストサイド物語」を月に3回見たり、]「ウッドストック」も2回見た。
また同系列の小さな劇場「名画座ライフ」では「明日に向かって撃て」とか渋い名作をいつも見ていた、東宝、テアトル、松竹で封切話題作を見て、東映パラスでは高倉健「網走番外地」、梅宮辰夫「不良番長」などのシリーズを好んで見ていた、日活もあったが、裕次郎や小林旭の時代が薄れて、ひっそりしていた。

単なる好奇心とヒマつぶしで見ていたピンクだが、そんな中にただ一人オーラを持った女優を発見して、見終わってから映画館のポスターを見て、それが白川和子だと知った。
他の女優とは全く違う雰囲気を持っていた
後に日活ロマンポルノのトップスターになるが、当時はまだマニアックなマイナー映画であった。
しかも彼女が女子大生だという記事を雑誌で見て、ますますファンになった
その後、前記のように
「団地妻」が大ブレーク、一躍、日活の救世主日活ロマンのスターになったのだから、私は自分が彼女を発掘したような優越感を覚えた。
その後はポルノ路線を離れて、テレビドラマで主婦役などで出るようになった
その彼女が、この度「老害の人」にも出演して「死にたい死にたい」という高齢者春子役で出て来た、脇役ではあるが、注目していきたいと思っている

このドラマは、コロナから時代を反映した設定になっている、これから「老害」になりつつある私や同時代の人たちに何らかの刺激を与えてくれるだろう
頑固に自分の主張を曲げたくない、それが老害につながり、ずっと使て来た言葉や態度がハラスメントで罰される現代
口を閉ざして生きていくのか、部屋に閉じこもって動かないのか
主役の伊東四朗はきっと「バカを言うんじゃないよ」とますます自我を前に出して老害を楽しんでいくのではないだろうか。 楽しみなドラマだ。