goo何気無い日々が心地よい安寧

何気無い日々が続く様に。生きていく事の大変さがカナン。ある種空気の様な存在になりたいもの。

🚶‍♀️…天ヶ瀬ダム前…塔の島…平等院表参道… 211216

2021-12-16 19:37:00 | 🚶 歩く
🚶‍♀️…右岸堤防道…太閤堤史跡公園…朝霧通…観流橋…右岸路…天ヶ瀬吊橋…左岸路…白虹橋:天ヶ瀬ダム前…第一志津川橋…右岸路…山吹橋…天ヶ瀬吊橋…左岸路…左岸河川敷…塔の川堤防道🐦…喜撰橋…塔の島:橘島…橘橋…平等院表参道…宇治橋…京阪宇治駅前🍞…太閤堤史跡公園…>
🚶‍♀️11022歩2kg

☁️:白虹橋13℃:微風,曇天
亀石楼対岸の左岸河川敷をチョイと塔の川堤防道;案の定!🐦翡翠が!しかし遠く…よく見つけた事。
JR鉄橋がチョイ進展し高さがブロック4段程下がる


塔の島にていつもの鷺

小さい翡翠

拡大してやっと 翡翠

チョイ設置位置下がる










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⚠️ 「コロナ発生初期の記録が次々と削除されている」中国の"隠蔽体質"を一次資料から検証する 202112

2021-12-16 18:41:00 | 気になる モノ・コト

「コロナ発生初期の記録が次々と削除されている」中国の"隠蔽体質"を一次資料から検証する
  プレジデント onlain  より 211216笹沢 教一


 新型コロナウイルスのパンデミックはいつ、どのように始まったのか。読売新聞の笹沢教一主任研究員は「中国・武漢でのクラスターについてWHOが緊急事態対応に動いたのは2019年12月31日だ。実はその裏には、中国が国際保健規則の義務を果たさなかったという疑義がある」という――。
※本稿は、笹沢教一『コロナとWHO』(集英社新書)の一部を再編集したものです。

⚫︎中国当局は「2019年12月8日から発症」と伝達
 焦点の2019年12月末より前には、どのような状況だったのか。謎の肺炎はいつ頃から流行を始めていたのだろうか。

 19年末より前の情報に関しては、当然ながらリアルタイムに公表されたものではないため、時間をさかのぼるほど不確定要素が増えてしまい、解像度が粗くなる。

 それらのほとんどは、「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態(PHEIC)」が宣言されてパンデミックの懸念が高まった2020年1月末以降、過去を検証していく形で明らかになったものだ。その分、後付けの都合のいい解釈や情報修正が加わる可能性もありうることを念頭に、慎重かつ冷静に見ていかなければならない。

 ある程度公的な裏付けの取れた事実関係としては、WHOの20年1月12日付疾病流行情報の中に、武漢市内の新型コロナ感染者に関する記述がある。ここでは、中国当局から1月11、12日にWHO側に伝達された情報として、武漢での最初期の患者41人は「2019年12月8日から2020年1月2日にかけて発症した」と書いてある。

 1月3日以降は、「国際保健規則(IHR)」の検証プロセスの催促を受け、中国はWHOなどに情報を伝えるようになった。これが中国側の公式発表ということになる。

⚫︎北京や武漢の研究チームの論文では「12月1日」
 一方で、年末時点の武漢衛健委による情況通報の中で27人とされた謎の肺炎の発症者数が、この段階では41人に増えた。1月に入ってからは、この41人が最初期の症例数としてよく扱われるようになる。今でこそコロナの感染者数は日々更新されるのが当たり前だが、流行のごく初期の段階には、人数の発表は不定期で、「最初期」というくくりで同じ数字が使い回されることもあった。

 41人に関しては、別の情報が後になって発表される。
北京や武漢の病院の研究チームが20年1月24日付英医学誌ランセットに発表した論文には、「41人のうち一番先に特定された患者の発症日は12月1日だった」との記述がある。

 ランセットは世界四大医学誌に数えられる有力誌だが、この論文は流行初期に発表された速報的な症例報告であるうえ、新型コロナに関する研究については、緊急的に即時の無償公開(オープン・アクセス)の措置が取られた状況もあった。1月30日に修正が行われたくらいで論文に特段の問題はないようだが、もろもろの状況を考慮すると、これだけで断定的に扱わない方がいい。

⚫︎水面下では11月の段階で兆候があったのではないか
 武漢でのコロナ症例を扱う文献の中には、発症日がさかのぼったと断定的には扱わず、12月8日とするソースと、12月1日とするランセット論文を列挙する形で紹介しているものがかなりある。
 あくまで「デファクトスタンダード」的な意味でしかないが、新聞やテレビの各社は「中国当局が(略)最初の肺炎患者を確認したとされる日から、8日で1年を迎えた」(20年12月9日付読売新聞朝刊国際面)と翌年終盤の時点でも「8日説」の立場を取った。

 患者に関する情報はランセットの論文のほうが詳しく、12月1日に発症したとされる患者は、流行初期に感染者が多発した武漢市の華南海鮮市場とは関係ないとも書いてある。速報としての不確定要素はあるが、事実であれば、武漢市当局が1月1日に市場を閉鎖した措置の効果や妥当性にも疑問が出る。

 いずれにせよ、こうなってくると、水面下では11月の段階で、ごく初期の流行か、それにつながる何らかの兆候があったと見ることもできる。

 また、2月に入ってから明らかにされた情報だが、中国メディアの報道やオープン・アクセスの論文に記された症例報告によると、12月下旬、クリスマス・イブの24日頃から、武漢の病院の医師が多発する肺炎の異常さに気づき、患者の肺からの検体を広東省の複数の遺伝子分析機関に送るなど病原体の解明に着手していた。

 結果論であり、「たられば」の話ではあるが、年を越す前、それもかなり早い段階で、中国はIHR第6条に基づく通報をWHOに対して実施しておくべきだった。

⚫︎SNSで感染状況を告発した武漢の眼科医
 武漢衛健委が謎の肺炎に関する専門家チームを編成し、調査を開始したのは、年末も押し迫った12月29日のことである。

 このことは、武漢中心医院の眼科医、李文亮(リーウェンリャン)氏に関する国家監察委員会の3月19日付報告書上で中国当局が公式に明らかにした。李氏は、新型コロナについて当局の公表前にSNS上で危機を訴え、中国では「疫病吹哨人」(疫病の警告者)と呼ばれた人物だ。2月7日に新型コロナによる肺炎で亡くなり、内部告発者として世界的に知られることになった。

 国営新華社通信を通じて公表されたこの報告書には、12月30日午後に医療従事者向けに二度発令された武漢市衛健委の「緊急通知」についても、午後3時10分と6時50分という発令時刻と、ネット上にそれぞれのスキャン画像が流出するまでの12分、10分という時間差が明らかにされている。

⚫︎中国当局の隠蔽体質が批判される当然の理由
 李氏は、1回目と2回目の緊急通知の間にあたる30日午後5時43分頃、SNSの微信(ウィーチャット)のグループチャットに、華南海鮮市場での「7件のSARS症例確認」などの情報を投稿した。折しも緊急通知が流出し、武漢の公安当局はネット上での告発行為に神経をとがらせていた。

 こうした状況もあり、当局は「事実でない情報を広めて社会秩序を乱した」として、1月3日に李氏を訓戒処分とした。確かに謎の肺炎はSARSではなかったが、こういう時ばかり反応が早い。「国家」監察委の報告書は、「武漢」当局の処分が「不適切だった」と認め、処分撤回と家族への謝罪につながった。

 パンデミックの兆候を社会にいち早く知らせ、自らも犠牲になった功労者の名誉回復の報告書で、初動の詳細がようやく明らかになるとは……。あまりに遅く、迷走している。これがあるから、隠蔽体質が批判されるのだ。

 これ以前の感染に関しては、香港英字紙サウスチャイナ・モーニングポスト(電子版)が2020年3月13日、同紙が閲覧した政府資料に基づき、新型コロナの感染が「2019年11月17日までたどれる可能性がある」と報じている。記事によると、患者は湖北省在住の55歳の人物だという。一方で、流行の原点に位置する最初の患者「ペイシェント・ゼロ(0号患者)」はまだ確認されていないとも述べ、この人物以前に感染者がいた可能性も示唆した。

⚫︎11月の感染者と「0号患者」の謎
 これについて、中国CDCの高福(ガオフ―)所長は、3月27日付米科学誌サイエンス(電子版)のインタビューで、「11月時点でクラスターがすでに存在したという確たる証拠はない」と、幾分含みを持たせた表現で否定している。

 香港紙は、患者が少なくとも11月17日までたどれる可能性を伝えたに過ぎず、高氏が言うような11月時点でのクラスターを明言してはいない。

 記事はまた、この患者を含む男女9人が11月に謎の肺炎を発症していたと伝える一方、そのうち何人が武漢に在住していたかはわからないとしている。華南海鮮市場以前のクラスターがどこかに存在したとしてもおかしくはない。中国側もその辺は承知のうえで、当該の資料も実際に存在していて、情報の一人歩きを阻止しようと形だけ否定してみせたということなのかも知れない。

 いずれにせよ、この手の話は後になるほど、解明・検証が進むほど、過去をさらにさかのぼった情報が出てくるものではあるが、時間をさかのぼるほど情報の確度もぼやけてくる。

 新型コロナの起源をめぐる話は、トランプ米大統領の「チャイナ(チャイニーズ)・ウイルス」発言に中国や国連人権理事会の特別報告者が反発したように、多くの政治的、社会的分断を助長することにもつながりかねない。情報やその解釈に何らかの意図があって発信される場合もあり、慎重に扱う必要がある。

⚫︎記事や公式発表がネットから次々と消されている
 もう一つ、心配なことがある。
ここで列挙している記事や公式発表が次々とネット上から削除されていることだ。即時公開された論文などに何かしら引用元としてリンクが載っていたとしても、特に中国ソースは今から検索したのでは見当たらないものが多い。

 例えば、2019年12月31日に公表された武漢衛健委の情況通報がそうだ。ウェブニュースなどはいずれ削除される宿命にあるとはいえ、こうした公的資料が1年も経たずに削除されるとは……。

 そうなると、ネット上のサイトを巡回して記録、蓄積している「ウェブ・アーカイブズ」に頼らざるを得ないが、ここでさえ、永久的な保存が約束されたわけではないだろう。

 このほか、検証と称して、後になってから過去の事実関係を塗り替える行為も警戒しなければならない。最新だからすべてに詳しく、すべて正確に事実を反映しているとは限らないのである。1年もしないうちに、サラミスライス的に情報の削除と塗り替えが進んでいるのだ。

 だからこそ、日々少しずつでも記録を取り続けることが重要だ。多少不正確さや不完全さを残す内容であっても、その時その時の情報を忠実に記録しておかないと、向こうの都合で誤りも不都合なところも一緒くたで変えられてしまうからだ。

⚫︎自発的に通報もせず、検証要請は「期限破り」
 この後、2020年6月29日になって、WHO本部がタイムラインの改訂版を公表した。
これによると、WHOは20年1月1日、2日の両日とも中国当局に武漢の原因不明の肺炎クラスターについての情報提供を要請している。これは米議会調査局の報告書や4月20日の記者会見でも言及されたように、IHR第10条に基づく検証の要請である。そもそも4月8日版には2、3日の記述がなかった。

 本来は要請を受けてから24時間以内に回答しなければならないが、中国側は翌2日のうちに回答することはなかった。改訂版には、2日にWHOが国事務所を通じて中国国家衛生健康委員会に改めて催促し、ようやく3日に、武漢の肺炎クラスターに関する情報が得られたことが新たに明記されている。

 この日にWHOと中国当局は北京で会合を持ち、そこで中国側が情報を提供したのだ。中国がWHOに初めて連絡したのが3日だというのは、先に新華社が公表したタイムラインの記述とも一致する。

 とにかく、2日までの中国の対応はひどい。IHR第6条に基づく中国側からの自発的な通報をしなかったうえに、検証要請にも期限内に答えず、改めて催促されてから情報提供したというのでは、批判されても当然だ。緊急事態の兆候であると感じた人が少なくない局面にもかかわらず、中国政府が少なくとも対外的には、国際法の順守や情報共有・発信に非常に消極的だったことが明らかだ。

 上位の当局者が国際保健の仕組みに疎かったのか、国内を抑えきれば、感染も情報も国外に流出しないとでも考えたのか。あるいはどうしても明かせない事情があったのか。どうあれ、明らかな危機管理上の判断ミスである。

⚫︎1月2日、日本を含む各国の関係機関にも通知
 改訂版タイムラインではこのほか、2020年1月2日に、WHOが「地球規模感染症に対する警戒と対応ネットワーク(Global Outbreak Alert and Response Network GOARN)」の加盟機関に対し、中国で発生した原因不明の肺炎クラスターについて通知したことが新たに加わった。

 GOARNは、WHOが2000年に開設した感染症流行に対する国際的な技術協力体制で、日本を含む各国の保健機関や国連機関、NGOなど250団体が参加する。2日の時点で、すべての人に公表とはいかないまでも、専門家にはWHOから公式の伝達があり、情報が共有されていたことになる。

 1月2日は正月休みということもあるだろうが、GOARNには、国立医療機関や大学など日本の19機関が参加しているのに、国内機関から国民に向けての特段の動きや注意喚起はなかった。厚生労働省や文部科学省などの監督官庁には報告しただろうか。これら省庁はこのことを知っていたのだろうか。

⚫︎あまりにも大きい日米の初動対応の差
 厚労省が最初の公式反応にあたる「中華人民共和国湖北省武漢市における非定型肺炎の集団発生に係る注意喚起について」と題した事務連絡を自治体の保健部局に通知したのが1月6日だ。しかも、これは12月31日の武漢衛健委の情況通報を受けてのものだった。

 米国は現地時間3日の時点で、米疾病対策センター(CDC)のロバート・レッドフィールド所長が中国CDCの高福所長と電話で話し、アレックス・アザール厚生長官に事態の深刻さを伝えている。アザール氏は即座にホワイトハウスに連絡を取り、米国家安全保障会議(NSC)との情報共有を要請、その後の数日間で情報機関も動き出した。いくら日米で国家の仕組みに違いがあるとはいえ、この差は大きくはないだろうか。

 確かに、この時点での軽重の判断は難しかった。だが、今となってみれば、歴史的なパンデミックの始まりである。こうなってくると、国内の初動についても詳細な検証が必要だろう。

⚫︎時系列順に並んでいないWHOのタイムライン
 WHOの改訂版タイムラインで、焦点の2019年12月31日の事実関係は次のように改められた(カッコ内筆者。以下同)。

●在中国のWHO国事務所は、武漢衛健委ウェブサイトの報道声明(media statement =この場合は情況通報)を通じて、武漢での「ウイルス性肺炎」発生を把握した。 ●国事務所は、WHO西太平洋地域事務局(WPRO、フィリピン・マニラ)のIHR連絡窓口に武漢衛健委の報道声明が発表された旨を伝え、その翻訳を渡した。
●また、EIOSも、武漢での「原因不明の肺炎」の同じクラスターに関するProMEDの報告を検出していた。
●海外のいくつかの国の保健当局がさらなる情報を求めてWHOに接触してきた。

「オープンソースからの流行病インテリジェンス(EIOS)」への言及は4月のタイムラインにはなかったので前進したとも言える。「新興感染症監視プログラム(ProMED)」メールの全文もリンクされた。
 ただ、出来事の順序が、時分単位の時系列で見るとかなり前後している。タイムラインでは混乱を招かないよう、時系列順で並べるべきだ。それとも何か理由があったのだろうか。

⚫︎WHOの情報捕捉は中国国内外でほぼ同時並行
 複数のWHO本部の取材源にあたったが、納得のいく説明はない。WHO本部とは別の筋として、20年7月1~3日にWPRO(西太平洋地域事務局)の当局者に補足取材した。WPROは5月18日に地域事務局独自のタイムラインも公表しており、その中で、19年12月31日の情報把握について、武漢衛健委の発表とEBSシステム(EIOS)による検知を挙げている。

 WPRO側は次のように答えた。先方の回答を意訳したり,語順を入れ替えたりはしていない。
《EIOSは本部と地域事務局に導入されている。地域事務局は、その対象範囲をさらに絞る形で担当チームが毎日精査し、リスク評価にかけ、必要な場合には国事務所を通じて確認を行っている。12月31日、WPROは休日体制を取っていたが、担当官がEIOSを使って情報を捕捉し、中国の国事務所の担当者に情報の確認を依頼した。

 一方、国事務所でもすでに、この情報の確認を始めており、その結果、WPROの問い合わせに対し、中国語で書かれた武漢当局の公式サイトで確認できたことをWPROに報告した。本部も、EIOSで同様の情報を捕捉しWPROに連絡をしてきており、国事務所からの情報も共有されたと理解している》

 まとめると、EIOSが導入されている本部とWPROはこれに反応し、EIOSが導入されていない国事務所側は武漢当局の発表を把握し、ほぼ同時並行で情報をつかんでいたということになる。

⚫︎武漢当局の公式発表はWHOの把握より遅い
 武漢当局の発表は中国標準時CTS31日午後1時38分(協定世界時UTC31日午前5時38分)で、EIOSが最初に検知したとするUTC午前3時18分よりは後だ。一連の中国報道やProMEDメールよりも遅い。実際の順序に逆らって前に持っていく必要性はない。むしろ誤解を与える。

 WHO本部のタイムラインの順番では、まず武漢の公式発表があり、それをWHOの国事務所が把握したという箇所を強調することになる。間接的ではあるが、中国→WHOという流れで情報が伝わった――という誤解を含んだ印象を広めてしまう。

 ジュネーブ発の報道に比べると、中国からの報道量は圧倒的で、そうでなくてもWHOの情報発信は埋没しがちだ。ここで中国の問題点を明確に指摘しないのでは事態はさらに悪化する。

 WHOが公表した一連の詳しい経緯は、本書のような例外を除けば、ほとんど社会に伝わっていない。
 筆者以外に、12月31日の武漢クラスター把握が中国からの自主的な通報ではなく、WHO自身によるものだと報じたのは、主要メディアだと20年7月4日のAFP通信「First alerted to coronavirus by office, not China: WHO(WHO「コロナウイルスに対する最初の警告は事務所で、中国ではない」)」くらいだ。
 この記事も、WHOによる4月8日の最初のタイムラインと、台湾メールに反論した4月20日の記者会見、6月29日の改訂版タイムラインを根拠にしている。

⚫︎国際社会は中国ではなくトランプ氏を批判した
 パンデミックの始まりにおける国際保健対応の起点に関することなので、ここに焦点を当てた報道がもっとあるべきだと思うのだが、まず見当たらない。こういう状況は、中国に有利に働くことになる。

 よくよく考えてみれば、IHRの義務を果たさなかった中国が真っ向からの批判を逃れ、世界最大規模の感染拡大に手を焼くトランプ氏は八つ当たり的な中国・WHO攻撃でメディアや国際社会から批判されたうえ、自身も選挙戦のさなかに感染するという皮肉な展開となった。

 12月31日にいち早く、武漢の肺炎流行の危険性を警告するメールをWHOに送ったとする台湾の主張も、真実性よりトランプ氏に同調した政治的な動きとして見られている側面があり、このことが今後どう影響するかはわからない。WHOはどうあがいても抜本的な大手術を国際社会から迫られるのは必至となった。

 つまるところ、パンデミックの震源地であるはずの中国だけが圧倒的な報道量の奔流に助けられ、情報戦に勝利したのだ。


笹沢 教一  :読売新聞東京本社調査研究本部 主任研究員
1965年生まれ。東北大学理学部卒。読売新聞入社後、東北総局を経て科学部。ワシントン特派員、ジュネーブ支局長、編集委員を経て現職。米カリフォルニア大学バークレー校大学院講師などを務めた。著書に『 僕が「火星」を歩いた日 宇宙探査最前線レポート』(新潮社)、『 ニッポンの恐竜』(集英社新書)など。
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「人は移動するほど幸せを感じる」という研究成果 「遠出するとスカッ」は本能かも 202112

2021-12-16 18:25:00 | なるほど  ふぅ〜ん

「人は移動するほど幸せを感じる」という研究成果 「遠出するとスカッ」は本能かも
  GLOBE+ より 211216 中村靖三郎


「コロナ禍で行けなかった旅行をしたくてたまらない」「ドライブで遠出するとスカッとする」。そんな思いは、人間の脳に埋め込まれた本能かもしれない。人は移動するほど幸せを感じる――。こんな研究成果を2020年、米マイアミ大アーロン・ヘラー准教授(40)らのチームが国際科学誌ネイチャーニューロサイエンスで発表した。(中村靖三郎)

 ニューヨークとマイアミで132人の動きをGPSで3、4カ月追跡調査した。ランダムに心理状態を問うアンケートにも答えてもらい、被験者の一部の脳をMRIなどで分析した。これまでもGPSを使った追跡調査と日常生活の感情評価を組み合わせた研究はあったというが、期間は2週間程度で、「3、4カ月という長期にわたる追跡と脳画像分析を結びつけた研究はなかった」という。

 調査の結果、「日々の身体的な位置の変動が人間のポジティブな感情の増加と関連することを発見した」と論文は指摘。ヘラー氏は、「人は行ったことがない場所に行くなど探索の度合いが高い日には、より幸せを感じる、というデータが示された。
 さらに脳の画像からは、新しい場所により多く行くなどして幸せを感じた人は、脳の中の記憶と意欲などに関わる領域が強く結びついて働いていることもわかった」と話す。

 ここから言えるのは「人間には環境を探求する欲求があるということ」だという。動物は歴史上の様々な時点で、同じ場所にとどまってそこにあるだけの食べ物を得るか、もっと良い食べ物があるかもしれない別の場所を探しに外に行くか、「探索と利用のジレンマ」と言われる決断を迫られてきた。
 これまでの研究とあわせて考えると、「多くの哺乳類は、今あるよりも優れたものが存在するかどうかを確認したい欲求があるようだと示唆している」とヘラー氏は話す。

 さらにヘラー氏は「私は人類学者ではないので推測だが」としたうえで、人類が長い年月をかけて世界を移動してきた理由に、この探求したい欲求があったのでは、と考える。

 これまでの研究から、新しい場所に行って探索することで得られる多様な研究は脳に良い影響をもたらすと考えられている。「筋肉が鍛えれば大きくなるように、新しい場所に行くと脳が鍛えられ、ストレスへの耐性が高まり、健康が改善される」。ヘラー氏は、こうした特徴を「人間の核心部分」の一つではないか、と指摘する。

 移動については、「どれだけ遠くへ、ではなく、どれだけ多様な新しい場所に行くかが重要だ」と言う。また移動手段では、体を動かすことは不可欠ではなく、電車や車でも、「見たり、聞いたり、触ったり、においをかいだり、五感を通して新しいことを経験することが、ポジティブな感情を高める」。

 VR(仮想現実)で移動したような体験をした場合、幸福感は得られるのか。

 ヘラー氏は「まだ100%の答えはない」としたうえで、「シンプルなコンピューターゲームでも脳は変化するというデータはいくつかある」と指摘。「VRは、新しい場所を歩き回ることや、多様で異なる経験をすることで得られるのと同じ効果を、すべてではないにしても再現できるのではないか」とみる。
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⚠️ 歴史に学ぶ意義を問う 「歴史の黄昏」の彼方へ 危機の文明史観  202112

2021-12-16 18:18:00 | なるほど  ふぅ〜ん

【第10回】歴史に学ぶ意義を問う 「歴史の黄昏」の彼方へ 危機の文明史観
  Wedgeより 211216  筒井清忠


 近現代史への関心は高く書物も多いが、首を傾げるものも少なくない。相当ひどいものが横行していると言っても過言ではない有様である。この連載はこうした状況を打破するために始められた、近現代史の正確な理解を目指す読者のためのコラムである。
 「歴史の黄昏」の彼方へ
   危機の文明史観 (著)野田宣雄 (編)竹中 亨・佐藤卓己・ 瀧井一博・植村和秀 
        千倉書房 6160円(税込)

 京都大学で西洋史・政治史について教鞭をとられていた故野田宣雄氏の主要著作を集めた一巻本選集である。氏の教えを受けた4人の教え子たちが歴史・教養・政治・宗教の4つの分野にわたって著作をまとめている。カバーしている領域は広く、どれについても傑出した歴史家であった氏の力量を示すのにふさわしい書籍である。
 ここでは紙幅も限られているので、その中から「教養」「政治」という二つのテーマについて記した文章を紹介し、この著作の意義の一端を明らかにしておこう。

⚫︎教養と宗教の関係性
 教養についての野田氏の主張を評者なりにまとめると次のようになるだろう。

 それは、ドイツの「教養市民層」の問題である。19世紀から20世紀にかけてのドイツの「教養市民層」に発する「教養人」は、人文的教養を身につけることによる人格の陶冶・完成を目指すものであった。ただ、マックス・ウエーバーなどが明らかにしたように、各個人の調和的完成を人生の目標とするその思想は、現世的であって、来世に救済があるとする宗教の立場とは基本的に相容れないものである。「生」に意味を与えるのは神のような何か超越的なものだとするのが「宗教」だからである。

「教養」それ自体はどこまで行っても人格の完成を目指し続けるものであって「生」自体に外から意味付けを与え得るものではないから,それは永遠の未完成が義務づけられたものである。
 ここからは、死に面した時人は「未完成」に満足できるだろうかという問題も生じ得るが、いずれにせよ、「教養」に入りこんでいくことによって、彼らはますます現世的・世俗的・合理的となり、来世的な超越への関心はいっそう希薄となる。そしてそれは結局「宗教」を無効化していく。とりわけ「教養」の生み出す「科学」は「宗教」に懐疑的・否定的な人間を生み出し、結局彼らは内心宗教への軽蔑心すら持つことになるだろう。

⚫︎ヒトラーやナチスを生んだもの
 そして,「教養人」たることの第一義は大学を出ていることであったから,大学と大学人の評価は非常に高いものとなる一方,大学を出ていない人間の評価は極めて低いものになる。
 こうして、社会は「教養人」と非「教養人」とに二分されたものになり、後者は低く見られる存在となる。言い換えれば、エリートたる「教養人」は宗教を持たずに、「教養」だけに「生」の充足を求める中、一般の人間はそうはいかないまま放置された状態となると言ってもいい。いや、低く見られ放置された一般大衆は何らかの宗教の代替物を求めるしかなくなるであろう。

 こうして、内心宗教への軽蔑心を持つ教養人に対して放置された一般大衆の間には大学・教養市民層への敵意すら広まっていくことになる。ヒトラーやナチスを準備したのはこれではないか。
 ヒトラーが演説でしきりに頭脳中心の「教養市民層」を批判・攻撃し、新しい形での彼なりの能力主義によるエリートの編成替えを主張していることはこの点に符合する。

 ゲーテやカントの国になぜヒトラーやナチスが出たのかと言われることがあるが、ゲーテやカントの国だからこそヒトラーやナチスが現れたのではないか、というわけである。
 この問いかけは大きく、明治以来の日本のエリート層も深くこの「教養」の影響を受けているから、近現代日本も含めて多くの問題がここから派生することになる。

 評者の見解については、野田氏に触発されて書いた書『「日本型」教養の運命』(岩波現代文庫)に詳しいので参照されたいが、現代日本においても、知識人が「教養」として欧米発の知識人向きの言説を国民全体の中で見れば狭いサークルの中で周流させることを繰り返しているようであれば、彼らは孤立し一般大衆の間には大学・知識人層への敵意が広まって来ているということがあるかもしれない。
 だとすれば、事態はあまり変わらないとも言えよう。この点、日本の欧米思想研究の盲点を突いたコラム「フッサールはわからない」も示唆的であることを付言しておこう。

⚫︎政治と私欲・私心
 次に,政治については,政治と私欲・私心についての文章が興味深いので,これをまた評者なりにまとめていこう。

 野田氏は言う。私欲・私心のない政治は多くの人が求める理想であるが、これを性急に求めるとかえって思わぬ陥穽が待っていることに気づかされるだろう。

 政治家の私欲・私心の対極にあると見られるのは正義感である。正義感あふれる政治家が公共のために尽くすというのは最も望ましい政治の姿と考えられやすい。
 しかし、例えば帝政の不正を激しく憎み正義を実現しようとする理想にあふれた人々によって行われたのが1917年のロシア革命であったが、その帰結があのスターリンによる数千万人に及ぶ恐ろしいまでの大量虐殺だった。スターリンでなくトロツキーならば、という人もいるが、反対派の存在を許さずソビエト政権への異議は一切認めなかった人による政治では、結果はあまり変らなかったのではないだろうか。

 というのもフランス革命がそうなのだが、革命は正義の名において多くの犠牲を出すことを当然視する人によって行われることが多いからだ。全てが政治家の主観的な正義によって処理される革命では正義は転じて最も恐ろしい独裁などの悲劇の原因となりやすいのである。

 革命は極端なケースだとしても、こうした政治家の正義感による政治の危険性を少しでも避け、私欲に汚されない政治を望むとすれば、それは厳格な法律とその適用を求めることになる。あらゆる汚職を根絶する徹底した法制度を整え厳しく取り締まっていく方法である。

 ただ、これにもやはり大きな限界がある。というのも、一切の私利私欲を禁じるような厳格な法制度を作ることはもともと不可能であり、もしそのようなものができたとしてもあまりの煩わしさにその制度の下では政治家は窒息しそうになり、およそダイナミズムのない政治になる可能性が高いからである。

 いや、実は反論も予想されうるこの点は、この問題の焦点ではない。政治家の私欲と言うと金品のことを人は考えやすいが実はもっと根本的な問題があるのだ。

⚫︎正義ある政治を行うためには
 最も厄介な問題は人間関係を通じて勢力を広げ、いわゆる派閥を形成して政治を私するようなタイプのものである。こういう類のものはどこまでが正当な政治活動でどこからが私利私欲であるかなどを判別することはほとんど不可能に近い。したがって法的な規制の対象にもしにくい。

 そうだとすれば、最初から比較的無害な政治家の私利私欲は取り込んで、それでいて極端な政治腐敗を回避できるような体制を構築した方がずっと現実的なことに気づかされるだろう。

 そして、そういう人間観に立って現存しているのが英国や米国の政党政治・議会政治なのである。人間存在とともに根絶のしようのない私利私欲を完全に法的に規制したりするよりも、政権交代によって政治腐敗を清算する方がよほどダイナミズムをも確保しうる政治が行われ得るのである。

 以上、ここからは、自由な言論に基づき複数の政党が競争し、政権交代の起こり得る議会制民主主義の政治ほど大切なものはないということにあらためて気づかされるであろう。結局現代日本の政治において正義ある政治を求める人は、政権交代はどのようにすれば可能かを考えた方が良いわけである。

 政治家の私利私欲という点については以下のような考察もなされているので最後に触れておきたい。

 政治的リーダーシップと権力欲については、20世紀に困難な状況の中、卓越した政治指導を見せた吉田茂・アデナウアー・ドゴールなどの経験が参考になる。彼らは権力の座にしがみついて野垂れ死にしたとしてとくに引き際から評価が低くなることがある。
 しかし、最後まで執念を捨てずに権力を維持し政策を実現しようとした姿を顧みると、それほどまでの権力への執着なくして政治指導者として果たして彼らほどの見るべき成果を上げ得たのかという疑問も生じる。

 民主主義というものは、権力の座にしがみつこうとする権制欲の強い政治家とそれをチェックし政治指導者を権力の座から引きずり降ろそうとする一般有権者との激しい攻防戦という形をとって初めて充実したものとなるのではないか。

 確かに戦前の日本は、権力欲旺盛な政治家ばかりの政党政治に辟易した大衆が権力欲の薄い清潔な政治家を望んだ結果、近衛文麿のような強力なリーダーシップのない政治家を生み出し、戦争への道を歩んでしまったのである。昭和10年代は毎年のように首相が代わり、それが敗戦の道につながったのである。
 政治家は権力欲が薄い方がいいというのは権力闘争に敗れた政治家を惜しむ判官びいきのような感情のところがあり、政治家の正確な評価とはいえないことを国民は自覚する必要があるのかもしれない。考えさせられる考察と言えよう。

 野田氏の著作を読みながら歴史から学ぶことの意義を新たに思い知らされた気がした。編者の労を多としたい。
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⚠️ 日本人はエネルギー問題の大潮流をわかってない  202112

2021-12-16 17:57:00 | なるほど  ふぅ〜ん

日本人はエネルギー問題の大潮流をわかってない
  東洋経済 onlain より 211216  猪瀬 直樹:作家,村上 誠典:シニフィアン共同代表

⚫︎日本はどのような舵取りをしていけばいいのでしょうか?
 2021年10月31日から開催されたCOP26(国連気候変動枠組条約第26回締約国会議)で、岸田文雄首相は2030年度の温室効果ガスの排出量を46%削減するなどとした日本の目標を説明しました。
 加えて、5年間で最大100億ドルの途上国への追加支援などを表明。しかし、日本におけるエネルギー問題政策は大幅な後れをとっていると『カーボンニュートラル革命』の著者・猪瀬直樹氏と、『サステナブル資本主義 5%の「考える消費」が社会を変える』の著者・村上誠典氏は警鐘を鳴らします。
 日本はどのような舵取りをしていけばよいのか。エネルギーの地産地消モデルの創生や消費者起点の市場づくりなど、日本が秘めている可能性や世界のエネルギー問題の潮流ついて猪瀬氏と村上氏が意見を交わしました。

※2021年11月6日に丸善で行われたオンライン対談の内容に修正、加筆しました。

⚫︎なぜ欧州ではエネルギー問題への関心が高いのか
 猪瀬 直樹(以下、猪瀬):先日、岸田首相が衆議院選挙直後に、COP26へ参加しましたよね。総選挙直後に向かうほど、世界的には気候変動は重大イシューとされています。

 COP26では自然再生エネルギーへの転換、2030年の電力構成目標などが話し合われました。しかし、残念ながら日本人は、こうしたテーマへの関心が先進国の中ではとても低いのです。

 村上 誠典(以下、村上):そうですね。会議そのものへの関心が低いこともありますし、気候変動に対する国の政策レベルでも日本は遅れているのも事実です。

 猪瀬:ヨーロッパ諸国では、気候変動やエネルギー問題に関する事柄が日々新聞の一面で扱われています。

 村上:ヨーロッパ諸国でエネルギー問題に関心が高いのは、電力価格がかなり不安定で、生活にダイレクトに響く点も大きいと思います。日本の電気は安定供給されていて、毎月の電気代もなんとなく記憶しているくらいですよね。

 電力だけでなく,食材や不動産,オイル価格などの変動率も高く,生活を圧迫します。私もイギリスに住んでいたことがありますが,電力価格が驚くほど高かったのを覚えています。日々意識しながら消費をしているので、電力を含めて国の政策に高い関心が向くわけです。

 猪瀬:日本でも2016年から電力自由化が始まっています。私も太陽光発電をメインにしている電力会社に契約を切り替えました。調べてみるといろいろな会社が参入しているし,価格も大手電力会社より安いところも多い。しかし,電力を選んで切り替える行動を起こす人はまだまだ少ないです。ヨーロッパの人たちは,そうした選択を日々しているということですよね。

 村上:ええ。日本は、東日本大震災があって原発への関心は高まったけれど、そのまま高い関心を保っているかというとそうではない。自然エネルギーを扱う電力会社と契約もできるようになって、選択肢は増えているのに関心が低いままなのが残念でなりません。

「どの会社を使っても大して変わらない」と考えているかもしれませんが、多くの人が新電力クリーンエネルギーをどんどん使うことで、大きな構造転換が起こせるのです。エネルギー問題は、消費者が取り組みやすい環境課題の1つなんですよ。にもかかわらず、なかなかそうした実感は広まりません。

⚫︎発電だけでなく送電の効率も考える必要がある
 猪瀬:日本は9つの電力会社がそれぞれのエリアで独占販売しています。民間企業だけど、ほぼ独占体制になっています。東京に住む人は、東京電力からしか供給してもらえません。九州で電力が余っていても東京に送電すると、とても効率が悪くなってしまう。

 ここには「送電線」の問題もあります。送電線の太さにばらつきがあって、エリアを超えて電力を供給しようとすると、電力の渋滞が起こってしまいます。

 村上:電力の発電効率に注目されがちですが、送電効率も非常に重要です。発電効率をどれだけ高めても、送電効率が低いとエネルギーロスがとても大きい。日本の送電効率は新興国の中では圧倒的にいいほうですが、長い距離を運ぶとロスは大きくなってしまいます。

 これまで電力会社は、発電効率を上げる大規模発電に力を入れていました。しかし近年では、太陽光発電なども広がり、電力を小さく効率的に作れる仕組みが整ってきた。それと同時に、送配電のロスにもフォーカスが当たるようになってきました。

 実はこの送配電のロスと同じようなことが,ほかの産業でも起きています。例えば,魚は豊洲市場に集めてから各地に運ぶように,集めて運び直す方法が当たり前に行われています。しかし,多くの産業で地産地消するほうが効率がいいという方向に切り替わっていくと思います。

 スマートグリッド化によって、エネルギーが地産地消されるようになれば、効率も上がり、電気代ももっと下がっていくでしょう。

 猪瀬:おっしゃるとおりで、送電線を軸に考えてみると、地域分散型の再生エネルギーを作って、すぐ近くのエリアに運んでいけば送電効率はかなりよくなります。エネルギーの地産地消は理にかなう方法です。

⚫︎エネルギーの地産地消モデルが日本をリーダーにする
 村上:このエネルギーの地産地消は、地域の実力差が比較的均一である日本の特徴を生かして浸透しやすいシステムだと考えています。財政や収入の差も東京だけは飛び抜けていますが、そのほかの地方都市ではさほど大きくありません。州格差が激しいアメリカと比較すると、日本の地方都市の差は小さいと言えます。

 人口の90%が住む地方では、地産地消型のネットワーク作りのコンセンサスは取りやすく、再現性も高い。ある地域でエネルギーの地産地消がワークすれば、全国に広げられる可能性がすごく高い仕組みです。私はこれからの最先端は、90%の人が住む地方で生まれるのだと思っています。

 持続可能性を重視する昨今の流れから考えると、一極集中型よりも地産地消のような分散型の設計思想のほうが、社会インフラとしてのニーズが高いでしょう。

 日本が先んじてエネルギーの効率的な地産地消モデルを確立できれば、そのシステムを世界に販売していけます。世界のリーダーになれると私は本気で思っています。

 土地が狭いオランダが農業の大国になろうとしているのと同じように、小さな国が示す新しいモデルはたくさんあるはずです。

 猪瀬:そのためにも,消費者として1票を投じることが重要です。例えば,テスラは2012年に電気自動車(EV)を発表して以降,順調に売り上げを伸ばしていますが,ゼネラル・モーターズ(GM)が1996年にEVを発表したときは一瞬のブームで終わってしまいました。

 当時、リース販売されたEVは好調だったにもかかわらず、GMはリース販売をやめ、すべての車体を回収しました。その背景には石油会社等からの圧力があったとも言われていますが、それが事実であれば老舗企業の既得権益が新しい市場を奪ったわけですよね。

 その後、消費者はGMのEV回収に抗議デモを起こしました。カリフォルニア州の規制当局が排ガス規制を強化した背景もありますが、消費者がEVを求めた結果が、2012年以後のテスラの躍進につながった。株式市場でも、実績のなかったテスラの株価は上がっていきましたよね。

 村上:ええ。日本では消費者や市場が先に動くケースがほとんどなく,政府が補助金を投入して無理やり動かさざるをえないことが多くあります。スタートアップ企業は,政府の支援がなくても新しい市場を生み出していますが,やはり「考える消費者」の存在が必要です。

 拙著『サステナブル資本主義』でも触れていますが,消費者から得た資金(売上高)は,資金調達の役割も担っているわけです。消費は企業にとってファイナンスの一種であると同時に,企業価値を高める行為でもある。テスラの株価が上がり続けているのも,そうした理由からです。

 このようなことをふまえると、私たちはエネルギーも「商品」と捉えて選択していく必要があるという実感が深まるのではないでしょうか。スタートアップが提供する新しいコンセプトのエネルギーに共感する消費者がいれば、立ち上がるビジネスはますます増える。

 カリフォルニア州のEVのように、日本でも消費者の要求から市場が立ち上がるべきです。市場が立ち上がった後、政府が補助金を出すなりの後押しをすれば、カーボンニュートラルに向けた動きも促進されると思います。

⚫︎日産「リーフ」がもったいなかったワケ
 猪瀬:その流れを作るためにも,日本でも消費者運動が起きないといけません。日産自動車はテスラより早く、2010年に世界で最初の量販型のEV「リーフ」を販売しましたが,すぐに低迷してしまいました。航続距離が短かったことも原因かもしれませんが,消費者がEVの必要性を理解せず,市場も反応しなかった。とてももったいないことをしたなと思います。

 村上:「リーフはすごい」とは思ったかもしれませんが,リーフを買うことが日本の産業や気候変動にどのくらいインパクトがあるのかを,考えられる人が少なかったのでしょうね。

 猪瀬:二酸化炭素がどんどん増えていることに対して,日本人の意識が低いことも影響していると思います。プラスチックごみの分別はするけど,世界中で環境問題が死活問題になっているという課題意識は薄い。ニュースで扱われることも少ないのも課題だと感じます。

 みなさんあまり意識されないかもしれませんが、最近は東京で「空気が悪い」と感じる機会が少なくなったと思います。2003年に東京都がディーゼル車を規制する条例を作る以前は、遠くの景色が赤茶色に見えることもありました。

 東京都のディーゼル規制はあくまでも条例で、東京都内にしか適用できない。ですが、とくにトラックなどの輸送を目的とする車は県をまたいで移動するわけです。東京都を通過するためには、他県の車もこの規制を守る必要が生じる。これによって、PM(粒子状物質)排出量は規制開始前の20分の1に減りました。

 この15年ほどで、日本の空気を以前よりクリーンにした条例になったと思うのですが、普段の暮らしからではなかなか日本の空気がきれいであることを意識できないんですよね。

⚫︎環境問題に目が向きづらいのはなぜなのか
 村上:たしかに。日本人はなかなかそうしたことに目が向きづらいのかもしれません。ヨーロッパのほうが環境問題に関心が高い理由を考えてみると、先述した電力会社の選択の例もそうですが、よりマクロな視点でも比較しながら生活しているからかもしれません。

 ヨーロッパでは国を移動することが珍しくなく,国を移動するから「この国のここは素晴らしい」「ここはあまりよくない」と感じることもできます。より環境のいい国,より教育がいい国,より生活水準の高い国を選んで移住します。だから、国の政策にも敏感なのです。

 一方で日本人は、国を離れようと考えることはほとんどありません。政府は、どんな政策を打っても「まぁ国民もずっといてくれるから」と思ってしまう。国民も、その政策がいいか悪いかを比較する対象を持っていない。

これはお互いに甘えを生む構造を作ってしまっていると思います。世界がつながっている人たちは、お互いの国を意識しながら行き来しています。他国が動けば自分たちも動かなければならないのです。

 猪瀬:そのとおりですね。拙著『カーボンニュートラル革命』でも触れていますが、世界のEVの販売台数は、テスラが50万台、フォルクスワーゲン(VW)が27万台となりました。日本は自動車先進国と言われていましたが、日産が14位、トヨタが17位と遅れています。

 トヨタ自動車はハイブリッド車が世界で最も優れていると信じているため、なかなかEVに切り替えることができない。たしかに、少し前までは走りながら電気を作れて、燃料効率もいいのはハイブリッド車でしたし、EVで使用するリチウム電池を製造する際に、CO2を排出するのだから、環境にはよくないとも言われていました。

 しかし、新しい統計では、最初の何年かはハイブリッド車のほうがCO2の排出が少ないものの、燃料電池の寿命も延びているため、数年後にはCO2の排出量は逆転します。ヨーロッパでは、2030~2035年にハイブリッド車を含めて内燃機関(エンジン)の車は売ってはいけないことになります。

⚫︎日本では選挙行動も消費行動もワンパターンすぎる
 消費者の意識の差が、ここでも表れます。日本では、選挙の投票行動も日々の消費行動もワンパターンになりすぎているんですよね。それはメディアのガラパゴス化も影響していて、世界は気候変動を軸に議論しているときに、日本は内輪ネタばかりを話し合っている。メディアの意識変化も重要ですが、普段の消費者行動でわれわれが1票をつねに投じる意識を持つことが、まずできる行動です。

 村上さんの著書で提案されているように、5%の消費者が変われば世の中は変わると私も思います。日々の買い物で考えながら、選択できる消費者になっていきましょう。

 村上:世界はEVを前提に、インフラを整え始めています。EV化が進む国とそうでない国では、エネルギーのインフラの作り方が根本的に変わります。単にEVが普及するか否かではなくインフラやエコシステム全体の問題です。

 ガラパゴス化しない意味でも、超大規模産業における事業機会を創出しない意味でも、日本でも、先ほど話した「エネルギーの地産地消」など、EVを前提としたインフラ整備を本気で議論していくべき時期にきています。

 そしてこれからいちばん大切なのは、未来を想像する力だと思います。価値観を与えられる時代ではなく、新しい価値観を生み出していく時代だからこそ、自ら考える人を育てていく教育がより求められます。考える癖がつけば、消費への意識も変わる。
 新しい社会において、主役は私たち消費者であるという意識で過ごしていきたいですね。そうすれば日本は必ずいい方向に向かうと私は信じています。
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