日本人のルーツとは? DNA研究から、日本人の遥かなるルーツを探る! 特別展「古代DNA―日本人のきた道―」
東京新聞 より 250329
日本の古代の人と暮らしぶりはどんなものだったのかしら? 国立科学博物館で特別展示中の「古代DNA―日本人のきた道―」に行ってみたわ!
ここ数年、古代DNA研究は飛躍的に進化し、人類の足跡が次々と明らかになっている。
本展では、日本人のルーツに焦点を当て、古代の人々の姿や暮らしを、最新のゲノム解析をもとに紹介してくれる。
⚫︎最古の日本人の年齢は2万7000歳だった!
日本人とはいったいどこから来たのだろう。考古学では約4万年前の後期旧石器時代に大陸から渡ってきたといわれているが、化石証拠がないため実態は不明のままだった。
日本の古代の人と暮らしぶりはどんなものだったのかしら? 国立科学博物館で特別展示中の「古代DNA―日本人のきた道―」に行ってみたわ!
ここ数年、古代DNA研究は飛躍的に進化し、人類の足跡が次々と明らかになっている。
本展では、日本人のルーツに焦点を当て、古代の人々の姿や暮らしを、最新のゲノム解析をもとに紹介してくれる。
⚫︎最古の日本人の年齢は2万7000歳だった!
日本人とはいったいどこから来たのだろう。考古学では約4万年前の後期旧石器時代に大陸から渡ってきたといわれているが、化石証拠がないため実態は不明のままだった。
そこに光を当てたのが、本展で紹介される最新のDNA研究だ。人骨にはヒトの一生の膨大な情報が蓄積されており、1本の歯、微細な骨の欠片からでも詳細な人物像が解き明かすことができるという。
入場すると最初に出迎えてくれたのが、日本最古の人骨のひとつといわれる「4号人骨」。2008年、沖縄県の白保竿根田原洞穴遺跡で発見されたが、年代の特定はできずにいた。それが近年の技術によって、およそ2万7000年前の人骨と判明。
入場すると最初に出迎えてくれたのが、日本最古の人骨のひとつといわれる「4号人骨」。2008年、沖縄県の白保竿根田原洞穴遺跡で発見されたが、年代の特定はできずにいた。それが近年の技術によって、およそ2万7000年前の人骨と判明。
さらに性別は男性で身長は160~165㎝、体つきは頑丈だが外見は意外にスリムで、耳と歯の様子から水に潜って海産物を摂って生活していたことがわかった。骨格から復元された顔は頬が横に張り、がっしりとした風貌。どちらかというと南方系の顔立ちだ。
先に進むと縄文人の頭骨と復顔の展示が目に入る。4号人骨とはまた違う風貌で、「知り合いに似ているかも…」と親近感が湧く人もいるだろう。音声ガイダンスによると、北海道礼文島で発掘された女性とのこと。顔全体は寸が詰まり、頬は横広で眼窩が四角く眉間は膨らみ、全体的に彫が深い。さらに身長は146㎝と小柄で40年以上生き、子どもも何人か生んでいるとのこと。
4号人骨といい、縄文人骨といい、数千~数万年前のヒトのプロフィールがこんなにも詳細にわかってしまうことが、なんとも不思議で面白い。
⚫︎古代人の精神世界もDNA解析が解き明かす
発掘された遺跡からは動植物やヒトを象った土偶が多数出土しており、その一部が展示されている。人間の形をしたものをはじめ、サル、イノシシ、クマ、イカ、シャチ、貝類など、種類も豊富だが、何に使っていたかは今も謎。一般的には、狩猟の成功や豊作を祈るなど、呪術的に使われたと考えられている。
どれも掌サイズの大きさだが、女性を象った「バイオリン形土偶」は2~3㎝ほどの極小サイズで、「こんなに小さいのか」と少々驚かされた。豊かな乳房が強調されていることから、母乳が出るよう女性たちが“お守り”のように持っていたのかも。そんな想像を膨らませながら鑑賞するのも楽しい。
⚫︎多様なDNAを持つ人々が活躍していた弥生時代
縄文時代は1万3000年ほど続き、今からおよそ2900年前(紀元前10~9世紀ごろ)、北九州に来た渡来人が稲作文化を伝え、弥生時代が幕を開ける。渡来人は縄文人と長い年月をかけて交配し、日本列島にさまざまな遺伝的特徴をもつ“弥生人”が誕生した。会場には“縄文型弥生人”と“渡来型弥生人”の頭骨が並び、それぞれの特徴を紹介している。渡来型弥生人の顔は面長で幅広、前歯が大きくて眼窩が丸く、全体的にのっぺりとした顔つきだ。復顔像を見れば、前出の縄文人との違いは一目瞭然。ぐっと現代人に近づいており、「これぞ日本人のルーツ」と納得できる。
⚫︎新たな文化が流入し、古代国家の時代が始まる
稲作が始まると人々は土地に定住しムラやクニをつくり、水田づくりにかかせない水源の取り合い、収穫物の奪い合いなど、集団間で小さな諍いも始まる。
さらに3世紀ごろ、大陸から先進技術や文化を携えた渡来人が新たにやってきて、日本の文化や生活に大きな影響を与えた。そして遺伝的な特徴も、ほぼ現代人に近いものになっていった。もちろん、地域によっては、まだ縄文系のDNAを残す人々もいて、古墳時代もDNA的には多彩だった模様。
DNA解析は、古墳時代の家族の在り方も明らかにしている。岡山県の前方後円墳で見つかった計4体の人骨は、DNA分析の結果、4体中3体が“父親と2人の娘”だとわかった。娘同士は異母姉妹で、残りの1体は誰とも血縁のない女性だった。つまり2人の娘の母親は一緒に埋葬されていないのだ。彼らの間にはどんな物語があり、同じ墓に眠っているのだろう。古代の家族関係は、私たちが思っている以上に複雑だったことが垣間見えてきた。
⚫︎古来、人間のパートナーだったイヌとネコのルーツに迫る
展示の後半に登場するのはイヌとネコだ。特にイヌは日本列島に最初に渡来した家畜動物で、今も私たちの大切なパートナー。そのルーツには大いに興味がわく。
まず、最古のイヌのルーツは東アジアで誕生したニホンオオカミで、1万年ほど前の縄文時代に渡来し、それから7000年間、ほかのイヌと混ざることなく系統が維持されたらしい。縄文時代、ヒトの近くに棲み、残飯を食べて暮らしていたイヌは、やがてヒトに飼いならされ、狩猟犬となる。弥生時代になると、渡来人とともに別系統のイヌがやってきて混血し、農耕社会に適応したイヌへと変貌した。イヌも時代に適応しながら変遷し、今日まで生き永らえたのかと思えば、生き物としてのたくましさを感じる。
会場にはニホンオオカミの剥製が展示されている。少し間延びしたひょうきんな顔つきなのが印象的。こんな顔ならヒトも警戒せずに近くに置いたかもしれない。
イエネコもイヌ同様、人間との結びつきの強い動物だが、DNA分析の結果、現在の日本のネコの多くは、平安時代以降に持ち込まれたネコを祖先にしているらしい。
先に進むと縄文人の頭骨と復顔の展示が目に入る。4号人骨とはまた違う風貌で、「知り合いに似ているかも…」と親近感が湧く人もいるだろう。音声ガイダンスによると、北海道礼文島で発掘された女性とのこと。顔全体は寸が詰まり、頬は横広で眼窩が四角く眉間は膨らみ、全体的に彫が深い。さらに身長は146㎝と小柄で40年以上生き、子どもも何人か生んでいるとのこと。
4号人骨といい、縄文人骨といい、数千~数万年前のヒトのプロフィールがこんなにも詳細にわかってしまうことが、なんとも不思議で面白い。
⚫︎古代人の精神世界もDNA解析が解き明かす
発掘された遺跡からは動植物やヒトを象った土偶が多数出土しており、その一部が展示されている。人間の形をしたものをはじめ、サル、イノシシ、クマ、イカ、シャチ、貝類など、種類も豊富だが、何に使っていたかは今も謎。一般的には、狩猟の成功や豊作を祈るなど、呪術的に使われたと考えられている。
どれも掌サイズの大きさだが、女性を象った「バイオリン形土偶」は2~3㎝ほどの極小サイズで、「こんなに小さいのか」と少々驚かされた。豊かな乳房が強調されていることから、母乳が出るよう女性たちが“お守り”のように持っていたのかも。そんな想像を膨らませながら鑑賞するのも楽しい。
⚫︎多様なDNAを持つ人々が活躍していた弥生時代
縄文時代は1万3000年ほど続き、今からおよそ2900年前(紀元前10~9世紀ごろ)、北九州に来た渡来人が稲作文化を伝え、弥生時代が幕を開ける。渡来人は縄文人と長い年月をかけて交配し、日本列島にさまざまな遺伝的特徴をもつ“弥生人”が誕生した。会場には“縄文型弥生人”と“渡来型弥生人”の頭骨が並び、それぞれの特徴を紹介している。渡来型弥生人の顔は面長で幅広、前歯が大きくて眼窩が丸く、全体的にのっぺりとした顔つきだ。復顔像を見れば、前出の縄文人との違いは一目瞭然。ぐっと現代人に近づいており、「これぞ日本人のルーツ」と納得できる。
⚫︎新たな文化が流入し、古代国家の時代が始まる
稲作が始まると人々は土地に定住しムラやクニをつくり、水田づくりにかかせない水源の取り合い、収穫物の奪い合いなど、集団間で小さな諍いも始まる。
さらに3世紀ごろ、大陸から先進技術や文化を携えた渡来人が新たにやってきて、日本の文化や生活に大きな影響を与えた。そして遺伝的な特徴も、ほぼ現代人に近いものになっていった。もちろん、地域によっては、まだ縄文系のDNAを残す人々もいて、古墳時代もDNA的には多彩だった模様。
DNA解析は、古墳時代の家族の在り方も明らかにしている。岡山県の前方後円墳で見つかった計4体の人骨は、DNA分析の結果、4体中3体が“父親と2人の娘”だとわかった。娘同士は異母姉妹で、残りの1体は誰とも血縁のない女性だった。つまり2人の娘の母親は一緒に埋葬されていないのだ。彼らの間にはどんな物語があり、同じ墓に眠っているのだろう。古代の家族関係は、私たちが思っている以上に複雑だったことが垣間見えてきた。
⚫︎古来、人間のパートナーだったイヌとネコのルーツに迫る
展示の後半に登場するのはイヌとネコだ。特にイヌは日本列島に最初に渡来した家畜動物で、今も私たちの大切なパートナー。そのルーツには大いに興味がわく。
まず、最古のイヌのルーツは東アジアで誕生したニホンオオカミで、1万年ほど前の縄文時代に渡来し、それから7000年間、ほかのイヌと混ざることなく系統が維持されたらしい。縄文時代、ヒトの近くに棲み、残飯を食べて暮らしていたイヌは、やがてヒトに飼いならされ、狩猟犬となる。弥生時代になると、渡来人とともに別系統のイヌがやってきて混血し、農耕社会に適応したイヌへと変貌した。イヌも時代に適応しながら変遷し、今日まで生き永らえたのかと思えば、生き物としてのたくましさを感じる。
会場にはニホンオオカミの剥製が展示されている。少し間延びしたひょうきんな顔つきなのが印象的。こんな顔ならヒトも警戒せずに近くに置いたかもしれない。
イエネコもイヌ同様、人間との結びつきの強い動物だが、DNA分析の結果、現在の日本のネコの多くは、平安時代以降に持ち込まれたネコを祖先にしているらしい。
文献資料でも、中国からネコが来たことは確認されていたが、それが科学的に裏付けられた格好だ。
ただ、気になるのは「動物足跡付須恵器」という古墳時代末期の出土品。そこにくっきり、動物の足跡が残されており、「お、これはネコの足跡!」と誰もが思うはず。だとすれば、古墳時代にすでにイエネコは来日していたのでは? このへんの調査は、まだ今後の成果が待たれるということらしい。
展示は、さらに北方や南方でのゲノム解析の結果にも触れ、それぞれに異なる集団の形成史があったことを紹介し終幕となる。南北に長い日本列島には、さまざまなヒトが暮らし、長い年月をかけて日本人ができ上がっていったことが改めてわかった。
展示は、さらに北方や南方でのゲノム解析の結果にも触れ、それぞれに異なる集団の形成史があったことを紹介し終幕となる。南北に長い日本列島には、さまざまなヒトが暮らし、長い年月をかけて日本人ができ上がっていったことが改めてわかった。
感じるのは、ヒトにしても動物にしても、数千年前の生きざまが詳細にわかることの不思議さ。そして、それを解き明かす最新の科学と考古学の進化の素晴らしさだ。DNA分析が進めば、近い将来、古代史に残されたさまざまな謎も解明されていくに違いない。
縄文人も弥生人も知り合いにいそう(笑)
⚫︎古代DNA―日本人のきた道―
3/15(土)-6/15(日)
国立科学博物館 [東京 上野公園]
9:00~17:00(入館は16:30まで)
月曜、5/7休館
入館料:一般・大学生2,100円、小・中・高校生600円
問合せ:050-5541-8600(ハローダイヤル)
https://ancientdna2025.jp
縄文人も弥生人も知り合いにいそう(笑)
⚫︎古代DNA―日本人のきた道―
3/15(土)-6/15(日)
国立科学博物館 [東京 上野公園]
9:00~17:00(入館は16:30まで)
月曜、5/7休館
入館料:一般・大学生2,100円、小・中・高校生600円
問合せ:050-5541-8600(ハローダイヤル)
https://ancientdna2025.jp