goo何気無い日々が心地よい安寧

何気無い日々が続く様に。生きていく事の大変さがカナン。ある種空気の様な存在になりたいもの。

🚶 2024年 1月 歩きまとめ 👣

2024-01-31 23:59:00 | 🚶纏_歩き総括
 
  今月は雪が降る、初詣もそこそこ
   クラシックコンサートを楽しむ,生オケやっぱり良い,多音源の響
   
 旧巨椋池埋立農地を歩く事多い、宇治川左岸堤防道より👀遠望の眺望が良い
  伏見桃山丘陵(更に奥に北山山系)〜比叡山/東山山系〜醍醐山系〜
 宇治丘陵〜生駒山系〜八幡山〜西山山系〜愛宕山〜北山山系〜
   

            (千歩)
31:🚶…旧巨椋池埋立農地 14
29:🚶…旧巨椋池埋立農地  14
28:🚶‍♂️… 宇治文化H:宇治シティフィル定演 10
25;🚶…旧巨椋池埋立農地 15
24:🚶…旧巨椋池埋立農地 14
20:🚶… 京都コンサートH;京響定演 10
18:🚶☂️…天ヶ瀬ダム   12
17:🚶‍♂️〜京都コンサートH:京大交響楽団定演 16
14:🚶…旧巨椋池埋立農地 15
13:🚶‍♂️ …宇治文化H;東フィルコンサート:新春 11
12:👫〜京都駅ビル…護王神社…伊勢丹〜 11
11:🚶…旧巨椋池埋立農地 13
9: 🚶…天ヶ瀬ダム&鳳凰碑 16
6:👫…近隣を、🚶…近隣 12
5:👫〜伏見稲荷大社:伏見神宝社〜モモテラス       11
4:👫…京セラ美術館/日展…平安神宮:岡崎神社:金戒光明寺:須賀&交通社 14.8
1:👫…宇治の4社寺初詣… 12  そして能登地震…最悪


累計390318歩+
 1月 390318歩+3kg


34万歩越:2019/05〜60ヶ月連続🎉
  今月は39万歩越!
2020/2/8〜日1万歩越継続,今月末:1454日
 今月も運良く日1万歩越継続:安寧平穏な日々が更に続く様に…
2019/10/21〜日9千歩越継続:今月末:1563日

🏆年累計435万歩越(5年連続:2019~23)

 @@ 済 @@
🏆年累計440万歩越(4年連続:2019~22)
🏆35万歩越:2019/06~22/01=36ケ月連続







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🚶☂️…向島鷹場&清水農地🔁↩️ 240131

2024-01-31 20:24:00 | 🚶 歩く
🚶…右岸堤防道…隠元橋…左岸堤防道47km碑+…伏見区向島鷹場⇆清水⇆⇆…左岸堤防道47.2km碑…隠元橋…右岸堤防道…戰川右岸堤防道…平町橋…戰川左岸堤防道…右岸堤防道…>
🚶14587歩3kg9F+132歩



☂️☁️隠元橋10℃~9℃:
時々小雨:風穏やかだが不安定な天気。
 勢いで14千歩越えで39万歩越えに。


夜)☂️🚙↔︎🚉👭





清水町農地

宇治川右岸49km付近

南方向


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🚶…右岸…宇治橋…左岸…隠元橋…右岸…Alp🍱…> 240130

2024-01-30 20:34:00 | 🚶 歩く
🚶…右岸堤防道…宇治橋…左岸河川敷…隠元橋…右岸堤防道…Alp📚👀🍱…右岸堤防道…>
🚶11410歩3kg

🌤️隠元橋14℃:風穏やか:散歩日和で汗ばむ陽気に、🧢🧤不要🧥前開き,
ぐるっと川巡り🔁 コセンダングサはやっぱり散策散歩の障害…危険な棘付種
 🛶が宇治川下る👀

Alp:📚予約,🍱今日明日分。リモコン購入。




左岸より

🛶発見




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約160体の円空仏が大阪に大集合『円空―旅して,彫って,祈って―』 2024/01

2024-01-30 03:37:12 | 〽️ 行事・新案内等 控え

諏訪部順一、「両面宿儺坐像」ほか、約160体の円空仏が大阪に大集合する『円空―旅して、彫って、祈って―』音声ガイドに決定
 Spice  より 240130


 あべのハルカス美術館開館10周年記念『円空 ―旅して、彫って、祈って―』

 2月2日(金)〜4月7日(日)の期間、
大阪・あべのハルカス美術館にて開催されるあべのハルカス美術館開館10周年記念『円空 ―旅して、彫って、祈って―』の見どころが公開され、音声ガイドのナビゲーターを諏訪部順一が務めると発表された。

 生涯に12万体の仏像を彫ると誓ったといわれる江戸時代の僧.円空(えんくう,1632~95)。
 江戸時代前期に美濃国(現在の岐阜県)に生まれ、幼いころに出家したのち修験僧として日本各地の霊場を旅し、神仏を彫り、祈りを捧げた。現存する円空仏は5,000体を超える。

 関西で20年ぶりの大規模な円空展として、同展には約160体の円空仏が大集合。
 木端仏(木の破片を削って作った仏像)のような小さな彫刻から2mを超える大作まで大小様々な作品が展示される。
 彫刻のみならず「円空さん」の生涯を伝える絵画や文書、書籍も一挙に紹介し、円空の足跡を全5章でたどる。展示構成は下記の通り。

●第1章 旅の始まり
 壬申年(寛永9年(1632))美濃国で生まれた円空。寛政2年(1790)に出版され、約100人の有名無名の江戸時代の奇特な人物の逸話を伝えていた『近世畸人伝(きんせいきじんでん)』には、幼いころに出家し、23歳の時、寺を離れ富士山や白山に籠ったと記されている。
 しかし、円空の同時代資料には、そのことを明らかにするものは残っていない。今日伝わる円空のもっとも古い作品は寛文3年(1663)、数え年32歳のときに彫ったものとされている。
 同章では円空が神仏を彫り始めたごく初期に岐阜や三重でじっくり丁寧に作ったと思われる作品のほか、旅先である北海道での事績を伝える文献資料、円空の肖像画などを展示し、円空の人となりや初期の造仏活動を紹介する。

●第2章 修行の旅
「護法神像(荒神像)」 奈良県・栃尾観音堂

 寛文11年(1671)、40歳の円空は奈良の法隆寺において法相宗の法系に連なる僧であると認められた。これにより釈迦からインドの無著(むじゃく)・世親(せしん)や中国の玄奘(げんじょう),奈良時代の名僧・行基(ぎょうき)らの法系に連なる僧となった。
 さらに奈良の吉野大峰山・笙の窟(しょうのいわや)で越冬参籠(えっとうさんろう)も修め、修験の行者としての修行を積み重ねていく。その間に円空の彫刻の作風も、初期の表面がすべすべとした丁寧な作風から、よりごつごつとした大胆な作風へと変化する。
 同章では法隆寺の大日如来坐像、愛知県・荒子観音寺の諸像など、この時期の作風の変化を辿ることができる作品とともに、円空が修理し、見返し絵を描いた大般若経などを紹介する。

●第3章 神の声を聴きながら
不動明王及び二童子立像 栃木県・清瀧寺
 延宝7年(1679)、48歳の円空は「円空の彫る像は仏そのものである」という白山神の託宣を聴く。これ受け円空の造仏活動はますます盛んになっていった。
 また、この年には滋賀県・園城寺において、園城寺を本山とする天台宗寺門派の密教の法を継ぐ僧であることを認められる。これにより毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)から印度の竜樹(りゅうじゅ)、中国の天台大師、平安初期の智証大師(円珍)らの法系にも連なることになった。
 その後円空は、関東の修験の寺院や霊場を巡って修行の旅を続けながら作品を残していく。同章では園城寺の善女龍王立像や埼玉、栃木に残るものも含め、力のみなぎった50歳前後の円空の作品を紹介する。

●第4章 祈りの森
「金剛力士(仁王)立像(吽形)」 岐阜県・千光寺 画像提供:東京国立博物館 Image:TNM Image Archives
 前述の『近世畸人伝』には、円空と交友のあった飛騨の千光寺の住職・舜乗(しゅんじょう)の人となりも記されている。
 人を疑うことを知らないと伝えられた舜乗と意気投合し、円空は貞享2年(1685)前後、しばし緑豊かな森に抱かれた千光寺に滞在し、彫刻に没頭したものと思われる。円空は、近代になると美術の歴史の中ではほとんど忘れられてしまっていたが、再び注目され、現在の評価に至るのは、彫刻家・橋本平八(1897-1935)が昭和6年(1931)に千光寺で円空仏を発見したことに端を発する。
 同章では「両面宿儺(りょうめんすくな)坐像」や立木仏(地面に生えたままの立ち枯れた木を彫って作られた仏像)として彫られたと伝わる「金剛力士(仁王)立像」をはじめ、千光寺に伝わる円空仏の数々を紹介する。

●第5章 旅の終わり
「護法神立像(制吒迦童子立像)」・「善財童子立像(矜羯羅童子立像)」 岐阜県・神明神社(関市円空館寄託)

 千光寺に滞在した前後から晩年の10年間、円空は飛騨や美濃を中心に、伊吹山、日光、木曽などを旅し、神仏を彫り、祈りを続けた。
 元禄2年(1689)には、園城寺から、円空が再興した弥勒寺が天台宗寺門派の末寺に加わることを許された。翌年には岐阜県・桂峯寺の今上皇帝立像の背面に「當国万仏 十マ仏作也」と墨書銘を記した。
 この銘文の意味するところについては意見が分かれるが、円空が10万体を彫り上げたという解釈もある。その後も円空は神仏を彫り続けるが、元禄5年(1692)、岐阜県・高賀神社での造仏以降は確かな作品は見られなくなる。
 元禄8年(1695)、64歳の円空は弥勒寺を弟子に譲り、弥勒寺の傍らを流れる長良川の岸辺で亡くなったと伝えられる。同章では、晩年の約10年間に作られたと考えられる飛騨、美濃地方に残る多様な円空仏を紹介する。


「両面宿儺坐像」 岐阜県・千光寺 画像提供:東京国立博物館 Image:TNM Image Archives

 上記5章で構成される同展は、あべのハルカス美術館1会場のみで開催。
 音声ガイドは、『呪術廻戦』両面宿儺(りょうめんすくな)役や『テニスの王子様』跡部景吾役などで知られる、声優、ナレーター、ラジオパーソナリティの諏訪部順一が務める。収録後のコメントも到着した。

 真実はさておき、生涯において約12万体の仏像を彫ったと言われている円空。その作風は、後期になればなるほどミニマルです。 元々の木の形を活かし、多くない手数で彫り上げられた仏像の数々は、その素朴な佇まいとは裏腹にとても雄弁。
 そこに込められた円空の思いや願いが時を越えて伝わってくるようです。
 個人的にはやはり、彼の代表作のひとつでもある「両面宿儺坐像」が気になりますね。そんな貴重な品々を、よりディープにご鑑賞いただくための音声ガイド。
 今回、私が担当しております。ぜひともご活用いただけますと幸いです。よろしくお願いいたします。

 諏訪部注目の「両面宿儺坐像」が表紙両面にあしらわれた公式図録のほか、展覧会オリジナルグッズも多数用意。詳しくは美術館公式HPをチェックしよう。

チケットはイープラスほか、プレイガイドにて発売中。
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能登でも同じことが繰り返された…「東日本大震災」から10年以上たってなお変わらない「災害時の大問題」 2024/01

2024-01-30 03:25:26 | 気になる モノ・コト

能登でも同じことが繰り返された…「東日本大震災」から10年以上たってなお変わらない「災害時の大問題」
 現代ビジネス より 240130  阿部 恭子


⚫︎旅館、ホテルを避難所に
 石川県で最大震度7を観測した能登半島地震。
避難所の報道を目にし、2011年3月11日に発生した東日本大震災で被災した立場として、あの経験が全く活かされていない状況に愕然とした。
 体育館にシートを引いただけのような場所では、朝晩の寒さ対策は不十分であろう。
トイレが使用できないなど、衛生環境が劣悪な地域もあるという。
 東日本大震災では避難所での性加害も問題となったが、仕切りさえなく、被災者のプライバシーに全く配慮されない環境では何が起きてもおかしくない。

 地震大国日本で生きる私たちは、いつどこで被災者になってもおかしくない。
それにもかかわらず、同じことが繰り返されているのはなぜなのか。

 仙台弁護士会は、1月5日に「能登半島地震に関する会長談話」を発表し、避難所について、東日本大震災の経験から「被災した県や自治体には、被災者の命を守るため、余震が落ち着き、安全に生活できる環境が整うまでの期間、早急に避難所の環境整備を行うとともに(令和6年1月1日付け内閣府事務連絡「避難所の確保及び生活環境の整備等について」参照)、広域避難やホテル、旅館等の宿泊施設を活用した被災者支援を実施することを求めます。」と提言している。

 2016年4月14日の熊本地震において、避難所運営に関わった経験を持つ熊本大学法学部の岡田行雄教授は、
「今、ドイツでは水害で凄まじい被害が出ています。また、イタリアで地震の被害が起きたこともあります。しかし、どちらにも、体育館に日本のようにプライバシーがない状態で避難させることはありません。仮にホールなどを避難所として利用する場合も、仕切りなどで個室を作り、そこで生活できるようにするのがヨーロッパの避難所なのです」と日本の避難所の在り方に苦言を呈する。

 日本の場合、とりあえず安全な場所に「収容する」だけで、被災者が一定期間、生活するという視点が欠けている。

⚫︎復興業務を担う人々に無理をさせない
 なかなか焦点が当てられることはないが、お正月から復旧作業に駆り出されている人々の存在を忘れてはならない。
 復興には時間を要する。長期的な視点で復興を考えるにあたって、復旧に当たる人々の労働環境が守られなければならず、決して無理をさせてはならない。

 大きく取り上げられることはなかったが、阪神淡路大震災、東日本大震災、熊本地震いずれの被災地でも、復興業務を担当する行政職員が過労やストレスにより休退職が増え、自殺者も出ていると報道されている。

 経済状況が良くない中での「公務員バッシング」と相まって、反論しにくい立場にある行政職員に対し、過剰なクレームが集中しやすい。
 特に被災者の相談窓口を担当している職員から、不自由な生活を強いられている被災者から各種手続きが進まない苛立ちをぶつけられ、苦しい思いをしたという訴えが数多く報告されていた。
 ところが行政職員もまた,家族や家を失った「隠れた被災者」であることも多いのである。

 こうした背景には、職員の人員不足が大きく影響している。平時の業務であれば耐えうる問題も、多忙かつ、ひとりで対応しなければならない状況になればストレスが急増するのも無理はない。災害対応業務の担い手の心理的負担については、「心のケア」に丸投げすることなく、人員を増やし、余裕を持って業務を行うことができる体制が整備されるべきである。

 突然発生する災害支援にあたって,法整備が追いつかず,行政で手が回らないところを支援する民間ボランティアの存在は不可欠であり,痒い所に手が届く支援が可能な場合も多い。
 しかし、国や自治体は、民間ボランティアに依存することなく、本来、行政が行うべき支援なのか否かについて、復旧が進んだ時点で検証されなければならないであろう。

⚫︎「耐える被災者」を美化すべきでない
 正月を過ぎると、3月11日に向け、「3.11を忘れない」というスローガンのもとに被災地取材が始まる。
 災害は日々、各地で発生しているにも関わらず、記念日を取り上げるだけのわざとらしい報道に毎年、うんざりしている。
 忘れない忘れないと繰り返されているわりに、東日本大震災の教訓は今回の震災に十分活かされているとは言い難い。

 震災を乗り越え夢を叶えた健気な被災者たちの美談が伝えられる一方、権利を主張する被災者はバッシングされる。

 しかし、地震大国で暮らす我々にとって「被災者」とは決して他人事ではない。
「耐える被災者」を美化してはならない。
被災者に対する国の対応は十分なのだろうか、メディアは同情を煽ることより、本質的な問題に迫る姿勢を見せて欲しい。
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