goo何気無い日々が心地よい安寧

何気無い日々が続く様に。生きていく事の大変さがカナン。ある種空気の様な存在になりたいもの。

🚶‍♂️2020年 6月 歩きまとめ 👣

2020-06-30 23:59:00 | 🚶纏_歩き総括
 今月やっと行き来緩和となるも,予定日前日と当日の天気予報の差異が大きく…梅雨でもあり行動の自由度が下がる。
 人集まる所は😷必須!この季節以降も暑い😷,無人の河川敷がありがたい
 今年も半年が過ぎて…後半は気楽にxxxが出来ない世相で…何ともはや…

29日:伏見名水スタンプラリー+ 1.8
23日:金閣寺,わら天神,平野神社 1.7
16日:三十三間堂,東寺 1
9日:平安神宮 1.2
5日:墓参り,エビス神社,摩利支尊天堂:西福寺, 1.2

累計 2266251歩+


6月 364814歩+ ㊗︎
5月 383827歩+ ㊗︎
4月 369812歩+ ㊗︎
3月 383979歩+ ㊗︎
2月 366721歩+ ㊗︎
1月 397098歩+ ㊗︎

 35万歩越:19/06~13ヶ月連続🎉











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☔️ 伏見名水スタンプラリー② 200630

2020-06-30 16:46:00 | 📖 日記
🚶‍♀️…宇治駅~伏見桃山…御香宮🟢…大手筋商店街⇅…月桂冠大倉記念館🟢…長建寺前…中書島駅:記念お猪口🍶~宇治…右岸…>
🚶‍♀️6420歩+3818歩+1898歩

☔️昨夜からの激しい雨も昼頃には小雨に…
 燕もベランダ前の電線で姦しく…
  後2つのスタンプラリーへ!
 放流254m3/s

☔️の為,歩数稼ぎで駅は宇治から,更に乗換の中書島駅でもホーム行ったり来たり、大手筋商店街もわざわざ⇅し,帰りも宇治駅構内ぐるっと、堤防道も同様に… 終日雨の散策時,運良く大雨あたらず(^^)
☔️でも皆さん😷僕もだが湿気感がキツい…

🟢伏見名水スタンプラリー最終日に記念お猪口(3種目)獲得(^^):別に酒好きでは無いが…
大黒寺スタンプ:インクべちょべちょ残念

中書島駅:麺座開店も黄そば食販売再開未定…残念…

夜)☂️🚙~マツモトSp~万代~Frマート
 雨で🚙多し


御香宮本殿の像



スタンプ台紙と記念のお猪口









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🚶‍♀️ 伏見名水スタンプラリー 200629

2020-06-29 17:02:00 | 📖 日記
🚶‍♀️↔︎🦷🏥(抜糸)
 洗濯物乾き早く(^^)早々に片付けて…

🚶‍♀️~丹波橋//~竹田…鳥羽離宮跡:安楽寿院:近衛天皇御陵…北向山不動院前…城南宮📕🟢茅の輪くぐり…城南宮道…清和荘🟢…藤森神社📕🟢茅の輪くぐり…近鉄伏見駅前…東住吉橋…常盤橋…キンシ正宗🟢…大黒寺🟢…毛利橋通…御香宮X…鳥せい本店🟢…キザクラカッパカントリー🟢…月桂冠大倉記念館X…長建寺前…中書島駅~>
🚶‍♀️18210歩

晴天となり今年は諦めのスタンプラリーを全くの思いつきで,今年は1カ月延長で
 でもって期限は明日迄だが…更に行き方も変え…
  とは言え,今回は気になる鳥羽離宮跡に,そこは静寂の空間
そして折角なので神社仏閣はしっかり参拝,
 神社の茅の輪くぐりは
  城南宮:真っ直ぐくぐる
  藤森神社:左右左と一般的な型
   狛犬(出雲系)もしっかり撮影。
    御香宮は頭を垂れてる狛犬。

 残念だったのは御香宮は6時迄が今日は4時…月桂冠は4:30厳守… 明日迄なのに…
  明日は本格的な雨だが… でもつい、中書島駅で記念品在庫あるを確認…
今日は途中から⛅️で歩き易くなる。

🌡26~29.8~
 ベランダ32度



安楽寿院

近衛御陵 多宝塔

白川法皇院政の地の碑

藤森神社の狛犬 (出雲式)

同上

同 茅の輪

濠川の起点付近

大黒寺のお地蔵さん

同:金運清水

御香宮内の頭を垂れた狛犬

同上




💋よりによって世界の神様の中,鵺項に近衛天皇が…



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🚞 戦後75年で約400路線が消え… 控え 200628

2020-06-28 23:23:00 | 🚃 鉄道

戦後75年で約400路線が消え…「廃線先生」が挙げる「もう一度見たい鉄道」は?    Aeradotcom 野村昌二  より  200628

【三江線】2018年4月1日で廃止。江津―江津本町間の江津市街(島根県)を走る三江線のキハ120。奥を、中国地方最大の河川、江の川がゆっくりと流れている
 戦後日本の復興の大動脈として活躍してきた鉄道。モータリゼーションの波で、次々と姿を消している。AERA 2020年6月29日号では、懐かしい列車の数々を鉄道ファンや鉄道ジャーナリストらが語った。
*  *  *
 かつて、中国山地の山間を縫うように、江の川の流れに寄り添いながら走る鉄道があった。島根県江津市と広島県三次市を結んだ「三江線」だ。2年前の2018年3月31日を最後に、運転を終了した。
   「懐かしいなあ~」
 埼玉県に住む会社員の男性(35)は目を細める。「乗り鉄」でもある男性は,三江線廃線のニュースを聞き,いてもたってもいられなくなり廃線となる半年ほど前の秋、会社を休んで1泊2日で乗りに行った。あいにく雨模様だったが,車窓から山々の美しい紅葉を楽しんだ。
「赤字とか経済効率という理由でどんどん鉄道が消えていく。寂しいですね」(男性)

■戦後約400路線廃止

 戦後日本の復興の大動脈として活躍してきた鉄道。私たちの生活を支えてきたが、モータリゼーションの波や人口減少で、次々と姿を消している。戦後75年、北海道から九州まで、400近い路線が廃止となった。

 鉄道ジャーナリストで「廃線先生」としても知られる松本典久さん(65)は、廃線は鉄道が開通した明治時代からあったという。

「つくっても役に立たなければ廃止してしまうということ。戦後の廃線のピークは、国鉄再建に向けた特定地方交通線の廃止が、距離の上ではいちばん長いと思います」

 特定地方交通線は、1980年に赤字解消などを目的に成立した「国鉄再建法」が規定する地方交通線のうち、バス転換が適当とされた1日1キロ当たり輸送人員(輸送密度)が4千人未満の国鉄路線のこと。「赤字ローカル線」とも呼ばれ、87年4月のJR発足前後には廃線のラッシュが起きた。

 バブルがはじけると、ローカル線はさらに厳しさを増した。とりわけJR北海道の惨状は際立ち、16年11月にJR北は営業路線の約半分にあたる10路線13線区を「単独では維持困難」と表明。19年4月に石勝線夕張支線が廃線となり、コロナ禍中の今年4月には、札沼線(さっしょうせん)の北海道医療大学(当別町)~新十津川(新十津川町)間の47.6キロがラストランとなり、多くのファンが別れを惜しんだ。

 そんな中、先の松本さんが「もう一度見たい鉄道」のトップに挙げたのが、冒頭の三江線だ。松本さんは振り返る。

「車窓に続く江の川は印象的でした。川沿いを走る鉄道は全国各地にありますが、三江線ほど一つの川を律儀にたどる路線は珍しく、渓相の変化をたっぷりと味わえました」

 三江線は「政治に振り回された鉄道」だったと松本さん。

 全線開通は1975年だが当初から需要は少なく、国鉄再建法による仕分けで廃止対象に考えられたが、代替道路が未整備ということで辛くも存続。87年、国鉄の分割民営化で国鉄からJR西日本に引き継がれたが利用状況に改善はなかった。21世紀に入ると輸送密度はさらに落ち込み、区間によっては1日4往復。実験としてバスも活用して2倍近い増便を実施、利用増を模索したが芳しい結果は得られなかったという。

「さらにこの時期、数次にわたる致命的な天災も受けて、そこで鉄路を残すべく動いた鉄道マンの心意気に頭が下がります」(松本さん)

 今回、紹介するのは松本さんに挙げてもらった「もう一度見たい鉄道」だ。共通するのは「心に残る情景が今も深く残っている」点。

■最も勾配のきつい区間

 信越本線の横川~軽井沢間(碓氷線)も、多くの鉄道ファンの心に刻まれた路線の一つだろう。

 信越本線は1893(明治26)年に開通したが、江戸時代の旧中山道の頃から「難所」といわれた碓氷峠が横たわった。それが、群馬県の横川と長野県の軽井沢を結ぶ「碓氷線」だった。距離は11.2キロながら553メートルの標高差があり、当時の国鉄で最も勾配のきつい区間だったので、線路の中央に敷かれた歯形のレールと車両の床下に設置された歯車をかみ合わせた「アプト式」と呼ばれる線路システムがとられた。当時としては最新技術だったが、速度が遅く、時代とともに輸送力不足となった。そのため1963年、急勾配を上るために専用の電気機関車EF63が開発された。通称「ロクサン」。勇敢に列車を押し上げる姿から「峠のシェルパ」とも呼ばれ、その雄姿を覚えている人も少なくないだろう。

「EF63はパワーそのものもそうですが、スリップしない工夫があり、登場間もない子どもの頃、車輪をロックして滑走しても対処できるように電磁石でレールを吸着するブレーキには感心しました」(松本さん)

 横川駅に隣接した横川運転区跡地には99年にテーマパーク「碓氷峠鉄道文化むら」(群馬県安中市)がオープン。碓氷峠で活躍した車両たちが展示され、日本で唯一、EF63の運転体験もできる。同むらの事務局長の小崎正人さんは言う。

「横川~軽井沢間には、当時の最先端の技術が詰め込まれた鉄道遺産が数多く現存しています。当時の繁栄を色濃く残していることが魅力で、懐かしさを求めて訪れる人が後を絶ちません」

 軽井沢と横川の両駅では、アプト式に対応した機関車の付け外しをするため、停車時間が長くなった。この停車時間を利用して横川駅で58年から販売されるのが、駅弁の代名詞にすらなった「峠の釜めし」だった。

 多くの「路面電車」も姿を消した。かつては都市交通の要として全国に70以上の路面電車が走っていたが、60年代、自動車が普及すると一気に姿を消した。どれも独特の美しさがあり、「もう一度見たい」と思うものも少なくない。その筆頭は、東京の渋谷~二子玉川園間を結んだ「玉川電気鉄道」、通称「玉電」だろう。今の玉川通り(国道246号)を走っていた。

「二子玉川から渋谷まで往復で25円。高くてなかなか乗れなかったけど、乗れた時は、はしゃいじゃって」
 と述懐するのは、東京都世田谷区に住む大塚勝利さん(77)。玉電の終着駅だった二子玉川園駅近くで2011年までそば屋を開き、今はそこに資料館「大勝庵 玉電と郷土の歴史館」を開いている。

 玉電の開業は1907(明治40)年。25年には、三軒茶屋と下高井戸を結ぶ支線も開通。38年に東京横浜電鉄(現・東急)に合併され「東急玉川線」となった。大塚さんは地元の農家に生まれた。家が貧しく、電車にはあまり乗ることができなかった。それだけに、子どもの頃は乗れた時はうれしくて仕方なかったと振り返る。

「特に200形と呼ばれた電車は、運転台の横に椅子があって、先頭に乗れるんです。それに乗りたくて、停留所で来るのをずっと待ってました」
 200形について松本さんは、

「腰が低く、ほかの電車に比べて地を這うように走っていた姿が印象的でした。改めて当時の写真を見ると、国道246号の広かったことにも驚かされます。高速道路がなく、空が広かったせいでしょうか」

■「交通弱者」の大切な足

 その玉電も車社会が到来すると邪魔者扱いされ「ジャマ電」などと呼ばれるように。地下鉄の新玉川線(現・田園都市線)の建設が決まると本線は69年に廃止され、下高井戸への支線だけが「世田谷線」と名前を変えて残った。

 令和の今、存続問題が持ち上がっている路線は少なくない。しかし、鉄道は高齢者や学生ら「交通弱者」の大切な足であり、鉄道が消えれば地域の明かりも消える。地域の実情に見合った、持続可能な公共交通機関の在り方を模索する必要がある。(編集部・野村昌二)

※AERA 2020年6月29日号



💋過疎だけでなく、これから更に、増える災害で復旧出来ない路線とかは早く消えてゆく事になる…  ますます地方の切捨て加速化… 国会議員の小選挙区比例代表並立制って、いったい何だったのか… 
 地方自治って?
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🔭🌓 弓張月+ 200628

2020-06-28 18:30:00 | 🔭 観測 🌖
南の空 天高く 見とれる 青空に白月
 月齢7.1 視半径16.4°  

18:13 ほぼ南中
1/1000 F6.4  Iso640

天気予報と異なり夕陽も期待出来そうな…
 さすが雨の特異日か…




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