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八幡神社や八幡宮、日本で最も多い「八幡信仰」の歴史をたどる 2025/03

2025-03-15 23:33:38 | なるほど  ふぅ〜ん

八幡神社や八幡宮、日本で最も多い「八幡信仰」の歴史をたどる。
『古事記』にも『日本書紀』にも登場しない八幡神が広く信仰された理由は…
  婦人公論jp  深結,西岡和彦


 近年のインバウンド需要で、日本の神社を訪れる外国人が増加しています。
そのようななか、島根県親善大使・出雲観光大使を務めるヒーリングシンガー・深結(みゅう)さん曰く「最近は、海外のビジネスエリートが日本の神様や神道に興味を持ち、学ばれることも増えてきている」とのこと。
そこで今回は、深結さんの著書『ビジネスエリートのための 教養としての日本の神様』から、ビジネスパーソンの教養となりつつある日本の神様や神社に関する知識を一部ご紹介します。
【表】全国に広がる「八幡社」「稲荷社」といった神様の名前を冠した神社。著名神社別の分社数は…

* * * * * * *

◆全国に広がる神社の神様
 日本全国津々浦々にまである神社の中に、「八幡(はちまん)社」「稲荷社」といった神様の名前を冠した神社が数多くあります。
 多くは特定の神社の神霊を移す勧請によって各地に広がっていったものです。

 神道系宗教法人が持つ神社の99%超にあたる7万8535社の神社を包括している包括宗教法人・神社本庁(東京都)は、1990(平成2)年からの5年間で「全国神社祭祀祭礼総合調査」を行っています。

 創建の由緒や祭りの概要などをもとに直接・一律に調査したもので、神社名から主に祀られている祭神がわかる神社を都道府県ごとに集計し「**信仰」と分類しています。

 同調査によると、神社数の多い信仰形態は順に上記のとおりです。

 神社本庁調査部として岡田米生氏が行った著名神社の分社数の調査(「全国神社祭神御神徳記」1966年)は数字が大きく異なっています。
 当時の神社本庁の包括神社が約8万社であり、上位4社だけで8万5000社を超える同調査は法人格のない神社や小さな祠なども集計したものとみられます。

 日本人の信仰のほどを知るうえで参考になる数字で、文化庁が毎年発行している宗教年鑑でもこの数字を紹介しています。


 同調査による著名神社別の分社数は多い順に上記のとおりです。

 神社創建の由来はそれぞれですが、その地域の人々の属性や職業などによって崇敬する神様に違いがあり、勧請される神社も異なってきます。
 それぞれの神様の信仰圏が歴史的にどのように広がったのかを見ていくと、その神様の性格を改めて知ることができます。

◆八幡信仰
八幡神を祀る「八幡神社」や「八幡宮」は全国にくまなく広がっています。『古事記』『日本書紀』に登場しない八幡神の信仰が広がったのは、常に政治の中心に近い位置で崇敬されてきたからだと考えられています。

 八幡信仰の発祥は宇佐八幡宮(大分県宇佐市)です。祭神は八幡大神(誉田別尊<ほんだわけのみこと>=応神天皇)、比売大神(ひめおおかみ)(多岐津姫命<たぎつひめのみこと>・市杵嶋姫命<いちきしまひめのみこと>・多紀理姫命<たぎりひめのみこと>)、神功皇后の三神です。

📗『ビジネスエリートのための 教養としての日本の神様』(著:深結(みゅう) 監修:西岡和彦/あさ出版)


 宇佐地方の御許山(おもとさん)信仰が原型とされていますが、神託を受けて宮司家となった渡来系氏族の辛嶋氏(からしまうじ)が大陸や半島の文化と仏教をもたらし、やはり神託を受けた宮司家で畿内(近畿)出身の大神氏(おおみわうじ)が応神天皇崇拝を持ち込んで融合し、7世紀までに八幡神となったとされています。

 地理的に大陸文化がいち早く入り、7世紀後半には関連寺院が設けられました。
8世紀初頭に現在の場所に建立されたころから境内に弥勒寺(みろくじ)という神宮寺があり、正式には「宇佐八幡宮弥勒寺」と号し、神前読経が行われるなど、神仏習合が最も進んだ神社でした。
 720年に南九州で起きた隼人の反乱では朝廷の軍は手を焼きましたが、八幡神の神輿が加わったのち勝利を収めました。
 その後、八幡神の託宣があり、多くの命を奪った罪を贖うために年に一度、生類を放つ仏教由来の「放生会(ほうじょうえ)」が宇佐八幡宮で行われるようになりました。八幡宮の最も重要な神事として各地の八幡宮で現在も受け継がれています。

◆神仏習合がさらに進む
 聖武天皇によって進められていた東大寺大仏造営事業では、神々を代表して奉仕するという八幡神の託宣があり、749(天平勝宝元)年に宇佐八幡宮の禰宜尼(ねぎに)が八幡神を奉じて入京したことで朝廷との関係が深まり、中央進出のきっかけとなりました。

 769(神護景雲3)年には、朝廷内で権力を握った僧・道鏡の皇位簒奪を八幡神の託宣が阻止しており、朝廷の守護神としての性格を強めています。

 8世紀後半になると八幡神は「菩薩」と自称する託宣を下しました。菩薩とは、仏になることができるにもかかわらず、迷いの中に生きる生類、「衆生(しゅじょう)」を救済するためにあえて仏にならずにいる存在とされています。

 781(天応元)年に八幡大菩薩の神号を朝廷から奉られると神仏習合がさらに進み、大和や京近隣の有力寺院の鎮守社として勧請されました。これ以降、菩薩を号する神が全国に多数現れるようになりました。

 860(貞観元)年には八幡神の託宣を受けた僧侶・行教(ぎょうきょう)によって山城国(現在の京都)に勧請されました。「石清水八幡宮護国寺」と称し、明治維新後に神仏分離が行われて破壊されるまで護国寺は本殿と一体でした。

 僧侶でありながら妻帯し、世襲する別当が全体を治めるという神仏習合らしい体制でした。こうした形態を「宮寺(みやでら)」といい、各地に広がっていきました。

◆武士の守護神
 宇佐よりも都に近い石清水八幡宮は朝廷との関係を深めて政治的な力を強めました。
各地に荘園を広げ、新たに神社を設けたり、もとからある神社を取り込んだりして荘園経営の拠点とし、八幡神を鎮守神として祀りました。

 応神天皇と同一視されている八幡神は天皇の祖神とされていましたが、臣籍降下(しんせきこうか)した皇族を祖とする源氏が氏神として崇め、源義家が石清水八幡宮で元服して八幡太郎を名乗り、さらに武神としての性格が前面に現れていきました。

 平安末期には鎌倉に鶴岡八幡宮が勧請され、武家の棟梁として鎌倉幕府を開いた源頼朝は境内を整備して熱心に参詣しました。全国の御家人たちも、自らの氏神とは別に、武神として所領に八幡神を祀りました。

 その後の幕府を開いた足利家、徳川家とも源氏を名乗っており、八幡神も武士の守護神であり続けて全国に広がったものとみられています。



※本稿は、『ビジネスエリートのための 教養としての日本の神様』(あさ出版)の一部を再編集したものです。
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「健康寿命」を延ばすのは「少食」と「皮下脂肪」だった.. 2025/02

2025-02-12 02:17:38 | なるほど  ふぅ〜ん

「健康寿命」を延ばすのは「少食」と「皮下脂肪」だった...スーパーエイジャーに学ぶ「長寿体質」
 Newsweekより ニール・バルジライ (アルバート・アインシュタイン医科大学教授)
joannawielgosz-pixabay

<重要なのは「寿命」ではなく、「健康寿命」...。長寿遺伝子発見者による、アンチエイジングの最前線から>
長寿遺伝子発見者による、最新研究と衝撃の提言書『SuperAgers スーパーエイジャー 老化は治療できる』(CCCメディアハウス)の第2章「なぜ老いるのか」より一部編集・抜粋。

 重要なのは寿命(ライフスパン)ではなく、健康寿命(ヘルススパン)...。


◇ ◇ ◇

 わたしが老化科学の研究を始めたころ、摂取カロリーを減らすと寿命が延びるという説が世界中の研究室で検証されていた。
 ふだん食べている量を減らすことを「カロリー制限」という。

 動物実験では、老化を遅くし、平均寿命や最高寿命、そして健康寿命を延ばすのに再現可能な効果がもっともあることがわかった。
何年ものあいだカロリー制限が遺伝科学の中心となってきたのは、それまで発見されたなかで、大幅に寿命を延ばし、加齢性疾患の発症を遅らせると信頼できる唯一の方法だったからだ。

 わたしたちは、さまざまなげっ歯類で容易に再現できる実験で、ラットの摂取カロリーを40%制限してみた。
 すると、カロリー制限されたラットは、自由裁量で好きなだけ餌を食べたラットよりも約40%長生きした。
この結果に世界中の研究室が色めきたち、カロリー制限で最高寿命が延びる理由を探りはじめた。

 わたしたちの発見をまとめると、カロリー制限は、げっ歯類の加齢性病変、がん、その他の加齢性疾患を減らし、ほとんどの生理的機能の速度を落とすことがわかった。
 つまり寿命だけでなく、健康寿命も延びるのである。さらにうれしいのは,人間にも同じような効果がたしかにあると考えられることだった。

 ただ、わたしは2型糖尿病の専門医なので、人々にとってカロリー制限がどんなに難しいかよく知っている。どの患者にも体重を減らすようにと指示するのだが、それができる人は3%以下だ。
 もしカロリー制限が人間にもラットと同じぐらい効くのなら、制限が効くメカニズムを特定し、それほどカロリーを減らさなくてもよい薬や治療法を開発する必要があるだろう。いわば疑似カロリー制限だ。

 大半の人はどんなにがんばっても、ふだんの食事量から毎食40%のカロリーを減らしつづけることはできないだろう。
 なんとかやっている人については、わたしはいつもこう言っている。「必ずとは言えませんが、たぶん長生きできると思いますよ」

⚫︎脂肪の秘密を解く
 わたしたちの研究では、たしかにカロリー制限が直接病気を減らし、寿命を延ばしているように見えた。
 でもわたしには、このように劇的な結果をもたらしているのがカロリー制限そのものだという確信がなかった。
 そこでまず、少食は老化そのものではなく肥満を防ぎ、肥満でなくなることで病気の発症を遅らせる防御機能が働いて、寿命が延びるのではないかと考えた。
 そして次のようなことを思いついた。
 外で暮らすラットは餌を探すため毎日何マイルも走るので、多くのカロリーを消費する。そのラットをケージに入れる。そこでは好きなだけ食べられるので、当然外にいたときよりたくさん食べ、しかも走りまわることができない。

 これはある意味、肥満とやせについての実験であり、体重維持のための食事とカロリー制限についての実験ではない。
 そろそろ脂肪を新しい観点から見る時がきたのだ。わたしたちはそのための研究を始めた。
 脂肪細胞は余分な脂肪を蓄えているにすぎないと思われていたが、脂肪すなわち脂肪組織が生体としての作用を持ち、ホルモンやペプチドを分泌していることをわたしたちは発見した。
 そのホルモンのひとつは「レプチン」と呼ばれ、満腹になったことを脳に伝えるものだ。
 何年もまえのことだが、レプチンは体重減少の治療薬になるだろうと多くの科学者が考えていた。
 ところが、たしかに脂肪細胞が多いほどレプチンも多いものの、脳の受容体はある時点を超えると反応するのをやめ、このホルモンの効果がなくなってしまう。
 満腹を伝える信号を受けとるかわりに、信号がブロックされ、まだ十分食べていないように感じるからだ。

 ラットなどによるレプチンの実験では、若い動物で生じた効果が、高齢の動物では生じなかった。
 カロリー制限は概ね老化を食いとめるが、高齢の動物はカロリー制限していてもレプチンに反応しない。

 このように高齢になるとレプチン耐性ができるので、レプチンはカロリー制限の疑似効果を持つ老化治療薬として使うことができないとわかった。
(略)
 カロリー制限は期待通りの効果を示し、そのグループは制限なしのグループより約40%長生きした。
 内臓脂肪を取り除いたグループはそれほど長くないが、対照群より約20%長生きした。

 このように、内臓脂肪を取り除くと、最高寿命がカロリー制限したラットの寿命に近づいた。
 つまり栄養そのもの、または栄養を与えた時間が老化の一因だが、内臓脂肪を取り除けば、長寿にめざましい効果があるということだ。
 人々にこの手術をするつもりはないが、同じ効果がある侵襲性の低い治療法や薬を開発できるかもしれない。
 ある企業が腹腔内の脂肪をとかす方法を開発中で、わたしたちも協力している。

 サルでは著しい代謝の向上が実証され、現在ヒトでの臨床試験を始めるところだ。
 なので、もうすぐ良い知らせをお伝えできるだろう。

 また、皮下脂肪についてもすばらしいニュースがある。皮膚の下に少量の脂肪があるのは良いことだとわかってきている。

 皮下脂肪はウイルスや細菌など、皮膚から侵入しようとする物質への防御バリアとして働くだけでなく、「善玉」ペプチドや、アディポネクチンのような脂肪ホルモンを分泌するからだ。
 これらはすでに述べたように、センテナリアン[編集部注:百寿者/100歳以上の人]の体内に多く見られる物質である。

(略)

 カロリー制限が健康寿命と寿命を延ばしているらしいとわかったので、それが成長ホルモン、性ホルモン、甲状腺ホルモンの値や、インスリン値、コルチゾール値にどのように影響するか、学界が関心を持つようになった。

結果として、動物モデルでカロリー制限時のホルモン値を維持しても、それだけで寿命の延びは見られなかった。

 これまでのところ、減少することで寿命に違いをもたらすとわかっている唯一のものは、成長ホルモンの減少だ(これについては本書『SuperAgers スーパーエイジャー 老化は治療できる』第4章で詳しく説明する)。

 ストレスホルモンのコルチゾールについては、40%の食事制限がストレスをもたらすので値が上がるが、コルチゾールを高齢の動物に投与すると、じつは寿命が短くなる。
 わたしの考えでは、ヒトにもっとも関係するカロリー制限の研究は、遺伝によってカロリー制限の効果がどう変わるかを示した研究だ。

 サンアントニオ出身の同僚ジム・ネルソンが、同僚たちとともにこの興味深い研究を行い、遺伝的にまったく違う2匹のマウスを交配させた。
 すると、マウスは41の遺伝的に異なる背景を持つオスとメスの子どもたちを産んだ。
 マウスたちは好きなだけ食べるか、カロリー制限されているかどちらかだが、意外にも、カロリー制限したマウスの約半数だけが、好きなだけ食べたマウスより長生きし、残りの半数は寿命が短かった。

 これは遺伝的背景が重要であり、カロリー制限が例外なく効くわけではないことを意味している。
 ヒトの場合も、カロリー制限が長寿につながるかどうかは遺伝的背景による。また、制限すべきカロリー量もDNAによって違うかもしれない。

 この研究の欠点のひとつは、カロリー制限を40%よりゆるくしていたら、長寿のマウスがもっと見られたかもしれないということだ。
 もしカロリーを20%減にしていたら、カロリー制限されたマウスの半数よりかなり多くが、好きなだけ食べたマウスより長生きしていたと思う。



▶︎ニール・バルジライ (Nir Barzilai)
1955年生まれ。アルバート・アインシュタイン医科大学教授。同大学老化研究所設立者。ポール・F・グレン老化生物学研究センター、およびアメリカ国立衛生研究所(NIH)ネイサン・ショック・センター加齢基礎生物学部門のディレクターも務めている。専門は内分泌学。100歳を超える長寿家系を調べ、ヒトの長寿遺伝子を世界で初めて発見した。長寿研究の世界的権威として、全米老年問題研究連盟(AFAR)「アーヴィング・S・ライト賞」など数々の賞を受賞している。本書が初の一般書となる。
 『SuperAgers スーパーエイジャー 老化は治療できる』
  ニール・バルジライ/トニ・ロビーノ[著]
  牛原 眞弓[訳]
  CCCメディアハウス[刊]

ニール・バルジライ (アルバート・アインシュタイン医科大学教授)
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和田秀樹「60歳からでも脳はどんどん発達する」 2024/12

2024-12-30 11:30:02 | なるほど  ふぅ〜ん

和田秀樹「60歳からでも脳はどんどん発達する」
  東洋経済Online より 241230  和田 秀樹:精神科医


 高齢者専門の精神科医である和田秀樹さんの著書📗『脳と心が一瞬で整うシンプル習慣 60歳から頭はどんどんよくなる!』。
 本書の中で和田さんは、人はいくつになっても脳の働きを活性化させ、賢くなり続けられるのだと語っています。一部抜粋・再構成してお届けします。

⚫︎高齢になってから人生のピークを迎えた人たち
 60歳というと、ひと昔前には定年退職の年齢として設定されていたこともあり、「第一線を退く年齢」というイメージを持つ方もいるかもしれません。

 けれど実際には、シニア世代の方は多くの可能性を秘めていますし、仮に過去に華やかな学歴や肩書などを得ていなかったとしても、70代、80代、時には90代になってから華々しい活躍をしたり、世の中に大きな影響を与えたりした方は大勢います。

 大切なのは、「明日は今日の自分を超えていこう」という思いで前進し続けること。
そういう人は「頭をよくしよう」と決意すれば、何歳であってもどんどん知力を増していくことができますし、限界突破していくことだってできるでしょう。

 ここで、年齢を重ねてから人生のピークを迎えた方の例をいくつかお話ししましょう。

 2024年4月に、日本航空(JAL)初の女性社長として就任された鳥取三津子さんは、もともとは客室乗務員として同社に入社した方でした。女性社長だけでなく、CA出身の方の社長就任も、同社にとって初めてのこととなります。

 鳥取さんは長崎県の活水女子短期大学英文科の出身。2024年現在、彼女は59歳。社会人になってからの約40年の間にずっとご自身を磨き続け、経営者としての哲学とスキルを身につけてきたのでしょう。

⚫︎歴史上の人物の多くが遅咲き
 歴史上の偉人で言うと、たとえば初めて日本地図の作成に乗り出した伊能忠敬(1745年~1818年)も、遅咲きの人物として有名です。
「人生50年」と言われていた時代、忠敬は50歳という高齢で天文学者に弟子入りし、測量・天文観測を本格的に学び始めました。その後、56歳から測量の旅に出て、71歳になるまで17年かけて日本全国を測量したのです。
 そして73歳の没後、彼の遺志を継いだ弟子たちが『大日本沿海輿地全図』を完成させています。

 弱まった足腰で日本中を歩き回ることにどれだけの労を要するかは、決して想像に難くはないでしょう。年齢を言い訳にしなかった忠敬のバイタリティが今の地図の礎を築いたのだと考えると、感じ入るものがあるのではないでしょうか。

 人生にはいくらでも形勢逆転のきっかけが転がっています。ですから、「もうこんな歳だから」とか「学歴や肩書がないから」「取り立てて秀でたものがないから」などと言って自分の限界を決めてしまうのは、とてももったいないことだと思います。

 積み重ねてきた年齢と人生経験を武器に、花開くときを信じてください。
諦めさえしなければ、人は何歳からだって発展し続けられるし、一生頭をよくし続けられるのです。

⚫︎若い時より脳の働きをよくするのは十分可能なこと
 意外かもしれませんが、脳はいくつになっても鍛えることができます。
これまで、脳は年齢とともに衰えていくものだから仕方ない、と諦めていた方も多いことでしょう。

 実際に専門家たちの間でも、20世紀まではそのように思われていました。
脳の神経細胞は成人になってからは減る一方で、その後、増えることはないと思われていたのです。
必然的に、大人になれば記憶力も衰えるものと思われるようになりました。
 ところが2000年、ロンドン大学の認知神経学の研究者、エレノア・マグワイアー博士がこの常識を覆し、「脳の神経細胞は、大人になっても増えることがある」と報告したのです。
 ことの発端は、マグワイアー博士が、ロンドン市中を走行するタクシー運転手たちの優れた記憶力に興味をもったことでした。
 ベテラン運転手たちは、ロンドンの複雑な路地や裏道を詳細に記憶し、そのうえで、時間帯によって変わる道路の混み具合なども加味しながら、毎回、最適なルートを導き出しています。
 その驚異的な記憶力に関心を抱いた博士が、タクシー運転手と一般の人たちとの脳の比較研究をした結果、運転手たちの脳の「海馬(記憶を司る部位)」が、一般の人たちより大きく発達していることを発見したのです。

 特に長年従事している運転手ほどその度合いは大きく、運転手歴30年を超えるベテランは、海馬の体積が実に3%も増えていました。

⚫︎脳は訓練次第で何歳からでも発達する
 ベテラン運転手の脳内には、緻密な道路地図が見事にインプットされています。彼は毎日、乗客から目的地を告げられるたびに、その詳細な地図を思い浮かべながらベストな行き方を想定します。
 そのような、「情報を記憶し、それを引き出す」という作業を長年にわたって積み重ねてきた結果、彼の海馬の神経細胞は増え、大きく発達していたというわけです。

 このように、脳は訓練次第で何歳からでも発達しますし、このベテラン運転手の例のように、若い頃より記憶の容量を増やしたり、働きをよくしたりすることだって十分に可能なのです。
 筋力と同じように、記憶力も思考力も、使わなければ当然衰えていきます。
だからこそ、「もう歳だから」とマイナスな自己暗示をかけて諦めるのではなく、「まだまだこれから」と前向きな気持ちで脳を鍛えていくことが大切です。
 そうすれば自ずと結果はついてきますし、理想を持つことで毎日に張りも生まれてくるでしょう。
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仏教はなぜここまで日本で受け入れられたのか…私たちの根源に埋め込まれた「空」というメッセージ 2024/12

2024-12-27 01:59:39 | なるほど  ふぅ〜ん

仏教はなぜここまで日本で受け入れられたのか…私たちの根源に埋め込まれた「空」というメッセージ
現代ビジネス より 241227  藤田 正勝


【画像】日本でもっとも有名な哲学者がたどり着いた「圧巻の視点」

 明治維新以降、日本の哲学者たちは悩み続けてきた。「言葉」や「身体」、「自然」、「社会・国家」とは何かを考え続けてきた。
 そんな先人たちの知的格闘の延長線上に、今日の私たちは立っている。『日本哲学入門』では、日本人が何を考えてきたのか、その本質を紹介している。
※本記事は藤田正勝『日本哲学入門』から抜粋、編集したものです。

⚫︎「空」とは何か
「空」という概念をめぐって、西谷啓治が「空と即」(『講座仏教思想』第五巻、一九八二年)という論文のなかで興味深いことを記している。
 西谷によれば、「空」の概念はインドで──たとえば先ほど見た「色即是空」の場合のように──すべての事物がそれ自体として存在しているのではないということを言い表す理論上の概念として成立したが、それが日本に伝えられたとき、純粋に理論的な概念としてではなく、むしろ感情や情緒と結びつく仕方で受け入れられた。
 その背景には、そもそも日本では「死」というものが、「はかない」とか「むなしい」といった感情と深く結びついたものとしてとらえられていたことがあったと考えられる。

 もちろん人間の有限性、あるいはすべてのものが移ろいゆくということは、日本でも、インドでも、あるいはヨーロッパでも同じであって、日本においてだけとくに人間の有限性ということが言われるわけではない。
無常感、そしてそれを基礎とした無常観という世界観は、どこにも共通して見られる。
 たとえば、よく引用されることばであるが、『旧約聖書』の「伝道の書」には、「空の空、すべては空なり」ということばがある。
しかし西谷は──これは別の論文「芭蕉について」においてであるが──東洋と西洋とでは、無常というものが感じられる地盤は同じではないと言う。西洋においては、すべてが移ろうと言われる場合にも、その根底に、何らかの意味で移ろわぬもの、永遠なものが考えられているというのである。
 たとえばイデアというような考え方もそうであるし、キリスト教の神もそうである。西洋の無常というのは、そういう永遠なものに支えられた、あるいはそれに基礎づけられた無常である。
 それに対して東洋の場合には、そういう移ろいゆくものの背後に永遠なるものが見られず、そのために、その無常感、あるいは心の「むなしさ」といったものがどこまでも深くなっていくところがあると西谷は述べている。

 私たちはたとえば自然の諸事物を見たり、聞いたりする場合でも、それを単なる知の対象としてではなく、むしろ情意の対象として、つまり気分的なものと結びついたものとして受けとっている。
晴れ渡った青空を見れば、さわやかさを感じ、心も晴れ晴れとするし、無邪気にほほえむ赤ちゃんの顔を見れば、見ているこちらの心もおのずから和んでくる。知るということと、気分、感情、情緒というのは深く結びついているのである。

⚫︎西洋と東洋の違い
 一般的にそのように言えるが、仏教の「空」という概念が日本に受け入れられたときにも、──蓮如の『御文章』の「はかない」とか、「あわれ」という表現に端的に見られるように──単なる理論的な概念としてではなく、情緒と深く結びつくような仕方で受けとられた。そのように情意のレベルで受けとられた「空」を西谷は「情意における空」ということばで言い表している。

 もちろん、「空」という概念は中国においてもすでに情意的なものと結びついて受けとられたということも言える。空、つまりシューニヤ(śūnya)というインドで成立した概念が「空」という中国語に移されたとき、純粋に理論の上でというよりも、「空」ないし「虚空」のもともとの意味である「目に見えるそら」と結びつく形で受容されたと西谷は指摘している。
目に見えない永遠無限なものであるシューニヤが、人間にとって目で見ることのできる唯一の永遠なるものである「そら」と結びつけて受容されたのである。概念の受容の歴史という観点から見たときたいへん面白い点である。
異なった文化のなかの新しい概念に接したとき、それをどのように受容するかというのは、つねに大きな困難を伴う作業であるが、中国の人たちは、目に見えない無限である「空」を理解するために、目に見える無限を手がかりとしたのである。

「空」ということばは中国でも、いっさいは空であると観取することから生じる特有の「気分」をも言い表すことばとして使われた。
しかし日本ではより強く「はかなさ」や「むなしさ」、そういった気分と結びついたものとして「空」の概念が受け入れられていった。
 西谷はそうした例の一つとして、次の西行の歌を挙げている。「風に靡くふじの煙の空に消えて行方もしらぬわが思ひかな」という歌である。ここでは自分の思いのはかなさ、あるいは自分の存在の虚しさが、空に消えていく煙のはかなさと、それを消していく空の虚ろさに重ねあわされている。その背後には、もちろん仏教の「空」の思想がある。それがここでは空に消えていく煙のはかなさと、そして自らの存在の不確かさと重ねあわされている。

そのように「空」が受けとめられたということは、本来なかったものがそこに付け加えられたということでもあるが、しかしそれによって教理がゆがめられたとは単純には言えないであろう。
 仏教の理論がこのように気分的なもの、情緒的なものと深く結びつく仕方で受けとめられたために、日本では仏教が人々のあいだに受け入れられ、深く浸透していったということも言える。そうでなかったら、仏教は日本でこれほど深く根を下ろすことはできなかったかもしれない。

 さらに連載記事〈日本でもっとも有名な哲学者はどんな答えに辿りついたのか…私たちの価値観を揺るがす「圧巻の視点」〉では、日本哲学のことをより深く知るための重要ポイントを紹介しています。
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「日本は壮大な実験場になる」…人工知能研究の第一人者に聞く「AIにはできない」こと 2024/12

2024-12-27 01:55:00 | なるほど  ふぅ〜ん

「日本は壮大な実験場になる」…人工知能研究の第一人者に聞く「AIにはできない」こと
FRIDAYデジタル  より 241227 


「裁判官は人ではなく、AIでもいいかもしれません」
社内にどんどんAIが導入され、事務作業が効率化されている。

 今年、ノーベル化学賞を受賞したデミス・ハサビス氏はAIを活用して、たんぱく質の構造を予測したり、人工たんぱく質を設計する技術を開発した。
 彼は、これまで1年かかっていた創薬のために必要なデータ処理を、数分で終わらせたという。
「AIを使うことで、社会は飛躍的に進歩するでしょう。今後、行政機関や会社でどんどん導入されていくと思います」
 こう語るのは、慶應義塾大学理工学部の栗原聡教授だ。栗原教授は、『AIにはできない 人工知能研究者が正しく伝える限界と可能性』の著者であり、現在、人工知能学会・会長も務めている。
「なぜ行政機関や会社が導入するかというと、今まで人間がやっていた仕事をAIに置き換えることで人件費が浮くからです」

一時期は、AIの登場でブルーカラーの仕事が奪われるのではないかといわれていた。
しかし、今や仕事を奪われるのはホワイトカラーだ。

「ChatGPTには、古今東西のあらゆる書物、文献、データが詰まっている。過去の判例をもとに判決を下すだけだったら、裁判官は人ではなく、AIでもいいかもしれません」

 栗原教授によれば、AIの発達によって、格差も生まれるという。
AIを使えば面倒な作業も短時間で終わるし、ChatGPTを使えば、なんでも答えてくれる。この便利さにあぐらをかいて、自分では考えなくなる人が増えていくだろうというのだ。

「ChatGPTに問いかけるということは、数千万人、数億人に問いかけるのと同じです。
ブレーンストーミングをしても、その場にいるのは、たかだか5~6人。
それがChatGPTに聞けば、数億人に聞いた答えが数秒で返ってくる」と栗原聡教授

⚫︎「発明」「発見」ができるのは人間だけ……“人間力”とは?
 落ちこぼれないためには、どんな技術を身につけたらいいのだろうか。
「少し前まではプログラムが作れるなど、IT系の技術が必要だったかもしれません。基本的なデジタル操作能力は最低限必要とされますが、さらにAIにどのようなことをさせるか、どういうものを作りたいかということが大事です。

 今のAIは、聞いたことに答えてくれますが、発見、発明はまだ人間にしかできません」
これからの人間に必要なのは、発明や発見をするための豊かな想像力や発想力。
これは、どんな仕事につこうとも関係ないという。

発明、発見の大きな手助けとなるのが、ChatGPT。
「ChatGPTに問いかけるということは、数千万人、数億人に問いかけるのと同じです。当然、自分以上に知識を持っている人もいるし、自分と感性が違う人がいる。自分が気づかなかった答えが返ってくるのは当たり前です」

AIがなかったときは、人に相談していた。その相談をしているのと変わりはないという。

「ブレーンストーミングをしても、その場にいるのは、たかだか5~6人。それがChatGPTに聞けば、数億人に聞いた答えが数秒で返ってくる。どれだけ自分の手助けになるかといったら、これまでと月とスッポンどころじゃない。それがAIなんです」

AIを活用することによって、今まで以上にイノベーションは起こりやすくなるだろうと、栗原教授は言う。

ChatGPTはブレーンストーミングの「メンバーの一人」として考える
「でも実はChatGPTを使いこなすのは、とても難しいのです」

 ChatGPTは聞いたことには答えてくれるが、聞いたことにしか答えてくれない。答えをもらうためには質問をしなくてはならないが、質問の仕方が悪いと想定外の答えは出てこないのだ。

「想定外の答えを得ようとすると、質問の仕方を相当工夫しなければなりません。とんでもない知識が入っているけれど、自分が思ってもいない答えを引き出すのが難しい。たぶん僕も、本来の能力のほんの少ししか使いこなせていないと思います」

多様な質問をするためには、いろいろな見方ができる能力、人が言っていることを理解する能力、発想力などの“人間力”が必要になってくるとか。

「もう一つ大事なことは、ChatGPTは1対1で使わないことです。1対1で使うと、自分の能力、発想力以上のものは出てこないから。ブレーンストーミングのメンバーの一人として使うといいと思います」
「大事なことは、ChatGPTは1対1で使わないことです。1対1で使うと、自分の能力、発想力以上のものは出てこないから」と栗原教授は言う

⚫︎脳を鍛えてこそAIが使いこなせる
 “人間力”を養うためには、子どものころに体を使って遊び、さまざまなものに触れて、脳を鍛えることだとか。

 オーストラリアでは16歳未満の子どもがソーシャルメディアにアクセスできないよう規制する仕組みが導入されたが、
「まことに正しい。インターネットはビジネスや仕事で使うと効果がありますが、ほかではあえて使う必要はありません。脳を鍛えなくてはいけないときにインターネットやAIにべったり頼ってしまっては意味がない。脳を鍛えてこそAIが使いこなせるようになるのですから」

脳を鍛える時期が過ぎてしまった私たちは、どうしたらいいのだろう。
「たとえば本を読むことです。それもビジネス書ではない、文芸書。ものを理解する、考える、発想するためには小説や哲学書などを読んだほうがいい。感情をゆさぶられるということは、脳が刺激されたということ。

 読むだけでなく、頭に入って、自分の経験と照らし合わせて感想を言えるかどうか。AIは自分のレベルでしか使いこなせないので、自分を高めなくてはいけない」

⚫︎日本は壮大な実験場になる
 デジタル後進国といわれている日本。これから巻き返すことはあるのか。
「現在のAIは道具です。自分で判断して動くことはできない。けれど、これからは自分で判断して動く自律型AIが必ず登場する。
 それを受け入れる土壌があるのが日本だと思います」
鉄腕アトムやドラえもんのようなAIロボットが登場するのは、それほど遠い未来ではないという。ところが、欧州連合を中心に、このようなAIロボットを規制する動きが強まっている。
「キリスト教圏では神の下に人間、すべてのテクノロジーは人間を助ける道具であって、ロボットはあくまで道具。だから、能動的に動作するタイプのAIには抵抗感があるんです。

 対して日本では、昔から鉄腕アトムやドラえもんなどAIロボットを友達としてみている文化がある。ゆるキャラなど人間でないものとも共存している。このような文化は日本独特です」

AIロボットを受け入れる土壌が日本にはあると栗原教授は言う。
「日本は、自律型AIロボットを使いこなすための壮大な実験の場になるでしょう。そのとき必要なのは、AIを操作するデジタル能力ではなくて、ドラえもんと何をするかということ。脳を鍛えておかなければいけません」

自律型AIが登場したら、人間は何をすればいいのか。
「面倒くさい仕事は全部AIにやってもらえるのだから、よりハッピーに、より快適になります。人間は自分がやりたいことをやればいいだけ。

 ローマ時代、ローマ人はやりたくないことは全部奴隷にやってもらった。
その結果、さまざまな哲学や芸術が花開きました。将来、そうなる可能性もあるのです」



📗『AIにはできない 人工知能研究者が正しく伝える限界と可能性』栗原 聡著(KADOKAWA)。人工知能の専門家が、現在のAIの“限界”と、その先にある「次世代AIの可能性」を論じた一冊
▶︎栗原聡 慶応義塾大学理工学部教授。人工知能学会会長。慶応義塾大学共生知能創発社会研究センター・センター長。慶応義塾大学AIC生成ラボ・ラボ長。人と共生できるAIの実現を目指し、自律型認知アーキテクチャの構築に取り組む。またネットワーク科学では、複雑な社会現象や生命現象をネットワークの観点から解析し、新たな知見や応用を探求している。

取材・文:中川いづみ
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