goo何気無い日々が心地よい安寧

何気無い日々が続く様に。生きていく事の大変さがカナン。ある種空気の様な存在になりたいもの。

🚶‍♂️2023年6月 歩きまとめ 👣

2023-06-30 23:59:00 | 🚶纏_歩き総括

 今月も,日毎も昼夜も寒暖差大きく(冬物は収納済)… 18〜33℃
 雨、曇り、晴れの天候差も加わり、遂に体調不良で腹下す(数年ぶり)
 季節変動感,梅雨と夏日が行ったり来たり感で疲れ感じる
  天気予報のズレ幅大! 月遅れ散髪す

 各地の人出が戻る,益々外人増で逆に遠出しにくく…
今年初のアルコール🍷ワイン美味


              (千歩)
29:👫〜京セラ美術館…平安神宮 10
24:🚶🎓種智院大、🍻Pmic同窓会 13
22:🚶‍♂️…観月橋…桃山御陵  11
19:🚶‍♂️〜稲荷…高島屋👫…マルゼン📚 15
16:👫…植物園…コンサートホール🎶 15
13:🚶 駐屯地&京大ぐるっと 13
12:👫 ペットショップ 11
11:🚶 向島農地東泉寺町 13
9:👫…三室戸寺💐 10 /3kg
7:🚶 向島農地 12
5:👫…県祭  12
3:🚶 七回忌 13
2:🚶‍♂️…天ヶ瀬ダム上部 12
               

累計 2152735歩+(2kg)
 6月 358088歩+(2kg)
 5月 363726歩+(2kg)
 4月 357271歩+(2kg)
 3月 366228歩+(2kg主)
 2月 345147歩+(3kg主)
 1月 362275歩+(3kg主)

🚶‍♀️34万歩越:2019/05〜51ヶ月連続🎉
  今月は35.8万歩越!
🚶‍♀️2020/2/8〜日1万歩越継続中,末:1229日 
 今月も日1万歩越は継続:安寧平穏な日々が更に続く様に節に願う!
🚶‍♂️2019/10/21〜日9千歩越継続中:末:1349日

🏆年累計440万歩越(4年連続:2019~22)
🏆35万歩越:2019/06~22/01=35ケ月連続:済 































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🚶…左岸堤防道47km碑↩️…Alp 230630

2023-06-30 20:23:00 | 🚶 歩く
🚶…右岸河川敷…隠元橋…左岸堤防道47km碑↩️…隠元橋…右岸堤防道…Alp…右岸堤防道…>
🚙👫〜H六原&幸栄堂&精肉;道〜宇治橋〜🏪7-11〜万代〜宇治川高架橋〜Alp〜>
🚶11402歩2kg10F

☁️時折ポツリで風強く心地よく吹く;終日雨予報だったがポツリ有りで済む梅雨空。隠元橋29℃,宇治川高架橋28℃。

夏越でミナヅキ食す。



曇天の桃山丘陵






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👫〜三条…京セラ美術館…平安神宮… 230629

2023-06-29 20:41:00 | 📖 日記
👫〜三条…三条通…仁王門通…神宮通…京セラ美術館:新工芸展:Ge展…平安神宮:茅の輪くぐり🙏📕…神宮通…三条通…三条地下街:🍞:カプセルトイ🦜,三条〜🚉…右岸堤防道…>
🚶10276歩2kg10F

🌤️:薄曇り:降る予報で降りそうで降らず。風吹けば心地よく,梅雨空。
新工芸:妻友人出展を👀,挨拶,安定の作風


ここ冷え:思いの外,冷え感無し。





美術館屋上より

同上

ベラン美術館庭園

平安神宮の茅の輪

同上の🎐



 
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「日本」は「一神教の国」でも「多神教の国」でもない… 202306

2023-06-29 09:42:00 | なるほど  ふぅ〜ん

「日本」は「一神教の国」でも「多神教の国」でもない…あまりに不思議な「その実態」
  現代ビジネス より 230629  松岡 正剛


 日本文化はハイコンテキストで、一見、分かりにくいと見える文脈や表現にこそ真骨頂がある。「わび・さび」「数寄」「まねび」……、この国の「深い魅力」を解読する!

*本記事は松岡 正剛『日本文化の核心 📗「ジャパン・スタイル」を読み解く』(講談社現代新書)の内容を抜粋・再編集したものです。

⚫︎多神多仏の国
 日本は一神教の国でもなく多神教の国でもなく「多神多仏の国」です。神国でもなく、仏国土でもありません。そのように主張した人々はいましたが、その思いや狙いはべつとして、結果として多神多仏なのです。

 その「結果として」は、けっこう昔からのことでした。八世紀や九世紀に神宮寺ができて、神前読経が始まったころから(神の前で仏教の経典を読んでいたのです)、多神多仏なのです。八百万の神々がいるだけではなく、そこに仏教、道教、民間信仰のイコン(聖像)たちがまじりあってきた。石ころも鰯のアタマもまじってきた。

 そのせいか、「日本人の宗教観はよくわからない」「はっきりしない、どうもあいまいだ」とはよく言われてきたことでした。たしかに一人ひとりの宗教観はわかりにくいし、家の宗教(宗旨)もはっきりしない。神道なのか仏教なのかと聞いても「ま、両方ですかね」などという答えです。

 しかし、こんなふうになっているから「多神多仏の国」だというのではありません。もとより多神多仏なのです。

 多くの日本人は結婚式では神主さんの前で三三九度の杯をかわし、葬式ではお坊さんを呼んでお経を誦んでもらって、仏式になります。神棚と仏壇が両方ある家も少なくはない。また仏壇がなくとも、たいていの家にはお数珠は用意されている。

 年末年始になると、きっとあまり意識せずにそうしているのでしょうが、日本人は大胆な行動に出ます。クリスマスをやって商店街のジングルベルを何十回も浴び、年の瀬には煤払いをしてお節を用意し、門松を飾って、除夜の鐘を聞き、正月には初詣で神社やお寺に行くのです。
 その初詣の人口は平成年間平均で八〇〇〇万人を超えています。統計データでは平成二〇年(二〇〇八)が九八一八万人の最高記録になっている。
 ちなみに平成二〇年の全国初詣トップテンは、
(1)明治神宮(東京)、(2)成田山新勝寺(千葉)、(3)川崎大師平間寺(神奈川)、(4)伏見稲荷大社(京都)、(5)鶴岡八幡宮(神奈川)、(6)熱田神宮(愛知)、(7)住吉大社(大阪),(8)浅草寺(東京),(9)武蔵一宮氷川神社(埼玉),(10)太宰府天満宮(福岡)、というふうになっています。

 けれども残念ながら、それらの神社仏閣の御祭神や本尊について言える人は少ないはずです。熱田神宮は?氷川神社は?そういうことには無頓着なのです。信心深いのか、テキトーなのか、どうにも一貫していない。

⚫︎寛容?信仰心がない?
 もうすこし話をつづけると、日本各地にはお地蔵さんがいて、観音巡礼の札所が津々浦々にあって、鎮守の森にはたいてい八幡さまが朱色の鳥居をかまえています。多くの日本人がそのいずれにもそれなりの敬意を払い、お賽銭も上げ、手も合わせます。

 けれども地蔵信仰のことも観音信仰のことも、八幡さまのこともあまり知ったことじゃない。地蔵は仏教的には地蔵菩薩で、観音さまは観音菩薩のことです。だからこれらはインド由来の菩薩信仰のヴァージョンなのですが、日本人は自分たちが菩薩信仰をしているなどという意識はもちません。
 八幡さまは必ず八幡神を祀っているのですが、それが鎌倉時代以降に奉られた武神であって、誉田別命すなわち応神天皇と同一視されてきたことなど、やっぱり知ったことじゃないのです。

 お稲荷さんや七福神をありがたがってもいる。けれどもその由来も気にしない。念のためいうと、お稲荷さんは稲荷神社のことですが、その御神体はウカノミタマ(宇迦之御魂神)と稲を担いだ神さま(稲荷神)とキツネが習合したものです。インド仏教の夜叉(やしゃ=ヤクシャ)に属する荼吉尼天(ダキニ天)との関係もわかっています。
 でもそのお稲荷さんは日本では商売繁盛にしっかりむすびついていて、会社の敷地に小さな稲荷社を置いているところもあるほどです。

 一方の七福神は「恵比寿・大黒天・福禄寿・毘沙門天・布袋・寿老人・弁財天」ですけれど、これらはインドの神や禅僧や日本の海神など、ごちゃまぜです。恵比寿は日本古来の漁業の神、大黒天はヒンドゥー教のシヴァ神の異名、福禄寿は道教の神さま、毘沙門天は仏教の四天王の一人……。
 それでも多くの日本人は、この七福神がたのしそうに宝船に乗ると、これをおもしろがり、町の七福神めぐりもする。おそらく中国の福神思想が長崎あたりに流れてきて、近世に七福神化したのだろうと思います。

 これらはまさに多神多仏の現象です。ではいったい、なぜこんなふうになったのか。何かがもともとでたらめだったのか、あるいは寛容なのか。実は無宗教なのか、信仰心がないのか。それとも日本人は宗教に関して考えることが苦手なのか。

⚫︎日本の信仰はシンクレティズム
 歴史をふりかえれば、日本人が無宗教であったとか、信仰心がなかったとはとうてい言えません。聖徳太子の「唯仏是真」宣言や東大寺の大仏開眼このかた、日本人は仏教や仏像を愛し、読経に親しみ、その一方で伊勢や出雲や各地の鎮守の八幡さんをはじめとする神祇神道にも親しみ、さらには数々の民間信仰にも関心を寄せてきたのです。つまりもともと神仏習合的だったのです。

 中世には熊野信仰が流行しました。近世には富士信仰が流行しました。こういったことはずうっと続いているのです。だから日本人が無宗教だとか無信仰だとかとは、とうてい言えません。それなのにあいまいで、自分自身の宗教性は語らない。信仰力を大事なものと見ない傾向がある。どうしてなのでしょうか。

 阿満利麿は話題になった📗『日本人はなぜ無宗教なのか』(ちくま新書)という本のなかで、日本人は「創唱宗教」にもとづく信仰には全般的に無関心なのであって、それをもって必ずしも信仰心がないとは言えないだろうと書きました。
 創唱宗教というのは教祖・教義・教団がはっきりしている宗教のことです。そういう創唱宗教を各自がもっているわけではないが、みんながそれぞれ勝手な信仰心をそれなりに発揮してきたというのです。

 つまり日本人は宗教を拒否しているわけでも、否定しているわけでもなく、そのつど「信仰の向き」を選択しているのではないかというのです。
 欧米の宗教学者たちは、こうした日本人の信仰は「シンクレティズム」(混淆的信仰観)だと言います。まあ、当たらずとも遠からずです。
 ただし、日本のシンクレティズムは宗教だけにはかぎりません。いろいろな場面で混淆的です。リミックスが得意なのです。このことはまた話します。

 ともかくも、たしかに親鸞や座禅や初詣が好きなのは、その依ってきたる浄土真宗の教義や禅の清規や初詣をした神社の御祭神のせいではなくて、おそらくはたんに「ありがたい気分」がするだけからかもしれません。
 その一方で、たくさんの人々が伝統宗教や八十八ヵ所巡りや新宗教にかかわって、今日も仏前にロウソクを灯し、神棚の水をとりかえているのも事実なのです。

 というようなことで、私たち日本人にとって神道と仏教は実はわかるようでいて、なかなかわからないものの代表のようです。それでも、日本の神と仏はずうっと習合しようとしつづけた、と言うべきです。
 神と仏を分離しようとしたのは、明治政府が神仏分離令を発布して行われた廃仏毀釈のときだけです。この痛手はのちに影響をのこしたものの、大きくは今日にいたるまであいかわらず神仏習合が主流になってきたのです。
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🚶…駐屯地&京大外周ぐるっと…Alp 230628

2023-06-28 23:34:00 | 🚶 歩く
🚶…右岸河川敷…隠元橋⇅…宇治駐屯地北西端…同:北側外周沿…同:東側外周沿&京大外周東側沿…京大外周&駐屯地外周南側沿…駐屯地南西端…右岸堤防道…Alp📚🍖🫘🍔☔️…右岸堤防道…>
🚶12490歩2kg

⛅️☔️隠元橋31℃:風吹けば心地よい
Alp出たら夕立。

 今日も暑いです。午前中で31℃越え,夕立でチョイ気温は下がる。

京大外周の雑草は除草で歩き易く,田植え終り水田にはトンボ(3種)が目立つ。

マック🍔お好み焼きソース味エッグバーガー美味

曇天で時折切れ間に🌔朧月
 夕立,夜にも大雨の荒れ天気,気温が下がる。



右岸土手,スッキリ除草修了。



京大外周南側

同上





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