文化勲章に「ちばてつや」が選ばれた納得理由
東洋経済Online より 241031 南 信長:マンガ解説者
漫画家・ちばてつや氏は85歳の今も「ビッグコミック」(小学館)で『ひねもすのたり日記』を連載する現役漫画家だ(筆者撮影)
先頃発表された2024年度の文化勲章受章者の中に、漫画家・ちばてつや氏の名前があった。漫画家では初の受章とのことで、一人のマンガ好きとして喜ばしい。〈戦後漫画史の金字塔として語り継がれる「あしたのジョー」をはじめ数々の優秀な作品を発表し、漫画家の育成にも力を尽くすなど芸術文化の発展に大きく貢献した〉というとおり、ちば氏がマンガ界に残したものは極めて大きい。
⚫︎85歳の今も「ビッグコミック」で連載
85歳の今も「ビッグコミック」(小学館)で『ひねもすのたり日記』を連載する現役漫画家だ。とはいえ、ある年齢以下の人にとっては、あまりなじみがないかもしれない。
『あしたのジョー』(原作:高森朝雄)は1968年から1973年にかけての連載だし、1998年に『のたり松太郎 駒田中奮闘編』の連載を終えて以降、短編がメインでストーリーものの連載からは遠ざかっている。
「ちばてつや」という名前や『あしたのジョー』のタイトルは知っていても、作品自体は読んだことがないという人もいるだろう。
しかし、それなりのマンガ好きであれば、いろんな作品の中で登場人物が「まっ白に燃えつきた」シーンを一度は目にしたことがあるはずだ。
たとえば、秋本治『こちら葛飾区亀有公園前派出所』116巻収録の「祝い隊・出動!!の巻」の扉絵では、三社祭でエネルギーを使い果たした両さんがまっ白に燃えつきて道端でビールケースに座っている。
秋本治『こちら葛飾区亀有公園前派出所』(集英社)ジャンプ・コミックス116巻p145より
【画像】まだまだある「真っ白に燃えつきる」シーン
高橋留美子『1ポンドの福音』では、修道院の可憐なシスターをめぐって主人公の大食いボクサーと恋敵になるイタリア料理店のシェフ(実は料理が苦手)が、連日の料理特訓を経てパーティ料理に挑んだあげく、まっ白に燃えつきる。
高橋留美子『1ポンドの福音』(小学館)ヤングサンデーコミックス4巻p49より
⚫︎マンガ史上最も数多く引用されたシーン
これらは言うまでもなく、『あしたのジョー』で無敵の世界王者相手の試合で完全燃焼した主人公・矢吹丈が、リング上で「まっ白に燃えつきる」ラストシーンを元ネタにしたパロディ(もしくはオマージュ)だ。あのラストシーンがマンガ史上に残る名場面であることは論をまたない。と同時に、マンガ史上最も数多くパロディ&オマージュとして引用されたシーンであることも、おそらく間違いない。
原作:高森朝雄・漫画:ちばてつや『あしたのジョー』(講談社)KC20巻p260より
朝日新聞夕刊連載の4コマ、しりあがり寿『地球防衛家のヒトビト』では、2010年4月5~7日の3回連続で、新入社員が厳しかった就職戦線を思い起こして燃えつきてしまう。
2019年にドラマ化された丹羽庭『トクサツガガガ』では、ジオラマ作品の個性について苦悩するモデラーが主人公の何げない一言でまっ白な灰になった。
丹羽庭『トクサツガガガ』(小学館)ビッグスピリッツコミックス14巻p121より
ほかにも、作:大場つぐみ・画:小畑健『バクマン。』、しげの秀一『頭文字D』、のりつけ雅春『マイホームアフロ田中』、とよ田みのる『これ描いて死ね』など、同様のシーンが登場する事例は枚挙にいとまがない。
筆者が現時点で把握しているだけでも60近くの作品で、いろんなキャラがまっ白に燃えつきている。
つまり、それだけ多くの漫画家が、あのシーンを「誰もが知るマンガの基礎教養」として頭の引き出しに入れているということだ。
読者の側も(実際に読んだことがなくても)知識としては知っている。名作と呼ばれるマンガは数あれど、ひとつのイメージがここまで広く共有されている例は、ほかにあるまい。
もちろん、ちば作品がマンガ界に与えた影響は、そんなワンシーンにとどまらない。キャラクター造形、セリフ回し、背景描写、コマ割りや構図といったマンガ表現の根幹の部分を、ちば作品から学んだという作家は多い。
『AKIRA』などで世界的に知られる巨匠・大友克洋もその一人。『文藝別冊 総特集ちばてつや』(2011年)収録のインタビューで、ちば作品のセリフやコマ割り、構図の巧みさを絶賛している。自身の勉強のため、ちば作品のコマ割りをトレースしてみたこともあるという。
影響レベルではなく心酔しているのが江口寿史だ。同じ『文藝別冊 総特集ちばてつや』の寄稿で、あふれんばかりの“ちばてつや愛”を吐露している。自身の作品の中でも『あしたのジョー』のパロディを何度も登場させており、例の「まっ白に燃えつきた」シーンなんてソラでそっくりに描けるに違いない。
『カイジ』の福本伸行は「ちばてつや賞」出身
先日デビュー50周年&『アイドルを探せ』40周年記念として初の原画展を開いた吉田まゆみも『総特集 吉田まゆみ』(2024年)のインタビューで「やっぱり“ちばイズム”には染まってます」と語る。この「ちばイズム」という言葉は『カイジ』シリーズで人気の福本伸行も口にしていて、「『カイジ』にしても『アカギ』にしても、“ちばイズム”と言ったら何ですけど、やっぱり主人公は絶対裏切らないとか、人を殺したりしないとか、そういう温かさというか健全さというか、そういうものが根底にある」と述べていた(前出『総特集ちばてつや』)。
福本伸行は「ちばてつや賞」出身。この賞は、単にちばてつやの名前を冠しただけでなく、最終候補作をちばてつや本人が読むことで知られる。
「ちば先生に読んでもらいたい!」という動機で応募する作家も多く、きうちかずひろ、さそうあきら、望月ミネタロウ、岩明均、山田芳裕、新井英樹、すぎむらしんいち、ハロルド作石、きらたかし、原泰久、野田サトル、コウノコウジ、こざき亜衣、池田邦彦、山本崇一朗など、錚々たる面々を輩出している。
次代の才能を見出すという意味でも、マンガ界への貢献度は高い。
なぜ、ちば作品はこれほど愛されるのか。どこがすごいのか。
まずは、大友克洋も参考にしたというコマ割り、構図の巧みさ。人物の位置関係、誰がどこにいて何をしているのかがひと目でわかる俯瞰(上から見下ろす視点)の構図を随所に織り込み、コマ割りで動きを見せる。
手描きのマンガならではの独特のパース(遠近図法)で、人間の視野に近い自然な空間を作り出す。学園マンガ『おれは鉄兵』(1973~1980年)で主人公の鉄兵が仲間たちと寮の部屋から食堂に向かう場面などはその典型だ。
ちばてつや『おれは鉄兵』(講談社)KCマガジン18巻p8-9より
空撮のような大都会・東京のビル群から、うらぶれた下町を歩くジョーの姿へとズームインしていく『あしたのジョー』のオープニングもまた名シーンとして語り継がれている。ジョーのプロテスト合格を祝おうとドヤ街の人々が集まって宴会をする場面では、画面の隅っこのモブキャラまでが生き生きと描かれているのに驚かされる。
原作:高森朝雄・漫画:ちばてつや『あしたのジョー』(講談社)KC6巻p134-135より
しかし、そうした作画技術やストーリーもさることながら、ちば作品が愛される最大の理由は、やはりキャラクターにあるだろう。
ジョーにしても鉄兵にしても、『のたり松太郎』の主人公・松太郎にしても、決して優等生ではない。というより、悪たれでダメな部分のほうが多い。そんな“はずれ者”たちを、愛情を込めて描く。
彼らはしっかり食べるしトイレにも行く。髪やひげや爪が伸びたり切ったりもするし、時間の経過とともに年を取る。つまり、ストーリーのための手駒ではなく、作品世界の中で生きている。一人ひとりの生活者としての姿が見えてくる。だからこそ、読者は彼らに人間的な魅力を感じるのだ。
老境を楽しむかのように綴る『ひねもすのたり日記』
大家族ドラマ『1・2・3と4・5・ロク』(1962年)では庶民の生活を描き、
ピカレスクロマン『餓鬼』(1970年)では人間の業を描く。
ちば作品には珍しい恋愛劇『螢三七子』(1972年)の叙情も忘れがたい。
ゴルフマンガ『あした天気になあれ』(1980~1991年)の主人公・向太陽の「チャーシューメーン」の掛け声は、ちょっとした流行語にもなった。
現在連載中の『ひねもすのたり日記』では、物忘れが多かったり体が思うように動かない自分を包み隠さず、むしろ老境を楽しむかのように綴っている。
そうした多彩な作品を描く一方で、2012年からは日本漫画家協会の理事長、2018年からは会長を務める。マンガ界を代表する立場として、表現規制問題についても先頭に立ち、90年代の有害コミック騒動時には『――と、ぼくは思います!!』と題した作品でも意見を表明した。満州からの引き揚げ体験をもとに、戦争の悲惨さを伝えることにも尽力する。
大御所中の大御所でありながら、少しも偉ぶるところがない。
手塚治虫が「マンガの神様」なら、ちばてつやは「マンガの天使」とでも言うべきか。
とにかくマンガ界になくてはならない存在であり、文化勲章だけでなく人間国宝に指定してほしい。
少なくとも120歳ぐらいまではお元気でいてほしい――というのが、マンガに関わる人間すべての願いだと思う。
💋ちかいの魔球が!