なんでも人生

Whatever life is

熊本で法事 Memorial gathering

2018-07-17 | 日記
7月15日に熊本で母の3回忌(法事)があり、その2日前に車で西宮を出発して山陰(日本海)をチンタラ走りながらひたすら南下することにした。兵庫県作用市あたりから鳥取へ北上、先週の大雨の跡が河川敷や山肌に残っているが家屋の被害は見受けられない。作用は9年前に洪水で死者数人を出す被害を受けた場所だが、その時の決壊堤防はコンクリートや石垣で補強、川幅は広く川床は深く整備されている。日本では災害(被害)が発生しないと対策が取られない。そして自然環境保護の名目で河川、治水整備を反対する人たちもいるが、この人たちは被害を受ける人ではない。作用から無料の対面高速道(時速70km)ができているので昼には鳥取の道の駅でランチ。これが何と1100円バイキング、結構品揃え豊富でコーヒー、ミニケーキまで付いている。そこから松江、出雲と進むがは山陰高速(一部無料)が所々整備され結構早く走れる。本来きれいな海岸は先日の大雨でゴミが散乱。益田市でインドレストランを見つけ夕食、食べ終わって外に出ると夕焼け空が見たこともないほど(少し不気味)きれい。

宿泊は津和野になったが、夜観光客が浴衣姿で街に繰り出しているかと思ったら中心街には人一人歩いてない。よく観察すると店が閉まっているし外灯も少ない。これでは歩く気にもならない。

翌日はあいにくの霧、景色が見れないので九州へ急ぐことにした。下関より関門トンネル(150円)を通り佐賀県の唐津を目指す。なぜ唐津かというとまだ行ったことがないだけ。門司から福岡まで渋滞に巻き込まれ少し(かなり)イライラ、しかし福岡市内に入ると道は広くスイスイ、ヤフードーム(ソフトバンクホーク)が見えるとその付近は横浜みなとみらいかシンガポールかと思うほど見事に整備されている。日本のゴチャゴチャ都会が多い中、こんな素敵な場所があるなんて嬉しくなる。ここは”シーサイドももち”と呼ばれるところらしい。ここに住む人とても快適では?

佐賀県の唐津も海岸にお城があり整備された街だが、あまりにも暑く車から出る気にならない。半島をぐるりと回ることにしたが虹の松原の松林がお見事。呼子大橋を渡り加部島の風の見える丘から唐津湾や玄海灘が見渡せ、九電の玄海原発も見える。

原発を覗いてみることにした。当然発電所には入場できないが、その隣のエネルギーパークに入ると実物大の原発模型があり30分の丁寧なガイド説明が聞けた。ウラン原石(本当に紫外線で光る)、それを粉砕濃縮したイエローケーキ、さらにウラン235(4%=分裂)、238(96%=分裂制御)ペレットを詰めた燃料棒と使用済み核燃料(プルトニユーム)をリサイクルしたMOXペレット燃料棒などが展示。原子核に中性子を与えると分裂し熱エネルギーを発生する。中性子を吸収してその分裂を制御する制御棒も見ることができ感動(こんなもので感動するのは私だけでは?)。私は今や珍しい原発推進派である。理由は限りある化石燃料を使う火力発電(地球温暖化)には賛成できないし、他に実用的な発電技術は水力(本来日本はこれを推進すべき)と原子力しかないと思っている。当然その使用済燃料処理問題(真の問題は人間の恐怖心)、安全性の確保と解決すべきところは多い。私には危険(リスク)があるものはすべて排除という考えはなく、すべてのものにリスクがありいかにそのリスクを安全レベルまで低減するのが人間の知恵と能力だと信じている。福島原発事故は、津波を被り緊急発電装置(冷却用)が稼働できなかったという全くお粗末(初歩的ミス)なことが原因であった。残念ながらリスク低減能力(意識)に欠けた組織(電力会社、政府、行政)や人間集団(原子力委員会や関係専門家)がリスク管理を怠った(能力欠如)結果である。危険な物を排除する主義なら、地球上で一番危険動物=人類を絶滅させないとならない。


さて今度は単に土を捏ねて加熱して食器を作る伊万里の陶工村を訪れた。家内はこちらでは目を輝かせて飽きもせず炎天下を次から次へと店を覗いて回るが、結局目を引くものは見つからない。私にはどの店も同じものを並べているようにしか思えない。有田や波佐見も近いが夕方になってきたのでパス。
宿泊は雲仙温泉。ここも昔に一度来たと思うが、湯煙り歩道は記憶にない、その後整備されたのだろう。お風呂の白く濁った湯、少しピリピリする(含硫黄酸性)。


雲仙から熊本行きのフェリーに乗るため島原に来ると、道の駅で普賢岳土石流に埋もれた民家数軒が保存され、その時の映像をみることができる。これは衝撃的で、我々は火の玉の表面が冷えたところに間借りしている事実を思い知らされる。



実家は2年前の熊本大震災で母屋、納屋と崩壊したが、やっと新築が完了して今回の法事は新居披露も兼ねた。これで弟夫婦も落ち着いて生活ができるであろう。

西宮への帰路、昨年立ち寄れなかった(また水害で)大分県日田市の小鹿田焼の里を訪れる。村を歩くとカッタンとコットンと陶土を水車で砕いている音があちこちで響いている。

ここのすり鉢が有名で家内は何の料理をするのか一つ買った(家には一個あるのだが)。


徳山で夕暮れとなり新幹線駅横のビジネスホテルで宿泊。ここは徳山曹達の本拠地、化学プラントが懐かしい。昔一緒に化学協会の仕事をした真面目な徳ソーマンもう定年になったかな?
コメント
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