なんでも人生

Whatever life is

沖縄、久米島旅行

2020-01-26 | 日記

1月23日寒い雨の西宮を後にして朝8時15分発ANAで那覇に向けて伊丹より出発。当日中に久米島まで行く予定なので、那覇に着くとすぐモノレールで泊港(美栄橋)に向かうが真冬の服装で到着したので26度の高湿度に一気に汗が吹き出し、夫婦で極暖シャツ1枚になる。泊港から14時発フェリーに乗り込み3時間で久米島到着。港で予約していたレンタカーでイーフビーチの滞在型ホテル(電子レンジ、冷蔵庫、キッチン、洗濯機付き)にチェックイン。早速車で近くのAコープに食料を仕入れに行くが物価は高い。オリオンビール、久米泡盛は真っ先にカゴに入れ、野菜は見たことない葉の裏が赤いのと現地のトマトをサラダ用に買うがトマトがうまい。後でコンビニを見つけたが、値段も安く品揃えも豊富で地元の人もコンビニ利用が多い。毎朝コーヒーと朝食仕入れはコンビニになった。

翌日車で右回りで島内観光、小さな島だが起伏がありサトウキビ畑、珊瑚の海岸、山と変化に富んでいる。オフシーズンなので海岸には一人っ子いないとこも多く、来島者の多くがダイビングが目的のようだ。初日は抑え気味で島内半周。

アーラ浜、足元全部珊瑚
タチジヤミ
ミーフーガ、奇岩だが周りが漂流ゴミで台無し

久米島で一番有名な場所がはての浜、珊瑚で出来た無人島で船でないと行けない。我々もここに船で渡してもらったが、約束の時間に迎えに来ない。幸い携帯が通じたので連絡したら忘れていたようだ。ええ加減な船頭だ。しかしこの島漂流ゴミが多い。よく見ると中国語のラベルなので犯人は台湾か中国本土だが、観光で生活する地元の人は小まめに拾って欲しいものだ。家内もこの状況に我慢出来ず町営バーデハウスの管理人に海岸のゴミ掃除注文をつけていた。私は観光協会にネット投書した。

お化け坂がある。看板の位置から下り坂に見える。車で20m進みギアをニュートラルに入れると車はバックする。家内は何で?と大騒ぎ。今度はUターンして向こうからこちらに進行すると登り坂に見える。同じく途中でギアをニュートラルに入れるとドンドン前進する。この現象に家内は多くの人と同じくキツネに化かされた感じたらしい。最初にこの不思議な現象を経験したのは地元の植物学者で、自分の車を坂の途中でニュートラルで駐車したら思った反対の方向に勝手に動き出したのがきっかけだったらしい。しかし残念ながら私にはそのイリュージョンが見えず2〜3度の勾配で予測通りに車は動きちっとも面白くない。

最後の日は時間持て余して、古民家、博物館見学、パークゴルフなどをするが午後から雨も降り出し夜は風も強くなる。
27日朝、まだ強い風が吹いていてフェリーの出港が心配だったが、港に到着すると予定通りなので安堵。こんな小さな島にとり残されたらかなわない。
3時間の航海は少し揺れたが無事予定通り那覇に到着。美栄橋駅まで10分歩きオリックスでホンダフィットハイブリッドを借りる。いい車だ。久米島で乗っていたデミオが新車状態なのに不満点(視界狭い、騒音)があったのでさすがホンダ、安定して視界も良く快適。昼食はA&Wのハンバーガー、久米島から来ると特にうまい。これから3連泊するココガーデンにチェックイン、沖縄中央部うるま市にあるリゾートホテルでなかなか快適。久米島と大違い。イオンなどの大型ショッピングセンターも遠くなく家内は大安堵。朝食も品揃え豊富で美味しく、家内はフレンチトーストが気に入り毎朝食べていた。
翌日海洋博公園の美ら海水族館見学。沖縄本島は4〜5年前にレンタカーで回り一通りは見ているので地理感はある。高速道も少し延長されている。久米島でも感じたが現地ドライバーは十分な車間距離取らずに後ろに付くので気持ち悪い。本島国道は制限速度50-60kmもあるが、歩道のない車道(久米島全島)は制限速度40kmで遅すぎ、しかし現地のトラック60-70kmでぶっ飛ばしている。 久米島のサトウキビ畑で軽自動車が道路わきに横転していたが、現地のおばさんドライバー左右確認せずに飛び出してくる。これは沖縄に限らず日本の田舎では軽トラおばさんが全部自分の道だと我が物顔(前だけ見て)で走り回っている。


その後沖縄北端辺戸岬を見るが、道中辺野古埋め立て土砂積み出し港で30人ぐらいが赤鉢巻の反対デモをやっている。島外の私には問題の多い普天間より辺野古の方が遙かに米軍基地(空港)としては良いと思うのだが、日本防衛を米軍に依存し沖縄に負担をお願いするのは本土国民のわがままには違いない。しかし沖縄のアメリカからの返還はつい1972年のことだ。
29日は近くの琉球村。入場料は1500円。沖縄伝統家屋、歌や踊りが鑑賞できてとなかなかいい場所だ。

沖縄の歌はリズム感があり聴いて楽しくなる。
ココガーデンで3連泊して那覇に移動。途中南端の平和記念公園に立ち寄るが、島民12万人の名前が太平洋戦争犠牲者として刻まれている。改めて東條英機の狂気と臆病さ(降伏遅らせた)に腹が立つ。しかしこのキチガイのせいで日本が敗戦して素晴らしい民主国家になれたのも事実だ。
最後は那覇で2泊、火災にあった首里城に行くが無残なまま。出火原因は放火ではないと結論づけられたようだが、スプリンクラー設置もなく漏電ブレーカも作動していないのは設計、管理ミスが明白。再建されるようだが同じミスを繰り返さないことだ。私もほんのわずかだが再建寄付をさせて貰った。

夜は島歌ネーネズ鑑賞。リズム感があり高音がきれいで大好きだが、残念だったのは近くの席でフィリピンからの客が歌唱の最中で大声で会話してうるさい。私自身何度も睨みつけたが気づいてもいない。日本人の引率者は注意して欲しいが、所詮ここは居酒屋(飲食店)なので仕方がないのかも? この店のライブ(3公演入れ替えなし)料は2千2百円、飲食は別料金だがそんなに高くない。


10日間の沖縄旅行十分に楽しんだ。
沖縄は相変わらず外国からの観光者が多い。日韓関係が悪化した韓国、コロナウイルスの中国からの観光客はあまりいないが、台湾からの子連れ来訪者が多い。
今IRが話題(特に汚職議員)で賛否両論あるが、私は賛成派。沖縄で外国人観光客に思い切り遊んで(散財)して貰えばよい。ギャンブル嫌いな人(私)は近づかなければよいだけだ。
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庭の階段作り  Garden Stairs consturction

2020-01-16 | 日記
キッチンハウスが建ってる土地は芝生の庭から5mぐらい標高が高く、整地するためのショベルカーの登坂道に石をセメントで張り付け石畳道にした。軽トラも登れるようにしたが上に建物を作ったため転回する場所がなくなり人と運搬車の通り道になっている。しかし落ち葉や石ころがあると滑りやすく(特に雨の日)、私を含め何人かが滑りこけている。そこで、ここに階段を作ることにした。今後も運搬車や一輪車が通るので写真の右側はそのまま残そう。


この前近所で40mの階段作りを手伝い、作り方のコツを会得した(つもり)のでいいタイミングだ。
我が庭はコテージガーデンなのでブロックではなく石を利用。
まず石をモルタルで固定してステップ受けを作っていく。石が不均一なので高さを揃えるのが難しいが、でこぼこも趣としよう。
ここに砂利を階段状に詰める。
そしてドライモルタルで表面を均一にする。
その上にドロドロモルタルで表面仕上げだが、接着剤を少し添加。モルタルが滑らかに延びてコテの扱いが少し楽になる。
最後は疲れて雑になってきた。 きれいな仕上げより安全通路(階段)が優先(言い訳)。

 


意外に早く出来上がり(雑)、作業日数4日(石集め、材料仕入れを除いて)。
乾燥(冬なので3日かかった)して階段を上り下りしたが、やはり歩きやすい。
これで滑りこけることはないだろう。
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