TOTOからはじまったイモづる式音楽日記

旧タイトル:TOTOからはじまるLA FUSION CONNECTION~ネタはフュージョンやらAORやら。

ARIF MARDIN 死去

2006-06-29 01:07:49 | Weblog
また訃報ネタです。
名プロデューサーであるARIF MARDINが6月25日に逝去されたそうです。
享年74歳。
歳も歳ですし、青木智仁さんのようなショッキングな出来事とはいえませんが、やはり感慨深いものがあります。
最近ではNORAH JONESのプロデュースが知れているところですが、小生にとってはBEE GEESの育て親、という印象が最も強く残っています。

「MELODY FAIR」とか「FIRST OF MAY」などのヒットを飛ばした後、低迷していたBEE GEESにR&Bの要素を持ち込んだのがこのARIF MARDIN。いわば軟派なポップスグループであったBEE GEESに、本格的DISCOブームの到来を見越して骨太なR&Bグループとしてのプロデュースを施し、ご存知「SATURDAY NIGHT FEVER」サントラの大ヒットに結びつけたのが他ならぬこの人でした。
氏がプロデュースした、1974年リリース「MR. NATURAL」ではそれほどの評価は得られませんでしたが、1975年の「MAIN COURSE」はR&BやDISCOサウンド、そして特筆すべきは今やお馴染みのファルセットによるコーラスワークを大胆に取り入れ、70年代のBEE GEES快進撃の足がかりを作った名盤になりました。
また、80年代に入り、アルバム「LIVING EYES」(1981年)を最後にオリジナルアルバムのリリースがなく、ほぼ活動を止めていたBEE GEESですが、再起をかけて制作したアルバム「E.S.P.」(1987年リリース)もARIF MARDINのプロデュースによるものです。(小生にとってのBEE GEES最高傑作です)その後、氏のプロデュースではないものの、次作アルバム「ONE」で見事カムバックを果たしたのも、記憶にまだ残っているところです。
いわば、現在のBEE GEESの地位を築くための種まきをしてくれていたのが、このARIF MARDINだったんですね。

BEE GEESもMAURICE GIBBの死去により活動に終止符を打ち、そして育ての親であったARIF MARDINもいなくなりました。小生の青春の1ページ(なんてね)もだんだん色あせていく、2006年・夏であります。
コメント (5)
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