のんきいきいき So(走) Happy! -櫻庭健一の日記-

いつも笑顔と感謝を忘れずに
甘っちょろいと言われても希望を捨てず生きる
過去の少しの試練はそれで乗り越えたのだから

生への執着は死と隣り合わせの体験から来ているかも

2011年11月26日 05時38分02秒 | Weblog
死に対しては、ある意味敏感、ある意味鈍感である。
死に対する恐怖というのはあまりない。
正確に言えば恐怖あるのだろうけれど、
心積もりができていると言うべきか。

死の恐怖を味わったことがあるからだろうな。
心の病、統合失調症。
精神病院に入院していたとき、
頭の中がおかしくなって、廊下でのたうち回って、
「俺はこのまま狂い死にする」そんな瞬間があった。
今冷静に考えればそれは妄想でしかないのだけれど、
そのときは、本気で「よくて廃人」みたいな感じで、
死をすぐそこにあるものとして受け止めていた。

それに比べたら今は天国だよ。
私が超前向き、現状に対する文句をほとんど言わないのは、
そこら辺から来ているのだと思う。
「文句を言ったら罰が当たる」それは実感なんだ。

精神病院。
私にとってそんなに悪い場所じゃなかった。
飯は旨いし(結果それで太ってしまったが(苦笑))、
常識行動を守っていれば病院内での制約はなかった。
たまに外泊も許された。

精神病院。
酷い誤解もされている場所だね。
映画やドラマで描写されることがある風景。
真っ白な壁に囲まれた部屋、あり得ないよ。
鍵の束をじゃらじゃら音立てて歩く看守のような人、同じくあり得ない。

確かに悲しい現実もあった。
私から見れば、はるかに私より病状の良い人が、
家族に見捨てられ(退院しても家族が引き取ってくれない)、
退院できず結果、治っているのに病院に閉じ込められている。
今そんな酷いことがあるのかは知らない。
でも27年前には確かにそういう不幸があったのだ。

死んだらどうなるか。
死と隣り合わせの感覚だったころ、
それについては随分と思い詰めた。
結論は出なかったよ。
そんなに簡単に結論の出るテーマじゃない。
とにかく死にたくない。
その恐怖だった。
だから私は死に敏感。
そしてその感覚に慣らされてしまったからある意味死に鈍感。
冒頭の言葉に戻る。

死に敏感、かつ鈍感。
それが幸福なのか不幸なのかはわからない。
でも死と真正面から向き合った経験は貴重だったし、
その経験は今までの人生にきちんと「生かされて」いる。
その恐怖もひっくるめて、
死は忌むべきものではなく、今もすぐ隣にあるもの。
そんな感覚である。

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