死に対しては、ある意味敏感、ある意味鈍感である。
死に対する恐怖というのはあまりない。
正確に言えば恐怖あるのだろうけれど、
心積もりができていると言うべきか。
死の恐怖を味わったことがあるからだろうな。
心の病、統合失調症。
精神病院に入院していたとき、
頭の中がおかしくなって、廊下でのたうち回って、
「俺はこのまま狂い死にする」そんな瞬間があった。
今冷静に考えればそれは妄想でしかないのだけれど、
そのときは、本気で「よくて廃人」みたいな感じで、
死をすぐそこにあるものとして受け止めていた。
それに比べたら今は天国だよ。
私が超前向き、現状に対する文句をほとんど言わないのは、
そこら辺から来ているのだと思う。
「文句を言ったら罰が当たる」それは実感なんだ。
精神病院。
私にとってそんなに悪い場所じゃなかった。
飯は旨いし(結果それで太ってしまったが(苦笑))、
常識行動を守っていれば病院内での制約はなかった。
たまに外泊も許された。
精神病院。
酷い誤解もされている場所だね。
映画やドラマで描写されることがある風景。
真っ白な壁に囲まれた部屋、あり得ないよ。
鍵の束をじゃらじゃら音立てて歩く看守のような人、同じくあり得ない。
確かに悲しい現実もあった。
私から見れば、はるかに私より病状の良い人が、
家族に見捨てられ(退院しても家族が引き取ってくれない)、
退院できず結果、治っているのに病院に閉じ込められている。
今そんな酷いことがあるのかは知らない。
でも27年前には確かにそういう不幸があったのだ。
死んだらどうなるか。
死と隣り合わせの感覚だったころ、
それについては随分と思い詰めた。
結論は出なかったよ。
そんなに簡単に結論の出るテーマじゃない。
とにかく死にたくない。
その恐怖だった。
だから私は死に敏感。
そしてその感覚に慣らされてしまったからある意味死に鈍感。
冒頭の言葉に戻る。
死に敏感、かつ鈍感。
それが幸福なのか不幸なのかはわからない。
でも死と真正面から向き合った経験は貴重だったし、
その経験は今までの人生にきちんと「生かされて」いる。
その恐怖もひっくるめて、
死は忌むべきものではなく、今もすぐ隣にあるもの。
そんな感覚である。
死に対する恐怖というのはあまりない。
正確に言えば恐怖あるのだろうけれど、
心積もりができていると言うべきか。
死の恐怖を味わったことがあるからだろうな。
心の病、統合失調症。
精神病院に入院していたとき、
頭の中がおかしくなって、廊下でのたうち回って、
「俺はこのまま狂い死にする」そんな瞬間があった。
今冷静に考えればそれは妄想でしかないのだけれど、
そのときは、本気で「よくて廃人」みたいな感じで、
死をすぐそこにあるものとして受け止めていた。
それに比べたら今は天国だよ。
私が超前向き、現状に対する文句をほとんど言わないのは、
そこら辺から来ているのだと思う。
「文句を言ったら罰が当たる」それは実感なんだ。
精神病院。
私にとってそんなに悪い場所じゃなかった。
飯は旨いし(結果それで太ってしまったが(苦笑))、
常識行動を守っていれば病院内での制約はなかった。
たまに外泊も許された。
精神病院。
酷い誤解もされている場所だね。
映画やドラマで描写されることがある風景。
真っ白な壁に囲まれた部屋、あり得ないよ。
鍵の束をじゃらじゃら音立てて歩く看守のような人、同じくあり得ない。
確かに悲しい現実もあった。
私から見れば、はるかに私より病状の良い人が、
家族に見捨てられ(退院しても家族が引き取ってくれない)、
退院できず結果、治っているのに病院に閉じ込められている。
今そんな酷いことがあるのかは知らない。
でも27年前には確かにそういう不幸があったのだ。
死んだらどうなるか。
死と隣り合わせの感覚だったころ、
それについては随分と思い詰めた。
結論は出なかったよ。
そんなに簡単に結論の出るテーマじゃない。
とにかく死にたくない。
その恐怖だった。
だから私は死に敏感。
そしてその感覚に慣らされてしまったからある意味死に鈍感。
冒頭の言葉に戻る。
死に敏感、かつ鈍感。
それが幸福なのか不幸なのかはわからない。
でも死と真正面から向き合った経験は貴重だったし、
その経験は今までの人生にきちんと「生かされて」いる。
その恐怖もひっくるめて、
死は忌むべきものではなく、今もすぐ隣にあるもの。
そんな感覚である。
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